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視点が思考の始点なり

胸が痛い、思わず手を当てる
音が割れるように身体に響き渡る、
体内からブワッと破裂するような感覚 
耳がキーンと鳴る、無音、ホワイトアウト
息を飲む、秒読みで原爆を浴びる擬似体験 
実際はこんなに甘くないと知りつつも
ワナワナと震えが止まらない
ドーンと重い、疲労感に包まれる

知は罪と識る
人は賢くなるほど愚かになってゆく矛盾
賞賛と許しは与えられた側のものではなく、
与える側が恩恵または容赦を受けるもの。

観賞直後、脳がうず巻く、

ヒンドゥー教の神「クリシュナ」の言葉になぞらえて、主人公オッペンハイマーが繰り返し自覚自責し続ける言葉

Now I Am Become Death, the Destroyer of Worlds
我は死なり、世界の破壊者なり)」

事実を克明に描いてないと、何もせず観ただけで声高に批判はできない。被爆シーンや映像が必要だと感じるのは日本・日本人サイドに立っているから。世界中、ニュースですら偏向報道されていることが明るみになっている今、映画に何を求めているのか。問題提起され様々な感情の発露を促し、賛否両論な言動を生み出すきっかけを作っただけでも成功だろう。気づかされ、初めて人は考え、そして動き出す。それでも多くは行動へは移せない。

そもそも、これまで、物申さぬ姿勢、見て見ぬふり、大事なことは隠蔽もしくは書き換え、じっと事が鎮まるまで動かず、お家芸の牛歩のように、いつも時間稼ぎをして、問題を直視せず、むしろ避けて、最終最悪、無かったことにしてしまうのは私たちの方ではないのか?文句があるなら同等のステージに自力で立ち自分で創作し、発言すべきだ。好き嫌い同様、けなすだけなら簡単、しかも匿名なら誰にでも出来るし、瞬時に何様にでもなれる。SNSの底辺は低く世界に開かれている。

監督は正直に応えている、これはドキュメンタリーではなく、善悪の問題に訴えたり裁いたりせず、押しつけることは好まず、結論は観客それぞれに委ねると。ただオッペンハイマーの視点に立ち、その脳内心理や精神状態、感情感覚まで追体験できるように演出提示した、ある一つの解釈・自身の映画だと。


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