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向き合う、闘う

長い間更新をしていなかったから、このままアカウントを放置しようかと思っていた。
なんだかもう、このアカウントを通して、自分だけど自分じゃない存在になって、世の中に何かを吐き出さなくても、なにも問題なく生活できるようになっていた。
それでも、なぜか久し振りになにかを書きたい衝動に駆られた。
そういう人間なんだろう。

これまでは、いろいろと気にして書いていた。
一人称は「私」か「僕」か「俺」か「自分」か。
結局どれもしっくりこなくて、無理やり一人称を使わないで文章を書こうと試行錯誤していた。
なんだかかっこいい言い回しじゃないと、どこか気持ちが悪かった。
今回はそんなことはあまり気にしないで書いてみよう。

ちょうど3年前の今日、人生で初めて手術を受けた。
ミギシタモエルの名の由来となった、腹部の炎症に関する手術だった。

当時はいろいろと絶望していた。
体の体調は悪く、それ以上に心が荒んでいた。
このままこの絶望的な状況の中で自分を殺して生きるより、実家の角部屋に引きこもってなにもしないで生きたほうがマシだと、心底そう思っていた。
おそらく、それまで「優秀さ」を身にまとって生きており、「ダメ人間」だというレッテルを張られた経験が初めてだったから、心底辛かったのだろう。
よほど辛かったのか、当時のことを今はあまり思い出せない。

腹を開いても体調は良くならず、結局会社を辞めた。
それまで何年間も乗ってきた、同年代との競争から降りた感覚だった。
「ああ、やっと競争から降りられた」としか当時は考えられなかった。

とはいえ、そのままニートになるのが怖かった。
だからといって、「俺をこんな競争に巻き込みやがって」と社会に対する恨みも強烈だった。
そこで選んだのが、大学院受験だった。
「大学院に入れば、競争の原理から抜け出して、自由に『真理』を探究できる。知は俺を助けてくれるんだ」と当時は強く思っていた。

実際、大学院はそれまでの生活と比べて遥かに楽しかった。
一人ひとり問題意識を持ち、立場が違くても(ある程度)対等に議論が可能で、他者を無意味に傷つけようとする人はいない。
おそらくあのまま会社に残っていたら、今も生の感情が死に、世の中を恨み続けながら、1Kの部屋でなにもできずにいただろう。

ただ、大学院生活もそれなりに辛かった。
やっぱり研究は大変で、研究報告の際には、毎回鋭い指摘にタジタジになっていた。
それでも、基本的に周りには優しい人しかいないため、幸いハラスメントといわれるようなひどい仕打ちは受けなかった。
SNSでの全国の院生の嘆きを見ていると、自分は救われているほうだと思う。

とはいえ、院生も含め多くのアカデミアの人間も、もちろんみんな完璧人間ではない。
特に、連絡をしっかり取ることができない人、締め切りを守ることができないは非常に多かった。
相対的にそれらができる自分は、結構な頻度で連絡や締め切りを管理する役回りを担わされ、毎回のように苦労していた。
それでこれまで何度困ったことか...。

まあそんなこんなで、修士の2年間を終えることができた。
なんだか大変だったことも結構あったけど、とりあえず進学することにした。

そしてこの4月5月は、諸々の申請に大半の時間を費やしていた。
諸々といっても、大半は金にまつわる申請だ。

とにかく金がない。
厳密にいえば、金がないわけではなく、このままではこの後金がなくなることが目に見えているから辛い。
金に不安を覚えることがこんなに辛いのかと、日々実感している。
怖くて口座残高をあまり見ることができない。
それでも、本だけは買うようにしている。
それができなくなったら潔く研究をやめようと思う。

そして、申請書には必ず将来設計を書くのだが、これを書くたびに不安になる。
自分はいつ頃なにをしているんだろう。
5年後くらいにはちゃんと食べることはできるようになっているのだろうか。
親のすねを齧り終える前に、ちゃんと独り立ちできるのだろうか。

こんな日々を過ごす中で、最近は落ち込んだり悩んだりすることも少なくない。
それもこれも、おそらく自分が心から研究が好きな質ではないことが理由なのだろう。
周りを見ていると呼吸をするように先行研究を読んだり、毎日のようにいろいろな場所を飛び回ったりと、やる気と元気にあふれる人ばかりだ。
翻って自分は、必要な時だけ大学に行く以外は、自宅でダラダラ作業をして、Zoomでミーティングに参加して、飽きたらベッドでネットサーフィンをしているばかりだ。
そんなんだから、締め切り間近になってやっと焦りだし、寝ずに書類を仕上げ、急激に頑張りすぎることで腰を痛めて、といったサイクルを繰り返すばかりだ。
まるで知識のインプットが足りていなければ、その分有意義に時間を過ごしているとは口が裂けてもいえない。
そんな自分に絶望しているばかりだ。

まあこんなダメ人間でも、最近少しずつネガティブな気持ちを抑えられる気持ちになってきた。
やっとダメな自分を許すことができるようになってきた。

頑張れないときには「しょうがないか」と一言唱える。
なにかしら理由をつけて、頑張れないことを正当化する。
嫌なことから逃げているだけかもしれないが、逃げられずに身動きが取れなくなった3年前を思い出せば、今のほうがマシなのだろう。
頑張れない自分を愛することは難しいけれど、許すことができればそれでいいんじゃないか。
そう思うようになってから、今でも絶望してばっかりだけど、以前より多少は絶望感が薄まった感じである。

たぶん、自分は研究をやめても生きていくことができる人間だろう。
真理の探究とやらは確かに面白い。
けれども、日夜頭を回転させずに過ごす、それほど刺激のない日々もたぶん悪くはない。
先行研究を読み、その課題を見つけ、問いを立て、データを集め、データを分析し、それを考察する。
こんなことをしなくても、世の中の不思議なことを誰かと話して、ああでもないこうでもないと言い合うことができれば、それでいいのかもしれない。
今はただほかにやることがないから、大学院生として、研究といえるかわからない、なんだかよくわからないことをしているだけなのだろう。
やりたいことが見つかれば、研究を手放すこともできるのだろう。

結局今、自分はなにをしているのだろう。
なにと向き合い、なにと闘っているのだろう。

研究活動か、研究の背後にある社会問題か、将来への不安か、何者にもなれないかもしれないことへの恐怖か、怠惰さか、絶望感か、社会か、ほかの研究者か、政治家か、それとも自分自身か。

よくわからない。
よくわからないけれど、おそらく生きている間は、なにかしらと向き合い、闘うのだろう。
そうなのだろうし、それでいいかもしれない。

こんなように、たぶん自分は生きるのが決して上手ではない。
不器用だし、それを補うほどの活力もない。
そのくせプライドは高く、いつも傷つくことを恐れている。
なんでこんな人間になってしまったのだと、常日頃後悔している。

ただ、もしかしたらこんな自分でも誰かの役に立つことができるかもしれない。
この闘いの日々の中でも、誰かの役には立ちたいし、他者へのやさしさだけは忘れたくない。
家族や友人だけでなく、見ず知らずの人の幸せには笑い、不幸には泣きたい。
困っている人がいたら、できる範囲で助けたい。
実際、今朝も駅のロータリーで困っているご婦人の質問に答えた。
これができなくなったら、自分の人生は終わりだ。
人生が終わらないように、明日もなんとか正気を保っていたい。

また気が向いたら書こうっと。

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