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差別する心は誰もが持っている

「自分は差別なんてしないし、思ったこともない」
自信を持って言える人は、果たしているでしょうか?

※本文では敢えて「障害者」と表記しています。

障害福祉サービスでの出来事

私は、長い間うつ病を抱えていて、障害者雇用の就職活動中です。

障害者雇用は、求人自体が少ないことや、就労後の職場定着率が低いことから、一人での就職活動は困難を極めます。
そのため、就労移行支援という障害福祉サービスが存在し、私も某センターへ通っています。

ある日、センター内で利用者Fさんが、スタッフに大声で怒鳴っていました。
その内容は、

  • 応募先?で障害を理由に差別を受けた

  • 自分は努力して資格をいくつも取った

  • 自分は他の利用者とは違い優れている

  • 〇〇は働かんでいいってことか?

…と、こんな感じでした。(〇〇:差別用語)
似た立場の者として、理解できる部分はあります。
しかし、Fさんの言っていることは、自己矛盾していますよね。

「障害者を差別するな」と言っておきながら、他の利用者さんを見下し差別している…。

差別心の無い人なんていない

Fさんはナゼ、自己矛盾していることに気づかなかったのでしょうか?

怒りで冷静さを欠いたのかもしれませんが、一番の原因は「自分は人を差別しない」と自惚れていたからだと思います。

人は誰もが、もれなく差別心を持っており、自分より劣った人と比べて、心の安定を図っている

Fさんにこの自覚があれば、暴言を吐くことは防げていたでしょう。

差別心を自覚して内省し、言動には出さない

これが、大人の対応だと思うのです。

平等な社会へ向かっているか?

女性の社会進出,パラリンピック,障害者雇用…。

現代社会では、差別を無くす様々な取り組みがなされています。
もちろん、取り組み自体は大切だと思います。

しかし、「平等」を履き違えていたり、形だけになっていたり、違和感を覚えることがありませんか?

例えば、障害者雇用の問題。

私は当事者ですが、法定雇用率の達成ありきで、やりがいを持てない職場が多いと感じます。
障害者雇用の離職率が高いのは、至極当然の結果でしょう。

他の分野にも、形だけの平等に絶望している人が、大勢いると想像できます。

  • 無くすべき悪しき差別

  • 適材適所に活かす差別

この切り分けが、今の取り組みに必要ではないでしょうか?
そのためには、

一人ひとりが差別心を自覚し内省する

まずはココからだと思うのです。

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