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忖度なしの、「好き」を発信したい。

大学時代、アルバイト代で初めて購入したのはimacスケルトンのライム。
それから、自分でHPを作ったり、大好きな曲を宅録して音楽サイトにアップしたり。旧ツイッターやアメブロ、Facebook、インスタなどのSNSを通過してきました。

結婚、子育てを経て40代半ばを過ぎ…子ども中心の生活で、自分の本当に好きだったことやものってなんだっけ?とわからなくなってしまった昨今。
仕事と家事の合間にぼんやりとインスタを眺め、やっと自分の好きな領域をちょっとずつ思い出せるようになってきました。

ただただ時間を浪費するのも面白くないし、でも発信するのってエネルギー使うからなあ…と二の足を踏んでいたのですが、発信するのが疲れるって結局自分が周囲に忖度をしているからでは?と気付きました。

web上で誰かを傷つけないような配慮を意識しつつも、私が自分の心を偽ることなく自分の言葉で書ける場所を求めてnoteに来てみました。

発信する時って、たくさんの人に見てもらうためにジャンルを決めたほうがいいとか、画像やヘッダーを一般受けしやすいデザインにとか、カリスマインフルエンサーなどすごい人の模倣をしてみようとか、まずはマニュアルから。っていう流れを感じるけれども、そういうのから逸脱してみたいので、今の私の琴線に触れる画像…できれば、日々の営みの中でふと心に残った風景とか一瞬の写真を使えたらいいなと思っています。

今日は、午前中にウォーキングしていて大好きな彼岸花がたくさん咲いていたのでスマートフォンで撮影しました。
私は、小さい頃から彼岸花が大好きです。
まるで冠のような形をしていて、いつも頭の上にのせてみたいと夢想していました。

子どもの頃、母に「彼岸花ってとても綺麗で大好き」と言ったら母からは「お墓に咲いている花で薄気味悪いから嫌い」という返答。
その答えに、幼心ながらショックを受けたのでした。
またある時、私が「金木犀の匂いがとても良い匂いだから大好き」と言うと母は「トイレの芳香剤の匂いみたいだからあまり好きじゃない」と言われ、この時もショックを受けたっけ…

あの時の私は母が自分の好きな物事を肯定してくれるだろうと思っていたので、そうとも限らないことに驚きショックを受けていたんでしょう。
母の好みに寄せて生きてきたわけではないので、私には私の好きがあるけど、おおっぴらに「これが好き!」と表現するのを躊躇う人格形成がなされてしまったとは感じます。(母と娘ってどうしたって色々あるものだと思いますが、我が家は今のところ至って良好な方かと)

過去の私の残念な気持ちを引きずることなく、自分の好きを語る場を作りたいので
noteでは忖度なく発信できる私を育てていこうと思っているところ。

今日のところは、自分の気持ちを素直に吐露できたなあと感じます。
私はエッセイが大好きなので、その時その時で一番書きたい事柄を伝えていけたらと思っております。

日々がさらに楽しくなったらいいなあ。
本当に何年ぶりかで自分の文章発信に挑戦しました。
アラフィフが見えてきたお年頃でも、新しい世界に飛び込めるんだよね。
よかったらまた覗いてくださいね。

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