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「受け取られること」を諦めない

最近のメタ認知
「受け取られること」を無自覚的に諦めていた自分に気づく

どうせ理解されない
甘えられない
受け取ってもらえない
だから自分でやる

キャッチボールをしたいのに、そもそも投げる相手がいない
ざわつく心、ぽっと出てきたまとまりのない言葉、弱っちい泣き言
それらは飲み込んで、消化して、最初から無かったことにする
そんな癖(プログラム)がいつしかインストールされていた
「長女っぽく振る舞うこと」を覚えた幼少期の頃に開発が始まって、シングルマザーになったここ10年で完全実装されたような感じ


このプログラムの完成度は非常に高い
息するのと同じくらいごく自然に、自動的に働く
だから、最初のうちは全く気づかない

でも、少しずつバグが溜まっていく
「受け取ってもらいたい、受け取られることを諦めたくない」
と泣いている心を無視するわけだから、
毎日少しずつ、自分で自分の心に小傷を付けている感じ
そのじわじわとした痛みに、定期的に耐えられなくなることがある


でも、「受け取られることを諦めるプログラム」は巧妙だ
そんな痛みはない、ということにしたい
だからどうするか

めちゃくちゃ仕事を詰め込む、ワーカホリックにする
お酒を飲んで、何やら開放的な気分にさせたりする

つまり、あの手この手で「心の痛みに麻酔を打ってくる」のだ

「打ってくる」なんて表現
まるで誰かから被っているように感じるが、
これ自分でやってるから笑っちゃう


さて、そうやって心の痛みに麻酔を打ち続けるとどうなるか?
だんだん「自分の感覚」が鈍くなっていく

嬉しいのか、楽しいのか、怒りなのか、悲しみなのか、
本音なのか、建前なのか、何を求めているのか、何を恐れているのか

心の機微と、それに連動する身体感覚が実体のないものになっていく
「いい感じですよー」「いつも通りですよー」といった
スカスカの言葉(感覚)に丸め込まれていく


「受け取られることを毎日少しずつ諦める」だけで
人生、虚無まっしぐらですよ
なんということでしょう、ものすごい威力


ということに気づいてしまったので
「受け取られることが前提」で生きてみることにします

どうせ理解されない、も
甘えられない、も
受け取ってもらえない、も

ほぼ100%思い込み


そもそも
今こうやって徒然なるままに言葉を連ねてること自体が
「ここで生きてていいよ」って
世界に受け取ってもらえてるやないか
すでに前提はあった


こんなふうに
「あるのに見えてないリアル」は山ほどある
よくよく観て、感じて、丁寧に言葉にする
今やりたいことはこんな感じかな

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