長針と短針の孤独

 僕の教室には一人、おかしな奴がいる。
 彼は1ヶ月に1度しか教室に現れない。「来ない」のでは無い、「現れない」のだ。
 1度現れたら、それから1ヶ月の間そいつは世界からいなくなる。彼の家に行ってもどこへ行っても、彼はいない。その間どこにいるのかも分からない。分かるのは、1ヶ月の間彼は彼に会う術はどれだけ探してもないということだ。
 今日は1ヶ月ぶりに彼が現れる日だ。
 教室の中は既に浮き足立った空気に溢れている。彼が現れる日の朝は大抵こうである。借りていた漫画を返そうとする者や、思いを伝えようとする者など、それぞれの思いを抱えながら、皆彼の訪れを待っている。
 かく言う僕は、彼の出現に対して毛ほどの興味も抱いてはいなかった。1ヶ月姿を消すという部分がなければ、ただのなんてことない少年である。特別興味をそそられる要素など無い。そして向こうは歩くだけで大歓声が巻き起こるほどの人気者であり、僕などに関心があるとも思えなかった。
 時計の針は静寂に沈んだ教室の中で刻一刻と刻を刻んでいた。
 そろそろ、彼が来る。
 8時になった。
 教室内に、長針が真上に来た音が鳴り響いた時、彼は、僕の隣に座っていた。
 まるでずっと前からそこにいたかのように、彼は座っていた。1か月前と全く同じ光景だ。スラリとした体型に、淡い茶色がかった瞳。彼自身さして変わりは無い。
 こちらの視線に気が付いたのか、彼もこちらを向く。
「おはよう、昨日ぶりだね」
「おはよう、1ヶ月会ってないよ」
これは僕らの間で行われる挨拶のようなものだった。
 会話とも呼べないそれは、少し遅れて押しかけてきたクラスメイト達に断ち切られた。    
 僕らの中での挨拶といっても、隣同士の義理のようなものなので、特別親しい間柄という訳ではなかった。僕は合わせていた目線を元に戻し、それから自分の机へと落とす。クラスの中でも陰気で性格の悪い僕には勿論目もくれず、皆、彼の方へ集まる。
 隣からは彼らの会話が聞こえてくる。
 他愛のない質問と、生気のない返答の応酬。彼はせいっぱいの愛想を振りまいているつもりのようで、実際クラスメイト達は騙されている訳だが、僕は騙されない。
 彼のその特異な性質以外にも、柔らかな物腰や、達観したような余裕のある態度も他者を引きつける理由であるらしかった。
 僕には、それがたまらなく腹立たしく感じられた。どれだけど取り繕っても、子供は子供なのだ。大人のフリなどするものでは無い。彼は何故か、それがやけに板についている。僕は何故か、彼に異常なまでの嫌悪感と、同族意識を抱いていた。
 隣の席の盛り上がりがピークに達さんとする時、担任によってドアが開かれ、始業のベルが喧しい教室内に鳴り響いた。

 3時限目が始まるベルが鳴った時、僕は教室の自席に座ることなく、保健室のベットに寝そべっていた。頭部には大量のガーゼが巻き付けられ、まるでミイラのようだ。
 その前の休み時間、廊下で起きた他クラスの生徒同士の喧嘩に偶然巻き込まれ、そのうちの1人が振り下ろした椅子が誤って僕の頭を強打したのだ。駆けつけた教師は救急車を呼ぼうとしたが、僕が軽傷だからとそれを断り、自分で保健室へ向かったのである。
 見慣れない天井を見上げている。
 僕がいなくなっても教室の様子は何ら変わらないのだろう。
 ふと、センチメンタルになる。
 孤独を感じない日は無いのだが、彼が学校に来ている時は、余計にそれを強く感じる。
 頭に激痛が走った。体を少し倒して枕を見遣ると、血がべっとりと滲んでいる。
 やはり傷は浅くなかったようだ。保健室に来たのは我ながら正解だった。
 僕は起き上がり、呼吸を整え目を閉じる。その前に、カーテンが少し空いていることに気づいたので閉めてもう一度目を閉じる。
 こんなところを人に見られたらことである。
 焦る僕の額には血管が浮き出て、それに汗が伝って落ちてゆく。
「うわー、直ってくね」
誰だ。誰かいる。僕は飛び上がって、閉めたはずのカーテンへ目を向ける。
 そこには、彼がいた。1ヶ月に一度の彼。
 ここに何しに来たんだ。
 授業は。
 取り巻きはどうした。
「あんな音鳴って、頭割れてないなんておかしいと思ってさ。付いてきちゃった。」
やはり無理があったか。見られてしまった。
よりにもよってこいつに。
「それどうなってんの?」
傷は、動揺する僕の心とは裏腹にどんどん塞がっていく。頭からギチギチという音が鳴る。
「なんでもないよ」
無理があるとは思ったが、こういうしかない。彼はそっか、なんでもないのかと、笑いながら僕を見る。
「ちょっと着いてきて」
彼はカーテンから半身乗り出し、僕に手招きする。その時の彼の笑顔は、まるで少年のようで、老人のようでもあった。
「やだよ、今授業中だし」
「来てくれなかったら、みんなにその傷のこと言っちゃうよ?」
とんでもないやつに捕まってしまった。
 彼はカーテンから手を離し、出口の扉へと駆けていった。突き放されたカーテンは、もの寂しく左右にたわんでいる。
 頭を搔く。掻いた手のひら見ても、血は一滴も付いていない。完治したようだ。
 ふぅと、ため息をつく。
 僕は、俯いたまま無言でベッドから腰を浮かせた。

 彼は、屋上の柵に体を預けていた。立っている姿を見ると、余計に細身なのを意識してしまう。女性じみた細さだ。話さえしなければ、後ろ姿で男だと判断するのは難しい。
 僕が来たのを足音で察したのか、彼は僕が階段を登りきったタイミングで僕に切り出す。
「君、寂しくはない?」
「なんだよ、いきなり。」
突拍子のない行動に突拍子のないセリフ。少し苛立っていた僕は、冷たく言い返す。
「君不老不死なんだろ?知り合いもいなくなって、寂しくはない?」
不老不死であることもバレてしまっているようだ。
 僕の成長は高校一年の時から止まっている。今の僕は高校100年生と言ったところか。僕は歳も取らないし、怪我を負ったとしてもさっきのように再生する。死なないのだ。毒やがん細胞も試したが、少しの間苦しいだけで特に死ぬ気配はなかった。
 生まれながらにそういう体質なのだ。母も父も友人もみんな死んだ。寂しい気持ちはあったが、今はもうない。
 慣れてしまったからだ。
 人と関わらない。それが僕の人生の処世術だった。
「選ぶ孤独と、強いられる孤独は別物だよ」
彼は知ったように僕に吐き捨てる。
 口元からは笑みが消え、彼の顔には影が落ちる。
「知ってると思うけど、僕も特異体質なんだよ」
「知ってる、1ヶ月に1度しか現れないんでしょ」
「それは処置の結果さ、本質じゃない」
「どういうこと?」
「僕の家は代々、短命の家系だったんだ。長く生きても20歳になれるかどうかってとこで、母さんも僕を産んだ瞬間にすぐ死んでしまった。後継を探すのが難しいとか、色々問題はあるんだけれど、1番の問題は、視野の狭さにあるんだ。これだけ寿命が短いとね、時代のほんの一部分しか体験できない。そうすると、社会の推移の渦中に身を置くことが出来なくなるから、」
「多くの嘘を真実と思ったまま死んでくことになる」
「言い方が悪いな、でも物分りがいいね。さすが年の功」
「やめてくれよ」
「この事態を不憫に思った僕の知り合いがね、時代を広く見ることができるようにしてくれた。」
「寿命を分けたってこと?」
「そう、寿命を切り分けて、時の流れの中に等間隔に再配置する。これが1ヶ月に1度しか現れない男の正体さ。」
彼は淡々と語った。澱みなく。まるでいつか誰かに説明するため、準備してきたかのように。
 「寂しいものだよ、仲良くなったと思った子が、翌日には他人みたいな顔して話しかけてくる。その人にとっては1ヶ月経ってるんだから仕方ないけどね。」
かかっと口だけで笑う。
「君は本当に寂しくない?人がいるうちはいいよ、でもみんないずれ居なくなる。誰1人いなくなった地球で、孤独に生きていける?」
「何が言いたいんだよ」
「共感してるんだよ。寂しいだろ、本当は。」
「、、、寂しい、かもしれない。」
僕は本心を言った。話したこともあまりない彼に何故本心を打ち明けてしまったのかは分からない。同類だと思ったのかもしれない。
「でも、そう思ったところでどうしようもないだろ。」
その時、彼が急に視界から消える。目線を下げると、息を切らしながら柵につかまる彼がいた。
「はは、実はもう持たないんだ。今夜が峠ってとこだね。系譜もここで終わりだな。」
「なんで、僕にそんなこと、」
「僕の人生、孤独な人生だった。1日ごとにみんな僕を置いていくんだ。君だけだ、ずっと変わって無かったのは。」
「、、、」
「君と会えてよかったよ、同じ気持ちの人と会えてよかった。寂しいって自覚するだけでいいんだよ。それだけで救われる人もいる。」
「君は救われたの」
「少なくとも今、僕は孤独じゃない」
そう言って彼はしゃがみこむ。天を仰いで目を瞑っている。やりきったような、生ききったような、満足気な顔。
「自分だけずるいよ」
「え?」
僕は思わず叫んでいた。
「勝手に共感できる仲間を見つけて、それで自分だけ救われて逝っちゃうなんて」
「それは、」
「明日も来てよ。」
「明日も」
「そう、明日も。僕達まだ知り合ったばかりじゃないか。ちゃんと話したのも初めて。もっと話したいことあるよ。」
「でも、今日で最後と思ってたから、僕の中で明日になる頃には君の世界でどれだけ時間が経ってるか、、」
「僕はいつまでだって待ってる。」
僕は少し笑って言う。笑ったのなんて何百年ぶりだろうか。そう思ってもう一度笑う。
「僕は不老不死だからね」

 人一人いない荒野を目の前に、僕は立っていた。
 彼はあれから1ヶ月経っても、2年経っても、30年経っても、400年経っても、僕の前には現れなかった。
 今日はおそらく人生最後の日だ。
 僕が目を据える先にあるのは、身を焼きながら一心不乱に落下を続ける隕石だった。それはあまりにも大きく、この星を木っ端微塵にするには十分過ぎた。
「君を待ってたおかげで、寂しくなかったよ」
誰に向けられた訳では無い言葉は宙に舞う。

「誰を待ってたって?」

 僕は飛び上がって声の方向へ体を向ける。
 彼がいた。
「はは、保健室の時と同じ反応だ。おはよう、昨日ぶりだね」
あの時となんにも変わらない彼がそこにはいた。
 一晩で随分変わったもんだね、と呑気に言いながら彼は辺りを見回している。そして僕の前へ立って言う。
「いつもするみたいに、返してくれよ」
僕は笑いながら彼の頭を小突き、
「何年ぶりかなんて、覚えてないよ」
と言って、彼とお互いの人生最後の時を共にすごした。
 その瞬間は、彼と同じ時間が、僕の中に確かに流れていた。

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