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こんな心あたたまる中学校 〜14の瞳とともに〜

 リタイア後、望んでいた大好きな台湾での仕事を得た私。
初めての海外生活に向けて準備を進める中で、うれしい時間がありました。


 出発を控えた9月当初、東京からの帰りの電車で、大学4年となったかつての教え子と偶然一緒に。お互い近況報告、就職が決まった彼女に、私は台湾の高校でALTの仕事をすることを伝えました。

 その晩、「先生が台湾に行かれる前にみんなで会いましょう。日も迫ってるし、みんなに連絡つくかわからないけどぜひ」とうれしい連絡がありました。

 ちょっと説明しておきますね。
 彼女の学級(=学年)ですが、総勢わずか7人。過疎地の中学校です。
 
 実は彼女たちが2年生の夏に、小さな学校に閉校の話が持ち上がりました。翌年3月をもって閉校という突然の話です。
 「えっ、この学校で卒業できないの?」という思いが子どもたちを不安にさせました。

 夏休み、7人で不安そうによく話し込んでいました。
 その後地域住民の声を聴く会もたびたびあったりして、一緒に食べる給食の時間には、会の様子を話してくれました。
 
 ただ職員には、この閉校の是非について生徒の前では意見を言わないようかん口令が敷かれました。
 
 小さい学校の良しあしについて大人はもっともな意見を言います。でもそれを誰よりもわかっているのは子ども自身と思いながらも、私は生徒の声に耳を傾けるくらいで何もできず…の日々でした。

 その後、紆余曲折ありまして、
閉校は彼女たちが卒業した2年後となりました。

 ということで、私はこの学校で子どもたちの卒業を見届けることができたのです。
 

 5年後の町の成人式。あいさつを依頼された私は考えました。
 行政主催のお祝いの式なのでどうしようかな…、でも閉校の話の中で悩み心を痛めた生徒の様子にもぜひ触れておかなくてはと。
 式が終わった後、前述の電車内で会った彼女から当時の閉校の話題について話してくれてうれしかったと言われ、ほっとしました。彼女たちにとって大きな部分を占めていたんですね。

 
 学校の教師はやりがいも多くあります。でもストレスも結構強い仕事なんです。長い経験の中で体調がよくない時、私はよく蕁麻疹に悩まされました。でもこの中学校では違いました。

 何が違うのか。当時を振り返ってみると…

 端的に言うなら、生徒や地域、職員が学校をつくっていること、そして生徒も職員もそれぞれが受け入れられていることが実感できる中学校だったということです。
 

 たとえば修学旅行について、

 新幹線とホテルが決まっている以外はアレンジ自由。 
 生徒と考えて作った見学コース、宿泊ホテルの立地、夕食の候補の店の決定など、私は事前に京都を訪れて確認しました。薬師寺での法話は当日はツアーガイドよろしく社務所に走り、このわずかな中学生のためにお話をしていただくことができました。旅行会社のプランにおんぶするだけの修学旅行とは一味違いました。生徒も教師も楽しむことと学ぶこと、ともに体験しました。

 また、早稲田大学の留学生を迎えての国際交流というのもありまして。

 留学生とうどんつくりをして一緒に食べたり、浴衣を着せてあげたり。和太鼓を一緒に叩いたり、また運動会で練習したよさこいソーランを披露したりしました。自分たちでできないことはたくさんありますが、それはあらかじめ地域の人に教えてもらいます。一人ひとりがその担当に責任を持って国際交流の場で紹介するのです。

 これらの行事の基本にあること、私が強く感じたのが、結構何でも気持ちよく取り組んでいるなということです。
 一人ひとりが注目される機会が多い。そしてみんなのびのびしていて、学校内外の人と自然に付き合いながら、前向きに取り組んでいる。
 自分以外のことに対しても間口広く受け入れる。
 うまく言えないけれど許容度が大きいということかなと思えます。
 小さい集団だから自然と身に着けた術かもしれないけれど、心地よい雰囲気があるのです。

 学校でのこんな毎日は、教師の心にも変化をあたえてくれ、蕁麻疹に悩むこともありませんでした。そこにいる生徒も職員も身構える必要がなく、自然体でいるので、変なストレスとは無関係でいられるのです。

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 さて、この学級のみんなに会ったのは出発3日前。場所は、当時のホームルームの教室。閉校後、当時の校舎は社会教育施設となって利用されていました。夜の教室に全員が集合しました。

 7人全員で揃う機会はそれまでなかったようです。が、あの頃と変わらないいい関係で、温かい雰囲気でした。
 何かのきっかけで忘れていた思い出の時を振り返り、それにひたってみるのもいいことですね。良い思い出は人を勇気づけてくれるし、新しいチャレンジを後押ししてくれる。

「行ってらっしゃい」と声を揃えて送り出してくれた皆さん、
この校舎でのあの3年間の毎日、そしてそろって再会できて過ごしたこの夜の心地よいひと時に感謝します。私にとって他には代えがたい大切なはなむけとなりました。ありがとう。




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