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子どもが大人をためしてる っていうのは ホントにそう

それは夏の日のことだった。
まだ弟が生まれる前だから、4歳の夏だと思う。
部屋には、私と、父方の叔母の2人。
私の前にはコップに入った飲みもの。ストローがさしてある。
カルピスだったんじゃないかな。

チャンスだ、と思った。
ストローで飲む時に、いつもやってみたくて仕方のないことがあった。
それは、ストローから息を吹き込むこと。
一緒に遊んでいた友達が、息を吹き込むと、飲みものが、ぶくぶくと泡立つ。音もする。とても面白そうなのだ。
でも、母には、「おぎょうぎがわるいから、だめ」と言われていた。

今日は、ストローから息を吹き込んだら絶対に怒る母がいない。
チャンス到来。
試してみるなら、今しかない。

ぶくぶく・・・と少し息を吹き込んだところで、机の逆側にいた叔母がやんわりと声をかけた。

「みえちゃん、カルピスはシャボン玉じゃないから、ぶくぶくしたら、あかんよ。」

私は、何もしてませんよ、という顔をして、すぐにぶくぶくをやめたけれど、ものすごく気まずかった。注意されたことが気まずかったんじゃない。叔母は大丈夫、と思っていた自分の目算がはずれたことが、妙に気まずかった。

私は、大人の前では100%の「イイ子」でいられる、ちょっとズルいところのある子どもだったので、この時は、叔母は、きっと注意しないで見過ごしてくれるだろうと、高を括っていたんだと思う。

あのあと、どうしたかな。普通に、カルピスを飲み干して、知らない顔をして過ごしたんだろうな。

ところで。保育園や子育て支援などの現場で、大人の様子を見ながら、少しずつ「ちょっとイケナイこと」をやっているお子さんを見ることがある。どこまで親から離れても大丈夫か。大きな声を出しても大丈夫か。走ってもいいか。面白そうなものを触ってみてもいいか。

あの姿は、大人の様子を見ながら、どこまで許されるか試しているって言われる。

ホントに、そうなんだろうな、と思う。
子どもたちの様子を見ながら、「ここまでは大丈夫やろ」とちょっと見込みが甘かった自分と、あの気まずかった気持ちを思い出す。
そして、子どもたちの姿に、いじらしさと、たくましさを感じ、ちょっと嬉しくなる。

大人たちは勝手に、子どもを「純粋」だとか「天使」だとか言うけれど、実際の彼らは、もっともっと複雑で。。
ちょっと大人を試して、かけひきをしている子どもたちの様子、私は、とても好きだ。やれやれ、もっとやれ、と心の中で応援している。

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