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あなたの壁も破壊する、自己表出の勇気 〜arca 「kick i」レビュー〜

 その衝撃的なビジュアルとノンバイナリーというポジションから、本作もまたarca自身のパーソナルな作品の一つと思われるかもしれない。しかし、それは違う。この作品はあなた自身の自己規定も同時に蹴破る、あまねく人々のパーソナルな作品にもなり得るからだ。

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 各所で評判のarcaの新譜「kick i」。彼女の前作、セルフタイトルの「arca」が彼女との初めての出会いだった。美しさと暴力性をオペラティックに歌い上げる新しいエレクトロは非常にショッキングだったものの、当時そこまで聴き込むことはなかった。しかし。本作については再生ボタンを押すことに少しだけ恐怖を感じながらも、何度も聞いてしまう。それは彼女の最新作が非常に外向きな作品に他ならないからだ。

 彼女のアイディンティティを晒け出すかのようなおぞましいアブストラクトなビートは、私たちが社会の規範性を用いて目を背ける暴力、エロス、生、死などの概念に対して、彼女なりの回答を真正面から浴びせてくるから、聞いていて心かき乱される。1秒ごとにシチュエーションの違う嵐にさらされるような気分になる。特に、先行シングルが発表され本作にも収録されている「mequetrefe」がそれを如実に表現していおり、次世代のaphex twinとまことしやかに囁かれることに違和感はない。

おぞましくも美しい、最高の映像作品。

 彼女の内なる流動性がなんの迷いや羞恥もなく晒け出され、音と映像を通して鼓膜を震わし体の中に流れ込むようである。特に、暴力的ながらポップで妙な明るささえも感じ取れるようなこの曲のポイントには、リンクの「mequetrefe」をはじめとして「スペイン語」にて歌われる楽曲が含まれているからではないだろうか。
 彼女の出身・南米ベネズエラの公用語であるスペイン語を用いた彼女の歌声は初出ではなく、前作では内省的でオペラ的に美しく歌い上げるような歌唱で用いられた。しかし、今回はヒップホップ(あるいはレゲドン)に接近したアプローチにより、少なくともワールドミュージックリスナーか「やんちゃな人」でなければ普段お耳にかからないような発音達がより鋭角になって、砕け散るビートに乗る。今まで聞いたことのような新たな楽器に出会ったような、そんな発明にも近い感覚を覚える。その言語は、意味こそ瞬時にわからないものの、arcaのむき出しの表現をパッケージするにふさわしい。
(いささか飛躍した比較だか、現在の日本で人気を博している藤井 風が方言(岡山弁)を扱い、R&B的な楽曲に引っ掛けるクセを見出したのも、arcaと同じように「言語の発掘」を見出した作品の一例なのではないだろうか)


 母国語を大胆に用いた彼女の表現はもはや新次元の快楽を求める貪欲さすら感じるポップスだ。しかし、不思議なのは聞き手(私達)の内側からもなにかが誘引されることだ。それは上述にもあるような、暴力性やエロス、享楽などかもしれない。なぜだろう。
 そんな種々の概念・要素は何も彼女の専売特許ではなく、私たちにもあるものだから、というのが私の回答だ。彼女のテーマでもある自己の規定の破壊、これは「kick i」というタイトルについて彼女が既に言及している通り、彼女自身の周囲に存在する壁を破壊するという意味がある。ジェンダーや、美しさ、暴力性について既に規定されている壁を破壊することは、不安定で流動的な状態にさらされることを意味する。これまでの教育や社会常識、経験が全く通用しない、未知の世界へと裸で投げ出される恐怖があるからだ。それでも、その恐怖に向き合い、晒け出す自己表出の勇気が本作の重要なファクターである。それは、性的な属性をどう捉えるか、という次元を超えたarcaという「ある一個人」の究極の表現としてまで高まっている。

 語弊を恐れずに言えば、美しき変態性はどんな人間にも備わっている。ただ隠していたり、無意識下に潜んでいるだけなのだ。だから「kick i 」でそのドアをノックされると私たちはドキドキしてしまうのだろう。しかし、心配しないで欲しい。本作は非常にポジティブな作品だ。歪で恐ろしくても、あなたがこのアルバムを聞いたままに感情をさらけだし、常に変化し続けることを受け入れる勇気があらんことを(と彼女も願っているはず)。


 


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