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食べ物の話(家庭の影響編)

 好き嫌いな食べ物は人によっていろいろあるだろうと思う。むしろ好き嫌いがない人というのはそれだけでも立派な長所だ。

 今日から不定期で食べ物の話を書こうと思う。もちろん書評(今4作品目を読んでいる最中)もやる。通常更新の合間合間に書けたらなと思う。

 ところで食べ物の好き嫌いについては自分の好みの他に家庭の環境が色濃く出る場合がある。その例をいくつか書いてみます。

 まず一つ目として思い出されるのが「納豆」だ。父親が関西の人で母親が北陸の人、つまりはふたりとも「関西系」だから納豆が嫌い・・・というわけではなく父親が嫌いなだけだ。母親は食べれるらしい。その影響で我が家では朝食に納豆とか食事のアクセント、つまりは副菜的なところにアクセントとして納豆が登場することはない。それが影響したようでどうもあまり好きではない。ちなみに食べることはできる。ただあまり好きではない。言うなら出された時に避けれる手段があるなら避けるし、避けれないなら食べるぐらいの微妙な好みだ。納豆は今でも個人差の分かれる日本固有の食べ物であるがホテルなどなどの「強制的に朝食として出される確率が高い食べ物シリーズ」の一つではあるので克服はしたほうがいいと思う。ちなみに大人になって克服した食べ物はいろいろある。その話もまたどこかでいずれ。

 そして問題の二つ目だ。それは「果物」だ。家族で食事をしている時に弟も話していたことだが、うちら兄弟二人はどちらも果物があまり好きではない。食べることはできるのだ。だがあまり好き好んで食べるわけではない。出されたら食べるぐらいな認識らしい。これについては思い当たるフシがあり家で果物が食卓に並ぶことが非常に少なかったことが原因だ。これは今になって母親も自覚していることで「もっと出しとけばよかった」という声を聞いたことがある。

 そもそも果物がどういうタイミングで出されるかというのが自分はあまり良く分かっていない。入院したときのお見舞いの品のテンプレートの一つなイメージがあるがそれぐらい。食卓に果物が出るタイミングが自分の中で本当にイメージがつかないのだ。何かのお祝いのデザートなのか? ドラマのワンシーンぐらいなものを想像しないと出てこないぐらい自分は果物の立ち位置が本当に分かっていない。デザートなのは分かる。出されるタイミングが良くわからないのだ。

 この「果物があまり好きではない」問題も大人になってだいぶましになったほうである。幼少の頃はイチゴが苦手だったのでイチゴのショートケーキとかいうお祝いとして出て来るであろう超メジャーなケーキが食べれなかった。自分が誕生日のときはチョコレートケーキにしていたのを本当によく覚えている。またりんごやなしといったものは幼少の頃から「好き」な方として食べることはできた。ただ1,2つで十分だなと思った認識だ。イチゴ、キウイんといった中が柔らかい系はおとなになって克服したものシリーズの一つである。さくらんぼは食べたことあったかな・・・ぐらいのレベルなので少々危険なのかもしれない。そうそう、みかんはそう言えば一番よく家に置いてあったことを思い出した。ただほとんど手を付けなかった。これも一応食べれるレベルらしいがやっぱりあまり好きではないに収まっているように感じる。


 ちなみにこの「果物があまり好きではない」問題はあくまでもそれ単体で出てきたときの問題である。リンゴジュースやオレンジジュースといった風に加工されれば普通に飲める・・・ただしオレンジジュースは今でこそ100%も飲めるようになったが、あの100%に近い時に存在するあのつぶつぶ感は苦手だ。ちなみに今も飲めるけどつぶつぶ感が増すほど得意ではないことには変わっていない。


 このように家庭内の食卓の影響は思ったほどに受けるものだ。この食卓の影響に着いてのネタはまだまだあったりする。自分の家が特殊だったのかは分からない。ただもし子育て真っ最中の方がこれを見ているなら一言言おう。


果物はもう少し出してあげたほうがいいです・・・。


親からの子への影響は思いのほか受けています。大人になってからのある程度の克服はできるものの幼少時の記憶は手強く残り続けています。



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