"バーベンハイマー"する為に韓国でオッペンハイマー(2023)を観たのはなし
日本では"バーベンハイマー"(2023年の夏映画、グレタ・ガーウィッグの"バービー"とクリストファー・ノーランの"オッペンハイマー"を梯子して楽しむこと)が叶わないことはわかっていた。
ノーランのビッグネームが付いていようが、原子爆弾の産みの親というセンシティブな内容の映画は、夏に堂々公開なんてする訳ない上に、日本での公開情報がゼロだったので、冬にこっそり公開するんじゃないのかなというのが普通の感覚だった。(23年11月現在も情報は無し。アマプラでは11/21配信予定!)
「ブーム覚めやまぬ内にオッペンハイマーをいち早く見たい!!」というミーハーさから、私はちゃっかり公開日に観ることに成功しましたの解説いたします。*しっかりネタバレ含みます。
↓バービー(2023)の感想はこちら。"バーベンハイマー"についても解説しています。
やってきたのはお隣、韓国の釜山。ウェブ予約には韓国の電話番号が必要だったので、公開日前日にわざわざ現地の映画館で予約するというアクロバティックな金の使い方をしたお盆でした。
という訳で3時間もある"オッペンハイマーをIMAXドルビーサウンドの最前列で見る"という今年の夏の夢が、めでたく叶いました。
結論から言うと、ノーランらしい完成度の高い映画ではあるものの、派手さやワクワクさが欠けるかな?という印象でした。
今作は原子爆弾開発をリードし、"原爆の父"として知られたユダヤ系理論物理学者、ロバート・オッペンハイマー(1904–67)の伝記映画です。
今作もノーラン特有の"情報を時系列バラバラに提示することによって生まれるどんでん返し"は今作にも少なからずありました。また、まさかのロバート・ダウニーJR演じる(全然気づかなかった!)ルイス・ストラウスのオッペンハイマーへの絡み方が"プレステージ(2004)"で描いたような男の嫉妬だったので、ここでもノーランの趣向が垣間見えました。
ただオッペンハイマーの"雨の滴を原子に見立てる幻想"のような"オッペンハイマーが見ている世界"を映すシーンがもっと見たかったのが正直なところです。映画ポスターの"原爆の爆風の前に立たずむシーン"こそ幻想としてでも見たかったです。
ストーリー上、映画が露骨に2部構成に見えてしまうのも特徴的でした。
前半は研究員だったオッペンハイマーがニューメキシコでの核実験(マンハッタン計画)を成功させるまでの道のりを描きます。原子爆弾の仕組みをわかりやすく説明するために使われた"金魚鉢とワイングラスにビー玉が注がれて行く様子"が演出としても使われ、原爆実験が実行に移されていくにつれて緊張感が爆上がりしていきます。
実験のカウントダウンのシーケンスは最前列だと冷や汗を掻くほど緊張しました。CG嫌いで有名なノーランは今作もCGを使わずに、爆発シーンをナパームをめちゃくちゃに焚いて原爆を再現してました。最前列で観る価値はありました。
問題は映画後半。オッペンハイマーの影響力を消そうとするAEC(アメリカ原子力委員会)に対抗するオッペンハイマーと友人たちという政治的な対立構図で話が進みます。
戦後、オッペンハイマーは核開発の制限や核軍縮を訴え始めます。これを受けてAECは非公開の公聴会を開き、オッペンハイマーの左翼活動をしていた過去や、ソ連のスパイ容疑を持ち出したりしながら、オッペンハイマーの権力をもみ消そうします。
決してつまらないわけではないのですが、ビジュアルも圧巻だった核実験のシーンからの、クッソ狭い部屋で回想を入り混ぜながら延々と裁判をやっているので、絵的にはあまり面白くない構図でした。
緊張感の張り詰めていった前半と同じ、もしくはそれ以上の時間をかけてスローなドラマが展開されるで余計に長く感じたので後半はもっと短くてもよかったかなと。(今作では映画の流れをぶったぎるような"唐突なセックスシーン"で眠くなってきた頃合いの観客の目を覚ますという荒技も使っていました。笑)
気になっていた今作の戦争描写は非常に興味深かったです。それは"戦争のシーン"が一切ないからです。あくまでもオッペンハイマーとその周辺の目線のみで戦争とは関節的に話が進んでいく、そリアル志向な映画でした。
そして、今作は原子爆弾や大戦でのアメリカの行為を肯定や美化せず、むしろ全体的に反戦じみたトーンになっていました。それは作中、執拗に"ヒロシマァ"と"ナガサァキを連呼していたり、日本人をあえて"ジャップ"と呼称していなかったことからも伺えます。
印象的なシーンが2つあったので紹介します。どちらも原爆を肯定的には描いていません。そして同時にオッペンハイマーの複雑で不完全な人間性を表現していました。
1つは、オッペンハイマーが広島へ原爆投下が成功したことを発表するシーン。
「日本もこれで凝りてくれるかな(笑)」とか「ドイツの反応もみたいよね(笑)」といったスピーチに、オーディエンスは狂ったように歓声と拍手を振りまきます。この間オッペンハイマーの視界は乱れ、歓声の声が爆発音に変わり、オーディエンスが原爆の被害者に変身していく地獄絵図を幻想します。
もう1つはオッペンハイマーがトゥルーマン大統領(まさかのゲイリー・オールドマン!)と面会するシーン。
「大統領、私の手は血で汚れています」なんて言ったものだから、トゥルーマンはハンカチを手渡してオッペンハイマーを帰します。閉まりかけのドア越しに「腑抜けめ」と聞こえてくるシーン、短いながらも印象的なシーンでした。
オッペンハイマーはトリニティ実験直後のことを上記のように語りましたが、当時彼が本当にそう考えたかはわかりません。オッペンハイマーが広島と長崎に対する直接的な謝罪はありませんでしたし、寧ろ原爆を開発したことと、ドイツを制裁する正義の大戦を終わらせたことを誇りに思っていたでしょう。しかし、日本の被害を目の当たりにしたこと、核開発が自分の手から離れて行われることへの懸念、国家機密資格を剥奪されたこと、など様々な要因があったからこそ、核萎縮や平和の訴え続けたオッペンハイマー。今作はそんな彼の複雑で不完全な人間性を描き切りました。
総合的に見ると映画的には色々惜しい箇所もありましたが、題材が題材だけに観た後にしこりが残るようなヘビーな内容の作品でした。
上映時間が長い上にペース配分のメリハリが弱い、伝記ベースなのでノーラン特有の演出が中途半端、リアリティ重視で作品が地味に見える、など不満もありました。
一方、オッペンハイマーを決して英雄視せず、大戦での加害性をしっかり描写した映画が今のアメリカから生まれ、あらゆる層から莫大な支持を得ているのは時代の流れなのでしょうか?未公開の日本では"バービー"と"バーベンハイマー"による「炎上」ばかりが話題になり大戦の被害者としての声が大きいのは明白です。
ところで大戦時の日本(日帝)の加害性についてはどうでしょうか?日帝の植民地支配における加害性を描写したものは邦画ではかなり希少です。この世界の片隅に(2016)では主人公のすずが日本の降伏に憤りを覚えるも、民家から朝鮮旗が上がる情景を見て、泣き崩れるシーンがあります(ドラマ版では何故かカットされています)。福田村事件(2023)では森達也によって福田村事件と朝鮮人虐殺事件の加害の歴史が映像化されたようですが、我々が加害の歴史を大ぴらに語る日はまだまだ遠いように感じます。
韓国での"オッペンハイマー"の公開日は8月15日、終戦記念日もとい光復節(日本統治から主権を取り戻した日、解放記念日)でした。私が釜山に訪れたのも多くの戦時下の資料館や博物館があったからでした。話題作をいち早く観たい反面、この日の韓国の空気感を肌で感じてみたかったのも確かです。
そして国を超えての"バーベンハイマー"を達成できた、この夏最高のイベントになりました。
今作が日本の劇場で公開することを願って。
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