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分断

フジロックを直前になって辞退した折坂悠太。
主催者でありながら、ファームエイドを辞退したニール・ヤング。
それぞれのメッセージが連日、SNSで目を引いた。

2人とも華やかで意義ある場所に立ちたいとの思いは
いやというほど伝わってくる。
開催にかけた準備、かかわった人たちへのいたわり。
と同時にコロナで苦しむ人にも思いをかけた
誠実なメッセージだと思った。

しかし、やはりコメントはさまざまだ。
正しいと支持するもの。少ないが疑問を呈するもの。
あるいは少々感傷的になっているものもある。

何万人も不特定多数の人が集まるフェスティバルに
私自身も不安を感じる。
ただ出演者や参加者を一括りに糾弾する気持ちにはなれないし
それはやめようと思う。
むしろ私はこの現象に対する皆のコメントに
動揺する自分がいた。
みんなイライラしている。
ささくれた感情がぐるぐると渦巻いている。

最近気持ちが晴れないのは、
どこか皆、気持ちがささくれているのを感じるからだ。
SNSを開けば、小競り合いのようなやりとりを目にすることもあり、
じわじわと地面に亀裂が入っていく様子に、
これが分断なんだと今更ながら気づく。

国を滅ぼすのは内戦なのかもしれない。

それを引きずったまま、けさはニール・ヤングのメッセージを
SNSにシェアしてしまった。
皆がそれぞれの立場で思い悩んでいる
そのことを伝えたいと思ったのだが
いくつかのコメントはやはりどこか苛立っているのを感じるものだった。

ライブが大好きで
ライブを応援してきた者として
言葉足らずだったと反省した。

シェアはライブの中止を促すものでも、誰かを暗に攻撃するものでもない。
大切なライブの中止を考えに考えて決断した人も、
大切なライブの決行を考えに考えて決断した人も、
わたしは応援していきたい。

同じように
考えに考えてライブを続けているお店も
考えに考えて休業を選んだお店に対しても
気持ちは同じだ。

一つの投稿が、いちばん嫌だと思っていた分断を招いてしまうとすれば、
まったく本意ではない。

じゃあ、求めるものはなんだろう。
結論はすごくシンプルだった。


さまざまな決断をしたとしても
その先にある
「戻ってくる」場所はひとつ。
それは変わらない。

そして、みんな元気に
またその場所で会いたい!

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