Naked Desire〜姫君たちの野望

第一章 心の壁−6

「とにかく、お姉様はオルガと仲直りしてください。でないと、情緒不安定なあのオンナのことだから、周囲の人間に突っかかるのは目に見えてますわ。私だって、彼女に当たり散らされるのはもうたくさん!」
エミリアは感情を露わにして私を怒鳴りつけると、足早にダイニングを出た。
私はテーブルに視線を落としたまま、長いため息をつくと、いずこから「チッ」と、舌打ちをする音がする。
その方向に視線を向けると、ダイニングの控え室にキャサリンの姿があった……ような気がした。「気がした」と私が言ったのは、そこに意識を向けた時は、誰もいなかったからだ。
朝から同居人3人と、険悪な状態になった……その事実が、私の気分を落ち込ませた。
スクランブルエッグは冷え切り、クロワッサンは硬くて苦く、スープは味気ない。挙げ句の果てには、食事が終わって椅子から立ち上がった時、立ちくらみに襲われた。
だが、今そんなことを言っても「仮病でしょ」といわれるの言われるのがイヤだった私は、そのことを周囲に黙ったまま、自分の部屋に戻った。
それでも、時間は待ってくれない。割り切った私は、出かける準備を進めた。
今日は日中の気温が25℃を超えそうだという予想なので、パステルブルーのカシュクールに、濃紺のパンツスーツという組み合わせ。薄化粧をしたあと、スタッドイヤリングを装着する。
「ああそうだ、忘れるところだった……」
独りごちながら手に掴んだのは、金色のネックレスである。
だが、今私が持っているのは、リングに携帯GPS(以下「MGPS」と略記)が装着されたタイプの製品だ。
これには、理由がある。我が国には、外出時に携帯GPS保持を義務づける法律(携帯GPS保持義務法、以下「MGPS法」)があるからだ。
この法律の前文には「すべての住民は、MGPSを装着しなければならない」という記述がある。自動車運転免許には、携帯義務があるでしょう? MGPS法もそれと同じだ。
全住民が対象だから、違反者には厳罰に処される。初犯は懲役1年だが、執行猶予はない。MGPSのデータに関する不法行為が当局に発覚したら、犯人は死刑にされる可能性もある重罪だが、この法律に不快感を示す住民は多い。住民の行動を監視するのを正当化する法律だから、それも当然だ。
だがこの法律で問われるのは「その時、どこにいたか」で、各人の思想ではない。
それは我が国の憲法で
「我が国政府を構成する最高権力者(つまり皇帝と三権の長)は、人種、経緯、理由を問わず、全国各地(本土だけではなく離島、海外領、皇室属領、代官管轄区も対象に含まれる)に居住する住民(「国民=我が国の国籍保持者」ではない!)が保持する、思想・思考、行動など『内心面』を理由に、刑法の容疑を追及し処罰することはできない」
と規定されているからだ。だから、憲法で『内心の自由』が保証されているから、我慢しようか』と考えている住民も多い。そして、私もその一人だ。
私たちが暮らす時代は、MGPSを装着した文房具や宝飾類が、多数市場に出回っている。
私は宝飾類かペン、オルガは趣味である万年筆、ルイーゼはネックレス、キャサリンは護身用の武器である場合が多い。もっとも、複数のMGPSを保持できる人間は限られる。そのほとんどは、上位中流階級以上の人間だ。
私はネックレスを、スーツの襟にかける。金属アレルギーで皮膚がかぶれやすい体質だから、素肌につけられないのが辛い。
黒のポインテッドトゥを履き、アフリカン・ブラウンのサッチェル・バッグにタブレットと書類を収納して、準備完了っと。
ちょうどその時「トントン」と、誰かが部屋のドアをノックする。
「殿下、送迎車が玄関に到着しました」
「わかった。いまでるから」
ドアをノックしたのは、昨年配属されたばかりの女官だ。彼女に先導される形で、私は玄関へ向かう。
「オルガは?」
「オルガ様なら、お屋敷から出ました」
「何時に戻るか聞いた?」
「すいません。聞いていません」
「今日も遅いのかな?」
「さあ……どうでしょう?」
彼女は、ルイーゼも屋敷を出たそうだ。
玄関では、リムジンタイプのエアカーが私を待っていた。
「エルヴィラ・ジャンヌ・マリナ・カーリン殿下、行ってらっしゃいませ」
女官と侍従たちが、深々と挨拶をして、私を送り出す。
「じゃあ行ってきます。遅くなるようなら、連絡入れるから」
私は座席に座り、窓を開けて彼らに会釈をした。
立体表示機のアイコンを操作し、目的地のデータを入力すると、エアカーは静かに出発した。
車内で、キャサリンから渡されたメモ紙に目を通した私は、身体の震えが止まらなくなった。
いったいなにを考えてるんだ、キャシー。
あなたは、本当に怖ろしい女性だ……。

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