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「難民・移民フェス」座談会

M-net 2023年6月号の特集は「地域社会で暮らす難民」です。特集のなかから、「難民・移民フェス」座談会を公開します。特集の残りの記事の詳細は記事の末尾を参照してください。(本記事は、難民・移民フェスのnote、渡邊さゆりさんのnoteでも同時公開されています)

©難民・移民フェス実行委員会

<特集にあたって>
日本の難民認定率は依然として極めて低い状況が続いていますが、一方で、日本の地域社会で暮らす難民は確実に増えています。2022年には難民・移民フェス(移住連共催)が2回開催され、難民や移民が自分たちの国の料理や手芸品、音楽などの文化を披露し、訪れた市民と交流する機会にもなりました。また、2022年2月にロシアによるウクライナ侵攻により2千人以上の人々がウクライナから日本に逃れ、各地で生活を送っています。
すでに難民は日本の地域社会の一員として暮らしており、着実に地域社会での包摂も進んでいます。しかし、そのことは外部からはなかなか見えにくいものでもあります。また一方で、在留資格や住民登録がないことなどが影響として、地域で生活していくためのさまざまな手段は奪われたままです。そうした状況を踏まえ、この特集では各地の地域社会で難民当事者自身がどういう状況にあり、各地域での共生・包摂はどのように進められているのか、またどのような課題があるのか、について考えてみたいと思います。(編集部)

「難民・移民フェス」は、2022年の初頭にイラストレーターで文筆家の金井真紀さんと金井さんの友人、筆者が、仮放免者のCさんが作っているチリ料理のエンパナダを食べながら話した会話をきっかけとして始まった。周知のように、仮放免者は生活に困窮しているだけでなく、働くことも認められていない。しかし私たちは、いつも誰かに頼って暮らさざるを得ない状況が仮放免者の自尊心を傷つけていることが気になっていた。Cさんも、支えてもらうばかりでは恥ずかしいから、得意の料理を人にふるまいたいと言っていた。そのCさんが作ったとても美味しいエンパナダを頬張りながら、仮放免者が自分の得意なことや好きなことを持ち寄って、チャリティで販売できたらいいのでは、という話になったのである。

そこで、金井さんは周囲の友人たちに、筆者は移住連の活動を一緒にしていたメンバーに声をかけ、「難民・移民フェス」実行委員会を立ち上げた。数ヶ月かけてフェスのイメージや開催方法を話しあった後、2022年5月に第1回「難民・移民フェス」を東京都練馬区で、また同年11月には第2回を埼玉県川口市で開催した。どちらも数十人の仮放免者、難民申請者が参加し、1回目は約800人、2回目は大雨だったにもかかわらず1200人の来場者があった。また「出張フェス」として、他地域のイベントに出店したり、入管法改悪に反対する「お茶アクション」も行ってきた。

以下は、このフェスについて、金井さん、牧師でミャンマーの人びとをサポートしてきたアトゥトゥ・ミャンマー支援の渡邊さゆりさん、反貧困ネットワークの瀬戸大作さんの対談である。司会は筆者が務めた。

(髙谷幸)

T:髙谷幸、K:金井真紀、W:渡邊さゆり、S:瀬戸大作

「難民・移民フェス」を振り返って

T:1年ちょっと難民・移民フェスをやってきて、どんな想いかを改めて・・・。

K:想像以上に反響と広がりがあって、とてもうれしいです。昨日も(川崎市)桜本のお祭りに「難民・移民フェス出張編」としてお邪魔してきました。桜本はもともと在日コリアンの集住地域で、今は東南アジアや南米ルーツの人もいます。桜本の方たちは難民・移民フェスの1回目から足を運んでくださって、スピンオフ企画の「お茶アクション」にもわざわざ朝鮮半島のお茶を持ってきてくれました。昨日もコンゴ人の仮放免者がダンスを披露したらフィリピンルーツの中学生がカンパをしてくれて。桜本は移民の大先輩がいる土地、そして移民を受け入れてきた大先輩もいる土地なんですよね。そういう地域から応援してもらえるのがすごくうれしいし心強いです。

W:1回目の時、その時まではアトゥトゥがほとんどアクセスできていなくて、個人的には知っていた練馬にあるキリスト教会にいるミャンマーの人たちが聞きつけて連絡してきたんですよ。フェス当日、アトゥトゥブースで売っていた食べ物がなくなったじゃないですか。全部の食べ物が売れてしまった後にミャンマーの料理があって、それは彼女たちのグループが持ってきてくれたものでした。その地域にいる人たちが「練馬」っていうキーワードで引っかかって、ミャンマーのブースも出ているから自分たちが呼ばれたんだって思って、電話してきて、「私たちお料理しますよ」みたいな感じで、予定していなかった食べ物を持ち込んでくるっていうのはすごく面白いことだったと思います。拒む理由は何もないし、もうテーブルに置いてあって(笑)。本人たちがめっちゃ頑張って売って、それを全部アトゥトゥブースに寄付してくれて。そういう出会いが小さなブースであったのが、楽しかったなって思っています。門戸が広いっていうか、どの方向からも出入り自由になっているから。

 フェスをきっかけにして、ミャンマーの人が同郷の人と会うことができて、「やあやあ」みたいな感じになっていて。お互いを知らなかったんだけど、そこで出会って、そのあともやり取りしているみたいで、それもすごくよかったなと思う。

S:僕は、反貧困なんかでいうと、昔から稲葉奈々子さんが理事だったんだけど、移民や難民の話って結構マイナーだったの。でも新型コロナの問題があって、ささえあい基金を立ち上げた時に、僕らはあの時に仮放免の人たちの問題がここまで出てくるって誰も分かっていなかった。でも急にバンバンバンバンお金の申請が来るからさ、すごく驚いたね。多分、仮放免っていう問題が世間では全然知られていなくて、貧困運動のところでもほとんど認知されていなかった。コロナの中、数年やっていて、シェルターも30部屋あってね。ただ支援する側とされる側のバランスって段々いびつになっていく。そうした時に難民・移民フェスの話が始まって、僕らも救われたというか。関係性の作り直しっていうか、このチームでやっていること自体が。

 僕、パル(生協)だったじゃないですか?組合員さんたちがこの問題しっかりやりたいよねって、フェスに来てくれるわけですよ。そういうことを通じて、地域の中でしっかりやりたいよねって雰囲気ができたことはすごい大きかったのかなって。広がっている実感が少しだけどもある。支援は日常的にかなりつらい状況になっているけど、こちらは準備から含めて、このメンバーも言っちゃえば緩いからさ、それも含めて自分たち自身がここで元気になれるっていう。

©難民・移民フェス実行委員会

緩さとごちゃ混ぜの空間

K:緩いっていうのは褒め言葉ですか?(笑)

S:そうそうそう。いろんな意味で(笑)。褒め言葉だよ。

T:みんな緩いと中々進まないですけどね。

一同:(笑)

W:ある意味、感性、感受性でヒットしていく人たちが、この運動に巻き込まれていって、面白く、緩くつながっていく。そういう人たちが巻き込まれて行くのがこの課題には大事なのかなって思います。「善なる悪」って結構あるんですよ。自分が関わっている仕事で、いわゆる外国人の、特に困窮状態のある人と一緒に何かしようかなって思ったら、明らかにこれは社会通念では「違反」とジャッジされそうなんだけど、でも魂の問題としては「善」なんだよってレベルのものがあって。そういう「善なる悪」を感じていく。人はフェスを楽しみにし、「寛容」を耕されていくのかなと思って。めっちゃたくさんお金使うじゃないですか、来る人が。でも来る人は皆がお金持ちなわけではない。タガが外れている。そういうなんか突き抜けたメンバーがたとえば雨の日に1200人来たりするんだなって。

K:たしかに突き抜けてますね(笑)。みんな「今日はお金を使いに来ました」ってテンションですもん。どんな味なのかもわからない異国の食べ物をどんどん買ってくれる。冷静に考えるとおかしいですよ、あの空間は。

T:みんなが魔法にかかってますよね。

K:そうそう、魔法の空間。

T:雨の時とか、参加者はどんな思いで来たのかなって思うんですが。

W:雨だから自分が行かねばならないって思ったのか(笑)。

K:野球やサッカーでも熱狂的なファンになると「自分が応援しないと負ける」って信じ込んでるじゃないですか?あれに似た心理ですかね。フェスは、当事者やスタッフはもちろん、来てくれるお客さんも「自分はメンバーの一員だ」と思ってくれてるみたい。

 昨日の桜本のお祭りでもコンゴ人が踊り出したから私たちも踊って、それを見て地元の人も踊ってくれて、しまいには取材に来ていた新聞記者さんも一緒に踊ってくれた。すごいカオスで楽しかったです。そのとき、ああもうみんなも踊った方がいいなって思いました。私も含めて、ふつうのおじさん、おばさんが踊ってるのが最高にいいわけ。

T:なんか見世物にならない感じがいいですよね。みんな巻き込んで。

K:瀬戸さんがいつも言うように、当事者も支援者もごちゃごちゃになってどっちが支えているんだかわからないっていうのが理想ですよね。

©難民・移民フェス実行委員会

印象に残っていること

W:お茶アクションのときに大学生2人が話にきてて、「仮放免って何ですか」って質問されたんです。説明を一生懸命した後、「一緒に来てくれたボランティアのお茶を入れてくれた人ミャンマーの人たちだから、聞きたいことあったら聞いてみれば」って言ったら、その2人が「今一番やりたいことってなんですか」って聞いたんですよ、当事者に。そしたら、(ミャンマーの方が)しばらく考えて、「帰りたい」って言ったんですよ。涙を浮かべながら「帰れるんだったら帰りたいです」って言った。そしたらその2人の青年が一緒に涙をこぼしてお茶を飲んでたんですよ。私は横で釘を刺されたようになってて、あの一言はすごかったねーって。そしたらその2人がまた来ますって言って帰って行って。

K:やっぱりリアルな声を聞くと全然違うよね。

W:こうお茶を飲んでるんだけど、そういう一言に刺される人がいるっていうことを知らされたなって思って。いろんな本とか説明とかすべてを越えた世界があるんだなって。

K:チャイハネ(第2回のフェスに設置したお茶コーナー)でも「入管に収容された人に初めて会いました」って衝撃を受けてた人がいたみたいです。私もそういう話を最初に聞いたときのこと、忘れないですもんね。ニュースや映画で見た話が現実にあるんだって実感する。目の前で朗らかに話している人が、実は(収容が)何ヶ月とか、何年とかね。「えっ、この人があんな所に閉じ込められて」ってびっくりします。

S:そういう出会いの中で、なんか友達になっていくというかね。フェスで話しているのをみて、これ友達になるなって思った。毎回来たりとか、連絡先を交換し合って、うち遊びにおいでよって、そういうきっかけになりそうな感じがね、何回も何回もやってると。話し方がもう友達なんじゃね?って。会話の仕方がそうなんだよ。そんな雰囲気になっちゃうんだよな。それすごくいいよね。

T:他に印象に残ってる話はありますか?出来事とか。

K:コンゴ人の友達の話で言えば、「俺はフェスの準備に忙しい」っていうアピールをすっごい嬉しそうにしてくるわけですね。「今日は朝からミシンをやったぞ」って誰も聞いてないのにアピールしてきて。ビデオ通話してきて、画面の向こうで気取った仕草でアイロンかけたりね(笑)。いつもは「あそこが痛い」とか「お金がない」とかそういう話で、こっちもつらくなるんだけど、フェスの前になるとすごく生き生きしている。自分の役目があるって本当に尊いことだと思います。フェスのお陰様です。

S:変わるんだよね。高円寺の夜市に出店した仮放免者も最初、機嫌悪くて、ぶつぶつ言ってるわけ。テントもないのに何ができるんだって顔してるわけ。それが終わった後、車の中で「今日はありがとう」って言ってきて。「みんなで笑って料理出せてめちゃくちゃ嬉しかった」って初めて言ってきたの。この変わり方すごいなって思ったよ。彼を普段からサポートしている支援者に聞いたら、本当に料理が好きで、だけども行くまでは不安で不安でしょうがなくて、着いたら彼もレストランで働いてたら、まさか露店で雨も降ってて、それでもやれみたいなところから始まっているわけで。それが全部完売だったの。一人一人の一日での心の変化が垣間見れるから面白いよね。

K:また張り切ってる人が一人いたら、そのテンションがみんなに伝わるんですよね。

T:普段はその場が本当にないじゃないですか。

W:日本に来て、張り切らせてもらえてないっていうのが本当によくわかって。ちょっとした負荷もあって、人間関係のストレスの中とかも張り切りに必要じゃないですか。「何やねん!」って思う力とか、そういうのも奪われていくから。

S:普通の会話、人生だよね。そういうことができるように少しずつなっていってるかなと思う。支援する側と支援される側じゃなくて、普通の会話をするっていうのが、そういうのがあちこち起きるといいじゃん。それで仮放免の問題について知る。だけども人間として話するみたいな。

K:川口でチャイハネを担当したBさん(イラン人の仮放免者)は、「仮放免の他の国の出身者の人とこんなに会ったり集まったりすることがなかったからそれが嬉しかった」って言ってましたね。出身国が違うもの同士がやりとりして、それもいい風景で。中には「入管に収容されてた時期が一緒だったね」なんて人もいて。改めて笑顔で会えて、LINE交換したりしてて、あーそうか、そういう場なんだなーと思いました。

©難民・移民フェス実行委員会

これからのこと

T:反省とかはありますか?

一同:反省か〜(笑)。

T:じゃあ、これからやりたいこととか。

W:やりたいことの方がいい。

S:そう。反省してもこのグループはあまり意味がないから(笑)。

W:やりたいこといっぱいありますよ。違う地域でやりたい。旅行届けを出してバンバン持っていって(笑)。バス借りて行って、福岡とかガーンって行って、それで福岡にいる福岡入管の近くの公園とかでみんなでやる。あとは遊園地とか。

K:それ相当楽しいですね。

W:すんごい面白いと思うんですよ。そのバスがカオスになると思うんですよ。

S:僕は、キッチンカーをやる。車買ってキッチンカー作っちゃうから、それで色んなことやりたい。今度板橋にシェルター借りるのよ。Mくん(反貧困ネットワークのミャンマー人スタッフ)が言ってたのは、リサイクルショップとか自分たちで事業やりたいって言ってたの。自分たちで仕事を作っちゃうみたいな。それは僕の元々の夢でもあったんで。年末にミャンマーおにぎり作ってもらった時に、Bさんがお茶一緒に出してたじゃないですか。自分が貧困なのにさ、一生懸命いろんな相談会に行って彼がお茶を出すわけだよ。あれをみた時に僕はグッときてるわけ。ああいう姿を見ると、本人たちが中心になってやれること、やりたいことをやらせてあげたいというふうに思って。

T:みんな自分がやりたいことやっていけるんだって思える。

K:Bさんが言うには、自分は日本に来てからずっと無き者にされてきたと。存在がないっていうか、可視化されない「いない人扱い」だった。でも今はお茶を淹れていると、みんなが見てくれて、一人前の人がいるって扱いをしてくれるんだと言っていた。これまでが酷すぎたってことなんだけど。

S:そうか、笑顔の理由は、そういうこと(=一人の人間として扱ってもらえたこと)やな。

W:自分の国のこととか地域のこととかを表現できるし、プライドを取り戻すきっかけだし、友達ができる。誰かを知るっていうか、もっと誰かを知れるし、知ってもらえるっていう嬉しいことですよね。

K:縮こまって「ありがとう」って言うばっかりだった人が、自分がありがとうって言われる側になってお茶を渡せるなんてね。

T:嬉しいよね。

S:それが一番良かったんじゃないか。

W:そういうのを考えたらフェスも、ユース世代を巻き込める何かがあったらいいなと思う。しかもその子達がいろんな国の人と出会って行けたらいいなと思って。

T:ありがとうございました。これで、座談会終わります。

W:でも、遊園地に行くのはやりたいな。

©難民・移民フェス実行委員会

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