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【おさんぽ道楽】黒島@鹿児島県三島村(お絵描き日誌)


🏵️【お絵描き】大里港

黒島・朝もや ver. (2023-9-3)

鹿児島県三島村の黒島は母の郷里です。

上の絵は朝もやに霞むバージョン。

もう1枚、dreamy version も描いてみました。
描いた・・・というか、アナログの下絵は同じで、色塗りを別バージョンにしたものです。


黒島 dreamy ver. (2023-9-3)

なんだかどちらも捨てがたく🤭

黒島には大里、片泊(かたどまり)という2つの港があります。
今日の絵は大里港のものです。

灯台、実は今はもうこの絵の場所には建っていないんです。
平成初期、「冠岳」という山の一端に建っていましたがある朝起きたら冠岳ごと崩落し、海に沈んでいたのだとか。
今はここまで海の瀬戸際ではなく、もう少し奥に引っ込んだところに建っています。

灯台が建っていた頃の冠岳の写真が見つかっておらず、この絵は実際に自分で撮った写真に想像+かすかな記憶で付け足しました。

写真か映像が見つかったらリトライします☆

🔶map

三島村 map (2023-9-8)

⛰️三島村は
🌴竹島
🌴硫黄島(薩摩硫黄島という呼び方をされる時もあります)
🌴黒島
 ~3つの島からなる村です。

📊人口:372人 (2023/7/1 現在)

🛥️access

フェリーみしまで鹿児島港から黒島まで約6時間。
今は週4便運航しているようです。
私が幼少期の頃は10時間はかかり、運航も週2,3便でした🤭

近くに種子島がありますが、あちらはさすがメジャーな観光地だけあって高速船が運航していて、鹿児島港から1時間半(!)で着くそうです。

鹿児島湾から外海に出るときにかなり揺れるんですよね。
船の欠航も多く、当日の早朝に出航するかどうかの最終的な判断がされます。
私も親戚も島に行く時、何度か(も?)欠航になっており、そうすると鹿児島市内で数日延泊、船のスケジュールに合わせ島で泊まる日数も調整が必要になり。。と、なかなか行くハードルは高いですね笑

余談ですが大阪から鹿児島空港に行く飛行機も、たいてい「気流の関係で熊本空港に降りるかも」アナウンスが流れるんですよ。
私は実際に熊本空港に降ろされたことはないのですが、親戚は熊本で降ろされ、九州新幹線がない時代だったので在来特急で鹿児島に行き、さらに船は欠航、とうこともありました🤭

やー、島遠い笑

行って帰ってくるだけで「秘境に冒険に行った」感が味わえます。

🥾島の風習ー山と信仰

先に書いた冠岳もそうですが、山のあちこち・・・もしくは全域が神域なんですよね。
その山も、島の中に山が立っているイメージではなく、小学生が描く島のイメージそのままに、島=山なんですよ。
小学校のグランドとかを除くと平地がないイメージで、道=坂道、みたいな。
集落は山の麓にある感じです。

それで山が神域なので、「この時期は山に入らない」とかがあるんですね、母曰く。
一度禁を破ってちょっとだけ入ったら私が捻挫してしまって登れない、降りれない状態になり、かつ天気が荒れ始め・・・かなり怖い思いをしました。

それ以来山に入っておらず、つまりほとんど集落から出ていないのですよ。

地図を見ると登山ルートもあるし、登ってみたいですね。

「南国の秘境の島、信仰に包まれた山」ですよ?😻
興味津々💓

なかなか行けることのない島のことなので色々想い出が。。
まだ語っていいです?

⚔️平家の伝承ー南国の神秘的な踊り

母から聞いた話なので、どこまで正確かは分かりませんが👉
島は壇ノ浦で敗れた平氏が辿り着き住み始めたという伝承があり、元々島に住んでいる人たちはほとんど同じ苗字なのですが、その苗字が源氏由来らしいんです。
平氏の人たちが源氏に擬態するために名乗ったのが始まりとか。

夏にあるお祭りでも、源平の合戦を模した踊りが披露されていました。
今思い出すと、とても幻想的だったんですよね。
いかにも南国の島的というか。
着物とか年季の入った、言い方あれですけど「ぼろ」に近い感じで、その中に数名、派手な着物をまとった男性が人々を挟む形でいて(護るか閉じ込めるかしている感じ)、皆わりとそのフォーメーションを崩さないのですが、一人完全に女性ものの白っぽい着物を着た男性がすごく無軌道に狂気的な感じで踊っていました。
(最後に見たのが20年以上前なので今はどうなっているか分からないし、私の記憶もあやふやですが💦)


⚓戦時中の島ー特攻隊員を助けた話

平氏にまつわる話は「伝承」なので言い伝えですが、母が戦前の生まれなので実体験として「島での戦争」を語れるんですよね。
特攻に向かう戦闘機が海に不時着して、隊員さんを助けた話とか。
最終的には村長さんが手漕ぎの船で本土に送り届けたらしいですが、隊員さんは再び特攻に出ると生きて帰ってこれないじゃないですか。
母の話を総合して私なりに解釈すると、すぐ送り届けると特攻で亡くなってしまう、けれど「お国のための」戦争・特攻である以上、いつまでもかくまっているわけにもいかない、その時間的な駆け引きがあった、ということのようでした。

この時に生き残り、2019年に亡くなった方のニュースが記事になっています。

母も幼かったので隊員さんに直接何か出来たわけではないですが、生き証人として「島民の目線」で語れるのがすごいですよね。

ほか、アメリカ兵がやって来たかやって来るというので、しばらく山中で生活したとか、戦争が終わったことも数か月から1年くらい? 知らなかったとか。(母が単にぼんやりさんなだけかもですが😅)

ほかにも小説の舞台になったり逸話はあるのですが、今日はこの辺で!
ここまで読んで下さり、ありがとうございます☆

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