Naked Desire〜姫君たちの野望

第4回 メモワール その4

「高そうなお酒ね? どんなお酒なの?」
と、私は夫に質問した。
「ヘネシー家当主6代目の生誕100周年を記念し、今から7世紀以上前のコニャックをブレンドして作られた一品だ。たぶん、ボトル1本20万フロリンはくだらないだろうな」
「ボトル1本で20万フロリン!」
貧困層の年収の倍以上じゃない! 私は絶句した。
このご時世に、吞気にそんな酒を引っ張り出す彼の神経がわからない。
「ハハハ、僕が買ったんじゃない。先祖代々から、ずっとワインセラーにしまっておいたのを、このために用意したものさ」
「貧困層の市民が知ったら、怒り狂うわよ。『やっぱりあいつらは、俺たちの生活のことなんかわかっちゃない』ってね」
今の我が国は、長きにわたる内乱の影響で、深刻なインフレに苦しんでいる。
我が国の貨幣はフロリンとターラーの二本立てで、1フロリン=100ターラーである。
主食である食パンは、10年前は80~85ターラー、牛乳1リットルが80ターラー、穀物1キロあたりの値段が2.4フロリン(=2,400ターラー)だったが、今はこれらの値段が3倍以上に値上がりした。
それにもかかわらず、給料は10年前の初任給よりも2~300フロリン上がったに過ぎず、一般市民の生活は苦しいままだ。
一方、国内エリート層を養成するグランゼコール出身者は、「高度な組織運営能力を持っている」とかで、初任給が10年前の3割増しになっている。それでいて役に立たない出身者も多く、彼らは「給料泥棒の穀潰し」と、市民からボロクソに叩かれている。
「そんなに仏頂面になるなよ。明日から、またがんばればいいんだからさ」
夫はそう言うと、ヘネシー・ボーテを、私のブランデーグラスに注ぐ。その量は、だいたいグラスに¼くらいだろうか。
夫も、自分のグラスに、私のと同じ量のヘネシー・ボーテを注ぐ。
「それじゃ、帝国の将来と市民の幸福を祈って、乾杯!」
「乾杯!」
私たちはブランデーグラスを軽く合わせる。
グラスは「カチン」という音を立てた。
琥珀色の液体を一口含むと、芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。
「ああ、おいしい……」
「だろう?」
夫はそう呟くと、2口目を口に含んだ。
私はグラスに視線を向けると、それをゆっくりと数回回した。軽く1口含めると、ゆっくりと飲み下す。
「ねえ、あなた……」
「なに?」
「今から振り返るとさ、お祖父様はお祖父様なりに、この国をよくしようとがんばっていたと思うの」
「そりゃ、君は先々代の皇帝陛下の孫だから、お祖父様に甘くなるのもわかる。でも……」
夫は、軽く眉をひそめて返事をする。
「先々代の皇帝陛下は、言葉が軽かったからな……」
そう言うと、グラスに残った琥珀色の液体を飲み干した。
その様子を見た私も、コニャックを一口あおった。
そもそも私の祖父は、あまり政治に興味がなく、自分の好きなことをして日々を過ごしたい、という考えの持ち主だった。
だから即位したころは側近に
「『皇帝』というのは『鳥籠の中の鳥』に過ぎない。朕を自由にしてくれ。できることならば、さっさと退位したい」
とこぼしていたそうだ。
しかしもろもろの事情でそれは叶わぬどころか、年をとるにつれて権力欲が強くなり、些細なことで周囲と衝突を繰り返した。
さらに齡60を過ぎると、心身の不調を訴え、公務を他の皇族に任せることが多くなる。
最低限の行事や公務以外で、宮殿の外に出る機会は少なくなった70歳以降は、認知症を窺わせる行動や言動が多くなった。
そんな状況を、国内の復古派が見逃すはずがない。
彼らは、自分たちの思想に共鳴する皇族や大貴族と組んで宮内省の人事権を掌握すると、財界やメディアと手を結び、世論を自分たちの都合のいい方向に誘導した。
さらに復古派は反対勢力に対して、地位と利権話で籠絡し、それでもいうことを聞かない人間に対しては、スキャンダルをでっち上げた。その結果、ある者はそれまでの主張を捨て、ある者は失脚し、ある者は秘密裏に命を奪われた。
私の周りにいる者も、その例外ではない。
自分がしっかりしていれば、犠牲者は少なくて済んだと思うと、今も悔やんでいる。
ほとんど空になったブランデーグラスを見つめていると、部屋に流れる音楽が変わっていたのに気がついた。
今流れているのはジャズピアノだ。
おそらく夫がコンソールを操作し、ジャンルを自分の好きな音楽に変えたのだろう。
流れている音楽は、ゆったりしたテンポの、ちょっとオシャレな雰囲気を湛えた曲だ。
「あれ、君はこういう音楽は嫌いだったっけ?」
ううん、と私はかぶりを振った。
「いいよ。私もこの手の音楽は嫌いじゃないし」
と、私は夫に告げた。

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