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ペットボトルを救った話。


 先週、2度目のコロナ陽性になってしまった。この時期にも普通に発症するのだと、油断していたことに気づく。薬も値上げし、想定外の出費だ。とほほ。
 病院から力なく帰宅する道すがら、1本のペットボトルが落ちていた。逆さになって歩道脇の側溝のような穴に刺さっていて、それは見るからに「わざと」ポイ捨てされたものだった。
 少し土も付いていたし一瞬躊躇ったが、そーっとそれを抜き取り、自宅まで持ち帰った。ラベルをはがし、水で軽く洗って、自宅のゴミ箱に分別。このとき私は、身体は弱っていたけど心はかなりイライラしていた。

なんだか身をよじって、かわいそうに。

 そりゃまぁ、ゴミのポイ捨てなんて、昔からよくあること。だからって別にいいことなのか?なんでその1本すらゴミ箱に捨てられないの!?
 捨てた人が、これまでどのように教えられてきたのか知らないけど、いや、教えられないとわからないレベルですらないだろう。未就学児が、あんな器用に側溝にポカリを刺すとも想定できない。

 さらに嫌なのは、もし私が赤の他人が捨てたものを拾って家で処分したんだ、と言えば
「偉いね~!」
と返されることが想像できる。この現状もどうかしている。ゴミが落ちていたので、拾って正しい場所に捨てたまでだ。それだけなのに真面目な子、という認識がされるのがおかしい。

 なんて偉そうなことを言ったけど、今回はもうすぐ自宅に着く場所にいたから拾えたわけで、これがもし出かける途中だったら?もっと周りに人がいたらどうだったかな?どんな場合でも拾います!と即答できない自分がいるのも、事実。それも虚しい。

 ここ最近、環境保護とかエシカルに関することを調べているせいか、身の回りにも敏感になっているのかもしれない。それで、ちょっとしたことがいつもより気になってしまったのだろう。正しいからといってなんでも強要するのは違うけど、一人でも多くの人が、ゴミのポイ捨てのような、見て見ぬふりをされがちな現状をもっと意識するようになるといいな、と思う。そしてそれを「違和感がある」と捉えられるようになれば、少しずつでも良い方向に向かっていけるのではないだろうか。言うは易くなんだけどね。

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