Naked Desire〜姫君たちの野望

第25回 心の壁ー25

「構うものですか。本当のことだもん」アタシは、コーヒーをすすりながら言った。
「お姉様はよくても、ほかの人間はそうは思いません。ちょっとした一言で何もかも喪った事例は、枚挙に暇がないでしょう」
気がつくと、エミリアの口調はさっきまでの丁寧調から、ややきつい言い回しになっている。まずい、いささか調子に乗りすぎたか。
「ご忠告、痛み入るわ」
「反省のポーズだけならば、そこらの幼児だってできるわよ」
「幼児で悪うございました」思わず開き直った口調でエミリアに返事したとたん、彼女の顔色はみるみる赤くなり、目線がきつくなった。
しまった、これはいいすぎだと気づいたが、時既に遅し。
「マルガレータ、私が宮廷にやってきた目的、覚えている?」
と、アタシにすごむエミリア。
アタシは一瞬「ドキッ」とした。彼女の発した声は、アタシが今まで聞いたことがない怒気を含んでいた。
エミリアがアタシを「マルガレータ」とファーストネームで呼ぶのは、本気でアタシに腹を立てている時だ。
「私の実家が、今も復古派の有力者であることは、マルガレータもよく知っているはずですわ。その気があれば、あなたを廃嫡して抹殺するなんて事は、あの方達は平気で行えるのですからね」
「ごめん。それはいつも気にかけているから」
「『気にかけているから』ですって? ご冗談を」あたしの発言に対しエミリアは、不快な笑い声をたてながら返した。口はへの字に曲がり、眉間にはしわができている。
「あなたの性格が、これから劇的に変わるとは、さすがに私も思わない。でもね、表面上は「皇太孫は変わった」と、他人に思わせることは今すぐできるはずよ」
エミリアは一気にまくし立てると、グイッとコーヒーを、口の中に注ぎ込んだ。
「私も異性関係では、マルガレータのことは悪し様に言えないしね。それは私もわかっている。わかっているけどさ、私とマルガレータでは、行動一つとっても、周囲に与える影響は天と地以上に違ってくるのよ。それを忘れないでって、私はことあるごとに言っているよね」
「だから、それはわかっているって」アタシはそう返事したが
「わかっていない! マルガレータ、本当にわかっていない!!」
ドン! とエミリアは、右手でテーブルを叩きながら、大声で喚いた。
「お願いだから、落ち着いて」
「私はいつだって冷静よマルガレータ。ただ、あなたの吞気さが理解できないだけ」
「冷静」な人間が、声を荒らげ、口を「へ」の字に曲げ、顔を真っ赤にするもんかなと、アタシは心の中でツッコむ。
「ちょっとしたスキを見せただけで、あっという間に窮地に陥る。それが宮廷の世界だということを、あなただって知っているでしょ?」
わかっているのなら、敵にこれ以上隙を見せるようなことはやめて。エミリアは小声でつぶやきながら、コーヒーカップに口をつけた。
「マルガレータ・ハンナ・オクタヴィア・マルゴット」
アタシは彼女の呼びかけに「なによ、改まって?」と言い返す。
私たち皇族や貴族の世界では、名前だけで相手に呼びかけるのは、相手に警告するか、本心を知りたいかのいずれかである。
「あなたはまだ、私を恨んでいる?」
「どうしてよ?」
「あなたは事あるごとに『小さい頃から、両陛下にかわいがられていたもんね』って、昔からグチグチ言っていたからね」
「今は違うわよ」だがエミリアは、私の言うことを信じられないようで
「本当に?」と突っかかってくる。
「……たぶん」
「ほら、まだ引きずっている」髪をかきあげ、険しそうな目線で返事をするエミリア。
これまでのやりとりでおわかりだと思うが、アタシとエミリアの間には、微妙な感情が漂っている。
12歳で宮廷にやってきたエミリアは、アタシと違って素直で如才ない一面を周囲に見せ、あっという間に宮廷の空気に馴染んだ。愛想がよく廷臣にも優しげに振る舞う彼女に、祖父母は実の孫であるアタシ以上に愛情を注いだ。
実の孫を差しおいて、養女に愛情を注ぐ祖父母に、アタシは嫉妬していたのは確かだ。
なにかにつけアタシは彼女に「皇太孫はアタシだ」と言い張り、彼女も負けじとアタシに不遜な態度をとるようになる。出会ってからの数年間は、2人の関係はギスギスしていた。
だが本来のエミリアの性格は、正義感が強く頑固だ。自分が納得しないことには、ヒステリーを起こして誰彼構わず食ってかかるので、彼女のことを疎ましく思う人間も次第に多くなり、義妹が成長するにつれて、侍従たちとの関係も悪化した。
これが一般家庭だったら、単なる「反抗期」で済まされるが、皇女はそれが許されない。それが精神的にどんなに辛いものなのかは、体験した人間でないとわかるまい。口で言ってもわからないことは、現実に存在するのだ。
そして彼女が16歳の時、重大な事件が勃発した。

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