見出し画像

今日も1日、健やかに。

「健やか」という言葉が好きだ。
元気になりたくて、元気でありたくて、だけどそうなれない自分に、心がしなやかであればそれでいいと認めてくれるような気がするから。


「健やか」の意味をweblio辞書で引いてみた。

健やか(すこやか)とは、身体や心が健康である状態を指す言葉である。

weblio辞書

意味は「健康」とほぼ一緒だ。
わたしは医療系の国家資格を持っているので、WHOにおける健康の定義を暗唱できるほど理解している。

健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。

日本WHO協会

1年生の前期でこの言葉に触れたとき、講師が言った「今健康だと思う人は挙手してください」に対して手を挙げられなかったことを覚えている。
そして今も、手は挙げられない。


本来、「健康」という言葉に病気があるかないかという意味は含まれていない。
しかし、この言葉が持つ見えないハードルは大きい。
なんとなく、病気がなくて身体がよく動いて気持ちも軽いことのような気がしてしまう。

朝起きて、体がだるい。気持ちも重たくて、何もしたくないような気分になる。
10点満点の体調の日なんて1ヶ月に何日もない。それどころか、わたしは今年に入ってから一度もない。
毎日何かと闘って、できなかったことを未来の自分に託して眠りにつく。


「健やか」は何が違うのだろうか。
「子どもに健やかに育ってほしい。」この願いには、怪我も病気も全くせずに成長してほしいという意味は込められていないはずだ。
少しの病気や怪我はしても、それを糧にして折れることなくまた元気に成長していってほしい。
そんな願いがこもった言葉のはず。

わたしは知り合いに「健やかでいてください」と言うことがある。
その人につらいことがあっても、ずるずると自分を責めて悩まされないように。体調が悪くても、ベッドから見える空の色で心が落ち着くように。
そんな意味を込めている。
満点じゃなくても、体や心の調子が良くなくても、少しでも快適なところにいられるように。そんな祈りのような、願いのような。


「健やか」には、すき間がある気がする。
せわしない日々でも、いうことを聞かない身体でも、心のすき間が豊かならばそれでいい。
全部がうまくいかなくていい。その少しが健康ならばそれでいい。
だからわたしは、「健やか」という言葉が好きだ。


あなたが今日も1日健やかでいられることを願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?