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味方かどうかは見方次第

今SFを撮らせたら随一と称賛されるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が手掛けた、昔から映画化が難しいと言われ続けている、待望の「DUNE/デューン砂の惑星」part2を雨の中ひとり見に行った。コロナ禍に加えハリウッドのストもあり、約半年ほど公開が遅れ、なかなか出掛けてまで見たい映画も少なかったので、久々期待を裏切らない内容で安堵した。エンタメや商業性を超越する思想と世界観、美術・デザイン性で続編が限りなく続こうとも格調高く、牽引して行って欲しい。

モノクロームで映し出される敵陣ハルコンネン側がどう見てもやはりナチス的で、昔のドイツ映画「オリンピア」や「メトロポリス」などが想起された。しかも、ラッバーンがプーチンとしか思えないほど私には似て見えて困った。

前線の少数部隊で奮闘している時、主人公がさらりと言う「戦士の数が少ない場合、恐怖が唯一の武器だ」という言葉がやけに現実味を帯びて耳に残った。結局は滅びた国も惑星1つ単位で消し飛ぶような膨大な核爆弾を秘密の格納庫に保有しているという、現在に地続きの近未来。香料を制すれば世界を制すという、古代からの変わらぬことわり。覚醒して視えて来る血縁とその覇権争い。

心で征しては弱いと説く皇帝、果たして、新しい救世主・若き皇帝となった主人公はこの先、汚れなき心で多くの民を導いていけるのか、、砂漠の先に緑の楽園は訪れるのか、、、

善か悪か、味方か敵か、こちら側かあちら側か
国家や王家を継承繁栄するためには、コントロール可能なら参謀指揮官は悪人でも構わないと平気で味方を切り捨ててしまう。このことは果たして真理なのだろうか。
純粋な悪など無い、見方によるのだと監督は語っていた。
確かに、それが現実なら、それ故、闘争はより辛く果てしなく続くことになる。

長尺ながらハルコンネン家の悪の権化のような3人は今回案外あっさりと他界した。(この先、蘇ったりしないのなら)毎回、ヒール役が他の大領主家から登場するのだろうか。

part1以前、テッド・チャンの短編原作を脚本映画化した「メッセージ」を観て初めて私はこの監督を知り、作品の虜になったのだけれども、その映像と見事に一体化していた音楽を担っていたミュージシャン(ヨハン・ヨハンソン)が公開後、間もなく若くして亡くなったのは非常に残念なことだった。聞いたこともないような音像というか、厚みのある音の層が一気に鳴り響いていて、不協和音なのか、あれが音響派と呼ぶのか、なんとも不可解でものものしく、忽然と現われ宙に浮かぶ物体と異様にマッチしていたのを今でも忘れない。

シリーズ化されても、全く別の作品でも、いずれにせよ、また、どのような仕掛けと問いを投げかけてくれるのか、次回作がもう今から待ち遠しい。


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