自称両声類の気持ち悪さの霊視

目次

①はじめに

②単語に対する違和感

③自称する者の心理

④提案

⑤まとめ

-------------------

①はじめに

カラオケ界隈において、
"両声類"と言う言葉が存在する。
男性声と女性声を巧みに使い分ける歌唱を行う者、
といった意味で自称他称問わずに使われる。

なるほど実際に聞いてみれば、
キーを変えたりして、
上手く声のキャラクターを使い分けていたりする。

今やこのカラオケ界隈で自然に使われている呼称
について、霊視を交えて、思う所を書き連ねる。

単純に言えば、ポジティブなイメージの
単語に隠れた"違和感"である。

②単語に対する違和感

両声類の語源は、言わずもがな"両生類"である。
単語自体は、それが表す両面性について、
"声の高さと低さ"や"声の大きさと小ささ"では無い
であろう事、また"男女両局の声質"を表すであろう
事が感覚的に理解出来る点で、優秀な造語である。

しかしここで、この単語を造った者の感覚を
リーディングしてみると"上手く言ってやった感"
が、読み取れる。

上記で述べたように、
造語としては優秀であるから、
得意な気持ちになるのは自然かも知れない。
ただ、単語から言霊を読み取れる人間なら、
この違和感に気付かないはずが無い。
"どうだ、凄いだろう"と言った承認欲求が、
単語に言霊として乗っている。

簡単に言えば、発信者側、受け手、両者共に
あまり良い影響を及ぼさない単語なのである。
しかし、こうした影響について
敏感に感じ取れる者は
非常に少ないと思われるため、カラオケの感想等で
"両声類で凄いですね"等と言葉が交わされる。
その度に、意識には影響を与えない程度のレベルで、精気や活力が奪われている。
例えるなら、5万円の財布から五円玉が盗まれる、
程度の影響ではあるが、積もると結構損している。

③自称する者の心理

他者から、両声類であると言われる場合は
構わないが、問題は自称する側の心理である。

両声類を自称する人間は、
複雑な承認欲求を形成している。

それは、自己PRの一つとしてこの単語を
使用する事で、暗に
"私は表現の幅が広いですよ。だから、たくさんの
カラオケを聞いて下さいね。
この一曲だけで私を判断しないで下さい。
私はもっともっとたくさんの色んな
魅力がありますよ。"
と言う思いを、単語に込められるからである。
簡単に言えば、自意識過剰人間だ。

こんな事を言うと、その人間の全人格を
否定されている、と、知り合いに自称両声類がいる人はムッとするかも知れないが、
あくまで人間は不完全性の生き物だから、
こうした面がある事を知り、認識し、
今後の付き合いの中で、あの人にはこうした
留意点がありながら付き合えば良いんだ、
と参考にして貰えればと思う。

そもそもからして、たくさんのカラオケを聞いて
欲しい時には素直に"色んなカラオケを聞いて
下さい"と言えば事足りる話であるが、"両声類"を
自称する事により、リスナー側に対して、
"両声類なら、もう片方の声はどんなものだろう?"
と気にして貰い、自発的に自身へ強い興味を
向けて欲しいのだ。

"たくさんのカラオケを聞いて下さい。"
と自分から言えば、何だか必死な感じがあるし、
もし聞かれたカラオケが微妙だった時に、責任は
自分側にある。
"聞いてって言うから聞いたけど、大した事無い
じゃないか!"
と言った批判もあり得る。

しかし、"両声類"を自己PRタグに掲げておけば、
聞き手が自発的に気になって複数曲を聴き、
たとえガッカリと失望してもそれは、
'勝手に期待しただけ、
コチラは聞いてとは催促していない'
と、なるわけだ。

つまり、ややもすると卑怯な戦略なのだが、
いやいやそれは考え過ぎでしょ、
等と言う人も多いだろう。
しかし人の意識の深淵は本当に深く、
過去のトラウマや個性、欲求レベル等の
様々なものによって複雑に形成されている。
少なくとも、これを読んだ時点で、
納得していようがいまいが、
深層心理にはこの真の意味が刻み込まれる為、
大丈夫である。

④提案

両声類と言う言い方が便利だし、
じゃあ批判するばかりじゃなく、
何か提案出来るのかよ。
こう仰る方もいらっしゃるでしょう。
そもそも両声類という単語は、
予測変換にも出て来ない。
そのため、"両生類"を出してから、生を消して、
声を打ち込んでいる。
"辞書に登録すれば良いじゃん"
という方もいるだろう。

では、ここからが私の提案だ。

『スイッチングボイス』

初聴の単語のため、違和感があるかも知れない。
長い、等も言われるかも知れない。
だけど、意味合いは外国人にも何となく伝わる。
オシャレさに特化したイメージかも知れないが、
そもそもオシャレは多少の不便さを甘受し、
体裁を繕うものだ。
両声類のような嫌らしさは単語に込めておらず、
両局の声を簡単に切り替えられる、と言った、
機能面の説明を簡潔に行った単語だ。

⑤まとめ

こうした違和感について、感じない人からすれば、
"考え過ぎ"の戯言に感じられる。
しかし、思考や言葉は、ひいては人生そのものへ
影響を与える。
誰だって、"嫌い"よりは、"好き"と
言われたいだろう。
今後生きる上で、
使う言葉の取捨選択の参考になれば幸いである。

fin.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?