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つまらないドラマを観るような、そんな気分〜Connan mockasin「Jassbusters」〜

 『Jassbusters レビュー』で検索。個人のレビュー(音楽ブログ)は1件しかヒットしなかった。そのブログの締めには「このグループに近い感じ」とkhruangbinのURL。マジかよ、と正直思うがkhuruangbinのタイ・ファンクに根ざした東洋的なアプローチとconnan mockasinの親日性?(アルバム『caramel』も東京でレコーディングされていた)がリンクしたのだろうか。いや、このアルバムを語るのには、非生産的な黄昏の話をした方がずっと面白いんじゃないだろうか。


 1曲目の「chalotte`s song」のギターのなんと見事な曲がりよう。音楽が時間芸術であるとするなら、本当に時間が曲げられているように感ぜられるギターである(個人的には空間すら曲がっているように思う瞬間も)。曲のテンションに対して、リラックス感と同時になにか得体のしれない強い力が同居しているのが凄まじい。まさにサイケ冥利に尽きるところであり、国内アーティストであれば坂本慎太郎のソロや近年のogre you assholeがやろうとしている「ぐにゃっと感」を完全にモノにしている。
 「con conn was Impatient」でも同様のギターサウンド。なんだがモコモコしているのに必要以上の存在感を出していて、見えないなにかを触っている気分になる。コード進行自体は明るくてリラックス感のあるものだが、妙な艶かしさに精神がぬるま湯につかるが如く気持ち悪さを感じる。同時に、それに身を委ねることの快楽もある。

 ギターという楽器は、ピアノなどに比べて音程があやしい楽器である。ミュージシャンがステージに上がるや否や、ギターの上の方をいじっているのを見たことがあるかと思うが、あれは「チューニング」であり、構造上ピッチを都度確認する必要性に強いられている(例えば、ピアノは比べれば安定感のある楽器であり、毎回ピッチを合わせる光景は相当珍しいだろう)。しかし、音程が揺れやすい楽器であるからこそ、数字で割り切れない直感的なプレイに訴えかけることができるというメリットも存在する。ジミヘンのギターなんかは楽譜にする余地がないぐらいエモーショナルで直感的だ。グラウンドピアノで同様の表現を再現するのは、楽器の構造上ナンセンスだろう。
 cannonのギターはそのところで言えば、不安定さを完全に使いこなしている。少し間の抜けたようなファニーかつシュールなサウンドは無邪気なようでいて、むしろ全てのアプローチが完全にアンダーコントロールに在るような、恐ろしささえ伺える。思うがままにギターの音を通して時間・空間を捻じ曲げているような気がしなだろうか。

 では、なぜ「jassbusters」が時間・空間を「曲げた」のか、あるいは私(達)が「曲がった」と感じたのだろうか。
 実はアルバム「jassbusters」というタイトルはconman mockasinが制作する5部構成の「bostyn 'n dobsyn」というドラマから由来する。生徒と教師のホモ・セクシュアル的な関係性を描く(学園物?)メロドラマであり、connan本人が演じる教師bostynが参加している教師バンドの名前が「jassbuseters」なのだ。このアルバム自体もドラマを見た後に聞くことを念頭に作成されている(connanは観なくても楽しめると言っているが)。
 このメロ・ドラマを念頭に制作されたという前情報を知る前に「chalotte`s song」を聞いた瞬間、「昼メロ」というワードが脳みそからはじき出された。それはアルバムジャケットの気だるい夕暮れ時のテレビに誘導された部分も少なくないが、国境・言語を超えてそのフィーリングが共有されることの興味深さよ!

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 学生時代、夏休みの長期休暇にすることもなくテレビをつけると普段目にしない昼メロであったり、2時間刑事ドラマの再放送が流れていたりするものだった。BGM代わりにつけっぱなしにして、何をするでもなくソファに転がり、長く引き延ばされた時間が過ぎるのをぼーっとしながら待ち続けてた。ふと強い西日が差すことで夕方になったことに気づき「ああ、1日何をしていたのだろう」と精神と肉体がダウナーへと落ちていく。
 非生産的な時間を過ごしてしまったという虚しさとつまらなさが混ざり合った夕暮れ。郷愁から来る若干の妄想も混じっているだろうが、それでも「jassbusters」を聞くとそんな気分に強く襲われる。部屋のなかでどうすることもできない非生産性に全身が浸される。
 
 「bostyn 'n dobsyn」を日本国内でも見られないものかと現在探しているが、今のところ見つけられていない。conann自身がど真ん中の面白さを狙って本コンセプトを組み立てているのならこれ以上失礼なことはないが、このつまならさ・非生産性を悪趣味スレスレで、サイケで気怠い心地よさに落とし込んだ面白さを、どれぐらいの人が感じ取っているのだろうか。是非「bostyn 'n dobsyn」を観ながら、夕暮れに語り合いたいものである。


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※「bostyn 'n dobsyn」自体はコミック等で20年以上も私的に温められていた。また、録音についても「jassbusters」というコンセプト上、バンド編成にて行われている。




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