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世界が驚く歴史的大発見。

“私は歴史家ではなく演劇人です。数年前から「千々石ミゲル」の演劇を継続して上演しています。まもなく「千々石ミゲルの墓と思われる石碑」の4回目の発掘調査が始まります。この調査で完結です。そこで、せっかくなので、この調査の価値を沢山の方に知っていただきたいと思い。演劇を創る際に調べたことなどから、過去、千々石ミゲルに何があったのかと、平成15年12月14日に石造物研究家の大石先生によって発見された「千々石ミゲルの墓と思われる石碑」について、あくまでも演劇人として記事を書かせて頂きます。2020/12/16”

諫早市多良見町山川内(ちょっと前までは伊木力と呼ばれていた場所)。石造物の研究をしている大石一久先生が「一度見てほしい」と連れて来られたこの場所に、その大きな自然石で出来た石碑はありました。前の記事に書いた通り、石の裏に千々石玄蕃(げんば)と刻まれているので、長年、千々石玄蕃の墓だと思われていたのですが、大石先生は見てすぐにそうではなく、千々石ミゲルの墓と判断しました。正しくは、石碑の表には男女二つの戒名が記されているので、千々石ミゲル夫妻の墓ということになります。その根拠についてはまた書くとして、なんにせよ、千々石ミゲルの墓だとしたらこれは歴史的大発見です。なぜ、大発見かといいますと、まず、千々石ミゲルの晩年はこれまで 謎 とされていたのですが、この石碑が千々石ミゲルのお墓ということになれば、ミゲルが晩年をこの伊木力という地で過ごしていたという新事実の発見にも繋がります。そしてもう一つは、実は、ミゲルを含む4少年がヨーロッパに渡った使節団「天正遣欧(少年)使節」についての史料、史跡は、この日本にはまったく遺っていません。勿論、ヨーロッパに行けば、それらの史料は沢山残っています。ですが、当時のキリシタン弾圧の影響もあって、この日本には、まったく遺っていないのです。ということは、これがミゲルの墓ならば、日本にある唯一の天正遣欧使節についての史跡となり、世界が驚く歴史的大発見となるわけです。

つづく

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千々石ミゲル墓所調査プロジェクトでは、2021年に行う予定の第四次発掘調査費用のご支援を募っております。皆様方のご協力を何卒よろしくお願いいたします。 HP→ 千々石ミゲル墓所調査プロジェクト

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