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マハーバーラタには、手を出すな!

印哲の学生の間で昔、まことしやかにささやかれていた話です。

『マハーバーラタ』は言うまでもなく、インドを代表する一大叙事詩であり、ヒンドゥー教の聖典です。そこにはあらゆる神話、風習、ヒンドゥー教の儀礼やら社会的モラルやらタブーなどが盛り込まれていて、現在でもインド社会・文化の規範を作っているものとして絶対的な存在感を示しています。

この『マハーバーラタ』はサンスクリット(=サンスクリット語)で書かれているのですが、昔から、外国語に全訳しようとすると訳者が急逝してしまうジンクスがあるようです。

日本でも英語訳からの重訳が出版されてはいますが、サンスクリットの原典から一語一句を完全に翻訳されようとしたのが、上村勝彦先生でした。
サンスクリットをとても正確に翻訳される、稀有なインド文学研究者でしたが、未完で逝去されました。

『マハーバーラタ』はインドの古い聖典です。
仏教もヒンドゥー教も事情は同じですが、「聖典」「経典」と呼ばれるものにはガーディアン(守護神、護法尊)がいらっしゃり、内容が正しく護持されるよう、見えない形でガードをされています。

聖典とは、人間の都合で勝手に教えを開示したり、信のない一般人の目に触れさせることのできない仕組みとなっており、許しを得ずに禁忌を破ったり、聖典に対して不敬行為を働くと、ほどなくしてガーディアンの怒りを買います。

どうやら『マハーバーラタ』には、そういう強いガーディアンがいらっしゃるようです。
上村先生ほどの正確さを誇るサンスクリット翻訳であっても、認めないくらいです。かなり強い力が働いているのでしょう。

これは「般若経」「法華経」「理趣経」など日本仏教の聖典も、同じですね。

もしかしたら『古事記』『日本書紀』や『先代旧事本紀』などの神道の聖典にも、固有のガーディアンが存在しているのかもしれません。
「お筆先」のような特殊な聖典だって、その宗教団体を護るガーディアンがいらっしゃることでしょう。

チベット仏教に至っては、大蔵経や蔵外、埋蔵経を含む多くの典籍が、英語や中国語などに翻訳されています。個人が翻訳したものはごく少数で、たいていは「Translation Committee」という組織が編成され、その組織のトップには学識高い活仏・高僧が監修にあたっています。

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上の写真:教えの伝授のひとコマ。
ネパール、シェチェン寺の高等学問機関(シェタ)の学院長だったケンポ・トゥルク(博士号を取得した活仏・高僧)の私邸にて。撮影:気吹乃宮。

高僧に監修していただくということは、正確な翻訳を実現するだけではなく、ガーディアンの許可を得ることも兼ねています。高僧・活仏がOKを出した翻訳は「認証されたもの」であり、法の純潔性を汚したり、ガーディアンを怒らせるものではなくなるわけです。

とはいえ、いくら「認証」があるからとはいえ、訳者のミスによっては高僧の寿命を縮めてしまう可能性もあるので、師の長寿を願うのであれば、細心の注意を払う必要があるでしょう。

私事ではありますが、15年以上も昔、チベットの高僧を日本に招聘して法の伝授が行われた際、会場で使用されるチベット語の経典を日本語に訳したことがあります(主催者に依頼された)。

高度な教えで、当時の私の理解ではカバーできないような内容でした。

たしかにチベット語は、日本語と語順が同じで「て・に・を・は」の膠着語ですので、サンスクリットのような難解さはありません。単語をA → Bに置換するだけなら、造作もないのです。

しかし言葉の意味や文法がわかっていても、伝えたい真の意味を理解しないと、とても日本語に置き換えることはできません。

経典を翻訳すると、訳者の心の境涯がもろに露見するので、自分のレベルを人前にさらす結果となります。
わかる人が見れば、訳者がどのレベルにあるのか、一目瞭然です。

当時の私の文章は恥ずかしい限りだったと思いますが、N先生(日本にチベット仏教を紹介した人類学者)がちょうど来られていて、私の翻訳に目を通されて「OKです」と高僧に進言していただきました。そして無事に印刷にこぎつくことができました。

先生の「OK」で、そのとき私はどんなに救われたかわかりません。

それ以降、大小含めていくつかの翻訳をしてきましたが、自分が伝授を受けているものに限りますし、公開するときは師の許可を得るようにしています。間違った公開をしてしまっては、大変なことになるからです。

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上の写真:シッキムから見える、ヒマラヤ山脈とカンチェンジュンガ。
雪山のすぐ向こうには、チベット本土がある。
西シッキムのユクサムにあるグル・リンポチェの聖地、ドゥプディ(Dubdi)にて。撮影:気吹乃宮。


チベット本土から馬に乗って雪山を越えてインドに亡命された師が、手荷物の中に入れて大事に持ち帰った経典を、師の薦めでチベット語に文字起こしをし、ついでに日本語に翻訳する機会がありました。

チベットの手すきの分厚い紙に木版で刷られたその経典は、今や世界にたった1つしか現存しない、極めて貴重な教えでした。

この経巻を自宅に持ち帰ってタイピングしているときは、とても不思議なことがたくさん起こりました。
まさにガーディアンの存在を、ひしひしと感じました。

あの頃、チベット語の文字起こしをして、日本語に訳した時間のおかげで、私の人生は大きく変わった気がします。

ガーディアンは、経典だけでなく、そこに説かれている教えに関わる者も守ってくれる、助けてくれることを痛感しています。
経典に親しむ者には、必ず守護があるのです。

この教えは何十部か自費出版して、教えの伝授を受けた法友には配りました。出版する計画もあったのですが、十数年前のことで、具体的な計画は立ち消えになったままです。

ここ(note)に公開することは未定ですが、いつか皆さんの元に届けられる日が来ることを願っています。

表紙の写真:
南インド、チェンナイ市のヒンドゥー教寺院にて。撮影:気吹乃宮。




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