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存在価値への共依存
私と母は似ている。似すぎている。
母の背には最近どこか寂しげな孤独さを感じる
マザーという映画を見てあそこまでの共依存は行き過ぎたものだと感じたがそれに似たものは私と母の間にも生まれているのかもしれないと思った
冷たい孤独さは私が生み出しているのかもしれない
私は母の機嫌でその日の1日が決まる
母は私の機嫌でその日の1日が決まる
小学生の頃から感じている違和感
なぜこんなにも母の目線、機嫌を気にして生きているのだろうか
休日が合えばドライブしたり買い物に行ったり
恋バナをしたり仲が良い方だと思う
が普通に見えて片足が宙に浮いている今にでも崩れ落ちそうな日々を最近はお互いに感じているのではないだろうか
"あなたは何を考えているの?"と心の底から訴えられているのが分かる
"明日私たちはくたばるかもしれない"
最近ゆっくり話す機会が減った
家にいる時間を窮屈に感じ1人喫茶店や公園で時間を潰して親と会う空間を減らした
今日は早く帰ろうと思うよ
なんでもない日に花束を贈ろう
バラが似合うスズランが好きな母へ
ここは生きづらいよ。
大縄跳びみたいな
ぐるぐる回ってる
みんなはその中で飛んでて
入れって言う
入ってみると
縄が僕の足に引っかかって
止まってしまうんです
ちゃんと出来ない、いろんなことが
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