Happy Houseを聴きながらロックンローラーと独り向き合う。映画『シーナ&ロケッツ 鮎川誠~ロックと家族の絆』8月ロードショー
独り シナロケと向き合う。
誰ひとり同じ人間などいない。けれど、鮎川誠とシーナに代わるロック・ミュージシャンは本当にどこにもいない。
映画を観ながら、どうしようもない喪失感とともにその想いを新たにする。
『シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢』(監督・寺井到-RKB毎日放送)は、鮎川誠とシーナ夫妻、そしてその家族を追ったドキュメンタリー。23年2月にTBSで放映された内容に没後の家族・関係者コメント等も加えた再編集版となる。
1本でも多くステージに立ち続けたいと願い、2022年のライブ本数はここ数年で最多だったという鮎川さん。シナロケとしてのラストライブ含め、演奏シーンもふんだんにあるところから、当初は暗い映画館でなく皆と一緒にライブのように観たいなと思った。
でも、待てよ、これはシナロケにじっと向き合うまたとない機会なのかもしれない。
「過小評価されているよ」。サンハウス時代から活動を共にしてきたシナロケのベーシスト奈良敏博さんがと悔しそうな表情をみせるシーンがある。
シーナ&ロケッツはあれだけの人たちを熱狂させてきたじゃないか。一瞬意外に感じたが、その魅力はまだまだ、もっともっと広く世代を超えて、国境を超えて届いてしかるべきだったのだ。ビジュアルを含めた唯一無二の存在感ゆえに、イメージが先行していた部分もあるかもしれない。
だからこの映画を通じ、鮎川誠のかっこよさとは。シーナの歌と存在感とは?と、改めて自分に問いかけてみたい。
そして言葉にして誰かに伝えてほしい。誰かと観に行ったのなら、語りあってほしい。
甲本ヒロトの言葉を借りれば、そこにいたことを確かめる機会になるのだから。
ロックは生活とともに。
映画は、モデルで画家の陽子さん、シナロケのマネージャーを務めた純子さん、共にステージに立ったLUCY MILLERこと知慧子さんの三姉妹、孫の唯子さんが、一丸となって父親をバックアップした記録でもある。
自身が癌を宣告されたとき「まこちゃんをお守りするのが私の役目なのに」と嘆息したシーナもまた、鮎川誠の強力な応援団の一人だったと言えるかもしれない。
家族との関係を描くことによって途端に感傷的なストーリーになってしまうことはアーティストでなくてもよくある。
だが、鮎川誠とシーナは、ミュージシャンのパワーを削いでしまうことなく、むしろ日常を味方につけた。
私の「音楽は、くらしとともにある」という考え方も、実はシーナさんの影響が大きい。
まだシンガーになる前、シーナさんはロックを歌いながら掃除機をかけていた。確かそんなエピソードがある。私はそれを聞いたとき、家庭の事情でコンサートにも来れない、レコードもたくさん買えないけれどこの上なく音楽を愛する人がいて、そんな数えきれない人たちが音楽の世界の主人公なんだと気づいた。
映画には鮎川夫妻が下北沢のまちを散歩する姿も描かれる。まさに、家族がくらした町だ。
また、ナレーションを努めた俳優の松重豊は甲本ヒロトと同様、下北沢の中華料理屋「珉亭」でバイトした経験があり、鮎川ファミリーの暮らしたまちとの親しさを感じていた人でもある。
その松重さんが「仕事を選ぶとき“ロックンロールかどうか”を問いかけてから決めるんですよ、とちょっと恥ずかしそうにでも強い目をして語る場面がある。
すごく気持ちはわかる。
私自身、ロックではない仕事もしてきたが、結局ロックンロールにバイブレーションを持たない人とは、それっきりになってきた気がする。
福岡の音楽シーンの記録として
本作は、60年代後半から70年代にかけての福岡の音楽シーンの記録としても貴重な瞬間を捉えている。
博多にあったダンスホールや、サンハウス時代のエピソード。そして私もお世話になった、福岡ジューク・レコードの松本康さんとの交流。日本のブルース史ではかつて語られることのなかったミニコミ誌「ブルースにとりつかれて」も、ちらと映る。
昨年秋、一足先に旅立ってしまった松本さんとこの一軒のレコード屋さんがどんなにかけがえのない場所であったか。そして日本のロック・シーンの源泉であったか。映像に残されたことは後々、大きな財産になるはずだ。
ロックンロールは希望の音楽だ
ジミヘンやジャニス、オーティス・レディングが20代で亡くなったのを知ったとき、長生きは無用。退廃こそロックと考えていた時期があった。
でもそうじゃない。ロックンロールは希望の音楽だ。
「夢をもってね、がんばって生きてね」
と、シーナはステージから、みんなに声をかけた。
鮎川さんもまた同じだった。
最期の時期を家で過ごしたのだが
ベッドで休む鮎川さんを気遣いキッチンで個展の準備をしていた陽子さんに「みんなを『みんなを幸せにする絵を描いてね』」と声をかけたという。
そこに鮎川誠という人が、ステージに立ち続けた理由を見る。
ロックは生きざまだと言う人もいるが、生きざまという響きが私はあまり好きではない。まして、鮎川さんには似合わない言葉だと思う。
ロックは希望の証だといったら、お花畑すぎるだろうか。
でもハッピーでいることこそがロックンロールだと、鮎川さんは教えてくれたのだ。
そのために何をすればいいのか。それを書くのは野暮というものだろう。ただ鮎川さんはロックが、ブルースが、音楽が大好きで、それらに背くことだけは選択しなかった。
そのことはこの映画でもよくわかった。