共有できる、ということ。
「ちょうどいい」。
「代替えがきく」。
すごくいい、
つぼにはまる、
とはいかなくても
「ちょうどいい」、だからこそ
「ここちよくて」
「ずっと/いつも、通ってしまう」。
こういう世界線が存在することは
とても大切なことだと思った。
「尖っている」でもなく
「ありふれている」でもない
「ここを飛びこえたふつう」の世界線。
このことはすなわち
他者とここちよさを「共有できる部分がある」ということ。
たとえばわたしにとっての、スターバックス。
たとえばわたしにとっての、無印良品。
たとえばわたしにとっての、あのベーシックが豊富な古着屋さん。
これは
みんなにとってのスターバックスで
みんなにとっての無印良品で
みんなにとってのあの古着屋さん
なのだろうと思った。
こうはっきりと、気づかせてもらったのは
通称CCC、カルチュア・コンビニエンス・クラブ代表
増田宗昭さんのご著書
『増田のブログ』に綴られた
増田さんのさまざまな哲学やご視点に触れてのこと。
CCCは、「世界一の企画会社になる」との志で
さまざまな場づくり=生活提案の場を企画なさっている。
*
「共有できる部分」。
そこの場に立つひとも
「共有できる部分」をとおして
受け手のこちらと
場と時を共有する。
「共有できる部分」とは
すなわちそれが
場であり
サービスであり
商品である
ということ。
*
そこの場に立つひとの「代替えがきかない」サービスや製品は
それはとても
魅力的で
エネルギッシュで
生命力にあふれていて
こちらへ訴えかけるパワーをもっている。
アートや、作品、自己表現、といった領域。
そういったものと、受け手のこちらとの関係性は
すなわちそれが
そのひとそのものと、わたしとの関係性で
一対一の関わりそのもの
以外の、なにものでもない。
だからこそ代替えがきかないし
代替えがきかないからこそ成り立つ関係。
それは代替えがきかない
そのひとの生き様
そのものだけれど
「共有できる部分」という点については
限定的である。
そして
代替えがきかないそれは
代替えがきかないからこそ
永続性に欠ける。
*
代替えがきかない、ひとり、ひとりの個性
そのエネルギーを、ひとり、ひとりが生きることが
ひとがじぶんを活かす方法であり
またそれが同時に
ほんとうの意味での全体性の調和へとつながる道だと、思っている。
けれど、
代替えがきかないひとつ、ひとつが
全体性として調和をするうえで
「媒介としての場やサービス」が存在することが
とても大切なことなのだと
最近思う。
このことこそが
「共有できる」ということをつくりだす。
そして
全体性としての調和をはぐくむ
「共有できる部分」
その媒介としての場やサービスが
「おちつく」、
「ここちよい」、
「ちょうどよい」
といった
抱擁的な感覚をあたえるうえでの
大切な要素なのだと思った。
それはまるで
ある領域を突きつめ研ぎ澄ませていった先に
「普遍性」へと到達する、
といったことのように。
*
CCC増田さんのご著書の内容について、触れませんでしたが
仕事や生き方についての哲学が詰まった一冊、おすすめです。