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今だから書けるサムネイル裏事情(note初期編)

いつからかだったか・・・毎日noteを投稿するだけじゃ面白くないし、あるいは覚えてもらえないと思ってサムネイルをすべて自前で用意するようになった。

自分のnoteのサムネイルにはわずか一年にもかかわらずいろいろと変革があった。noteをはじめた去年の今頃のサムネイルは「ぱくたそ」さんのフリー写真をずっと使っていた。

この「ぱくたそ」さんの画像は本当に使いやすい。向こうはプロだしどれも個性的な写真が多く面白かった。今はもう自前に移行してしまったから時効的な意味で書くが、実は「ぱくたそ」さんの写真だけを使っていたというのにはちょっとした裏事情がある。

どんな裏事情かというと1つ目は著作権のやりとりがおっくうだったというのがあげられる。著作権に対しての意識は昔に比べて大きく変わった。まだまだこれについては勉強不足なため言及しにくい話になるが、インターネット上では自由の名のもとに今日も著作権を無視した格好のサムネイルが多く誕生している。

これらのサムネは確かにインパクトが強いし、とても有効的な手段の一つだと思う。しかしそれはどうなんだと自分の中で疑問が湧いた。あとであれこれ言われそうな著作権無視した画像を使うぐらいならある程度自由に使える「ぱくたそ」さんの画像を使ったほうがいいのではないか。これが1つ目の裏事情である。「ぱくたそ」さんは幸いにもすべて無料で何度でも使える。そしてここを使おうと思ったのは使用した後にリンクやクレジットなどの報告の義務付けがないということだ。これは使いやすい。

・・・と少しばかり「ぱくたそ」さんを持ち上げてしまったが、裏事情2つ目も少し持ち上げる話になってしまう。それは「ぱくたそ」さんのサムネイル画像をいつも使っている人=migminという図式を成り立たせたかったということだ。

この概念は今の「ダンボーのサムネイルをいつも使っている人=migmin」という図式と発想はまったく同じだ。今までいろんなインターネットの世界を見てきて、「◯◯といえばこの人」という図式ができている人はインターネット上ではとても強い。強いというのは変な言い方だが、個性がしっかり出ている人という証であり、この◯◯のインパクトが強ければ強いほどよりこの図式は強固となり知名度や何やらが広がっていく。

これを自分は狙っていた。結果としては誰にも気づかれず弱いものになってしまったが今の戦略としてある程度あたっている以上方向性としては悪くなかったと思う。

このように文章ではないが、サムネイル一つに対しても自分は小さなこだわりを持っている。文章がいまだにうまく書けないからこそ周りの見えるところをうまく補強するという考えなのかもしれない。


ちなみにこんな事情のせいか今でも他人のnoteなどのサムネイルで「ぱくたそ」さんの画像が使われていればすぐ見分けがつく。あっ、これ「ぱくたそ」じゃね? 使いやすい分、目にしてもわかりやすいというのはフリー素材ゆえの悩みどころである。

なお今日のサムネイルは明日からやるだろうものをヒントして置いた。本当にできるかはわからないが一つの挑戦である。

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