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vol.6 絆

展示会最終日

閉場時間が迫っている時だった。
私は販売スタッフの中で最年長のスタッフと共に、新規のお客様の接客に入っていた。
その方は年配のご婦人で、お嬢様と一緒に来場されていた。
お母様がゴールド色のパールのチョーカーをお気に召してくださり商談も佳境に入った。
全体の売上数字を把握していた私は、
〝この買い上げが決まれば予算が達成出来る〟
と、心が躍った。
そう…
あと一本の販売で予算がクリア出来るところまで来ていたのだ。

「部長、こんな時期にお越しくださったんだから、いっぱいサービスしてあげてよー」

お客様から頼まれてもいないのに、このようなことを言ってしまう販売スタッフの悪い癖。
しかし、彼女は年の功かそれをお客様に不快に感じさせず、逆にお客様に共感してもらえる不思議な魅力を持ち合わせている女性だった。
私が困ったような顔をして商談に応じると、二人は大いに盛り上がりお客様が外商カードをテーブルの上に置いた。

「ありがとうございます!」

販売スタッフが少し大袈裟ではないかと思うくらいの大きな声を出した。
私も全体数が達成する安堵感から、静かに喜びが湧き上がってくるのを感じた。

が、その時だった…
その声と同じくらいの音量で、

「よくこんな時期に楽しそうに買い物なんか出来るよね!震災に遭われた人達のこと考えたら、こんなことしてる場合じゃないんじゃないの?有頂天で〝宝石なんか〟買うなんて信じられない‼︎」

横に座っていたお嬢様が憤りを露わにして大声を放った。
私は驚いて目を見開いた。
販売スタッフは口をぽっかりと開けたまま動かない。それはそれは激しい口調で、会場内にいたお客様やスタッフ全ての視線がこちらに集まった。

販売スタッフがお母様を接客中、不機嫌そうに横に佇むお嬢様の様子を気にした私は、様々な話題を持ちかけ何度も話しかけていた。
けれども、何を話しかけても動じてはくれなかったお嬢様。その理由がこの時になってやっと分かったのだった。
その場を収めようと私が口を開こうとしたその時、

「まぁ、お嬢様そんな風に言わないで〜」

販売スタッフの方が一足先に声を放った。
その言葉遣いがやけに鼻に付いたが、今それについて注意している場合でもないと思い、思考を元に戻した。

「お母様がこんなに気に入っているんだから良いじゃない。自分で自分の物を買うんだからそんな風に言わないであげてよ〜」

お嬢様を諭すかのように続けるスタッフ。

「こんなに気に入ったんだからこれは持っておくべきだと思うわよ。どうせいずれお嬢様の物になるんだからお嬢様も後から許してくれるわよー」

今度はお母様へ訴えかける。
せっかく決定した商談が不成立になるのをどうにか回避したい気持ちは私も同じだった。
が、こんなに捲し立てたのでは火に油を注いでいるようなものではないかと思いお嬢様の方を見た。同時に目の端に、心の葛藤を隠せず眉間に皺を寄せ考え込んでいるお母様の姿が映り込んだ。

「もう帰ろうよ!今じゃなくても良いじゃない‼︎」

案の定、立ち上がりお母様へと再度怒りをぶつけたお嬢様。
お母様はその声に従うように、顔を卑屈に歪めながら出していたカードへと手を伸ばした。
それを見た販売スタッフは、

「後から後悔するんじゃないの?宝石は欲しいと思って買いに行くものじゃなくて、その時に欲しいと思ったものが生涯のお供になるものだったりするのよ。ひと時の気まぐれにならないのが宝石なんだから…」

悲しげな表情をしてそう言った。
相変わらずの言葉遣いが気になったが、お客様を思って言っていることだと言うことだけは私には理解出来た。すると、手元に戻そうとしていたカードを持つお母様の手が止まった…
未だ迷っているようだ。

そんなやり取りを見ながら、私はどう対応するべきかを考えていた。
目の前のカードを決済すれば予算は達成する。
喉から手が出るほど欲しい数字だった。
けれど、お客様のお買い物と数字は同じことだが同じ考えを持つものではない。
私達が販売しているジュエリーは、お客様にとって楽しんで満足して買った思い出と共に、自身を輝かせるアイテムとして末永く利用していただけるものだと誇りを持って販売しているからだ。

私は考えた末に覚悟を決め、険悪なムードの三人の輪の中へと割って入った。
そして、

「お客様、今回はやめておきましょう。お嬢様がご反対されていらっしゃる中で親子喧嘩をしてまで購入するべきではないと思います」

力強くはっきりとそう言った。
〝何言い出すの⁉︎〟
と言わんばかりにギョッとした様子でこちらを見たスタッフ。
しかし、それには目もくれず、

「先程○○も申し上げましたように、宝石はお母様からお嬢様へと受け継がれるアイテムともなるものです。勿論、ご本人様が長くお楽しみになられることが一番ですが…貴重で高価なものだと言う価値に限らず、それだけ長くお使い頂けその方の思い出が詰まっていくものだからこそ、より大切なものになるのではないでしょうか?私共はそのような考えでお客様へジュエリーをご提案させていただいております。お嬢様がご反対されている中でお母様が気持ちよくお買い物出来ないのであれば今回はおやめになった方が良いと思うんです。どんなにお客様自身が商品を気に入ってくださっているとしても、着ける度に今この時のことを思い出されるのではないですか?そうなると、こちらをお着けの度に嫌な気持ちになってしまいます。それではこのパールも活きませんから…」

と、息もつかずに一気に話した。
そしてゆっくりとトレーに載っているパールのチョーカーを自分の手元に引き寄せた。
お客様の目線がチョーカーを追う。
が、私はそれさえも知らぬ振りをした。

「それとお嬢様、少しだけ私のお話を聞いていただけませんか?」

販売員から〝お買い物はしないでください〟と言われたせいか、拍子抜けした様子で落ち着きを取り戻していたお嬢様。
不思議そうな顔をしながらこちらの方を見つつ、もう一度椅子へと腰を下ろしてくれた。
私はお嬢様へと居住まいを正し、

「お嬢様のお考えはごもっともだと思います。このような大震災が起こり、私もお嬢様と全く同じ考えでおりましたから…」

そう言った後で、沖縄のお客様方の話しをそのままさせてもらった。
年齢、職業関係なく、皆がこの危機を乗り越えどう生きていけば良いかを考えていると言うことと、お客様方に応援してもらえたことで漸く自分の仕事と向き合うことが出来たと言うこと、ならば自身が関わっているこの仕事の中で何が出来るのか、どうすべきなのかを私達も考えているのだと言うことを自分の言葉に変えた。
それから、今日ここに来店して頂いたお客様への感謝の気持ちを伝え、お買い上げ頂いたお客様方の中にも沖縄のお客様方と同じような思いがあるのではないかと言う話しを続けた。
そして最後に、

「お客様方にはこのような時期にこちらにおいで頂けたからこそ、買う買わないは別として、ジュエリーを通して安らぎを感じ、気持ちを前向きに持っていただける機会にしていただきたいと思っているんです。私達に出来ることはそれくらいしかありませんから…それなのに、お買い物をすることでお母様とお嬢様の間に溝が出来るようなことになるのであれば本末転倒です。勿論、私達は商売をする為にここに居りますから綺麗事ばかり言っていても成り立ちたません。お客様が購入してくだされれば私達も救われます。けれども、私達はプロのジュエリーアドバイザーですから、先程彼女も申し上げましたようにお客様がお選びになられたジュエリーがひと時の気まぐれになるようなご提案は致しません。この悲しい出来事から時が過ぎて少しずつお客様方の心が癒始めた時、〝あの時、こんな気持ちで買ったんだよね〟みたいな、ジュエリーは、そんな媒体にしていただきたいんです」

と、二人に向かって思いの丈をぶつけた。
色々な感情が入り混じり、私は両手の拳を強く握りしめながら熱く語っていた。
そんな話しにお客様方は静かに耳を傾けてくれている。
震災直後のこの開催でなければ、このような話をお客様にすることはなかったと思う。
けれど、〝宝石なんか〟と言ったお嬢様に私はどうしても伝えたかったのだ。

「長々と話してしまい申し訳ありませんでした。
今日は貴重なお時間を本当にありがとうございました」

話しを終えた私は立ち上がり、お客様に深々と頭を下げた。あまりに力が入り過ぎて目頭まで熱くなっている。
販売スタッフも話しに共感してくれたのか、それ以上お客様に商品を薦める様子を見せず、少し遅れて立ち上がり私の横で同じように頭を下げた。
しかし、お客様方が立ち上がらない。
私とスタッフは直立したままその様子を眺めていた。
すると突然、

「欲しいの?」

お嬢様がお母様に向かって一言放った。
隣りでコクンと大きく頷いたお母様は、テーブルの端に置いてある少し遠目になったパールのチョーカーを見つめながら、

「いただいてもよろしいかしら?」

と、呟くようにそう言った。

ん⁇⁇

お見送りの準備に気持ちが切り替わっていた私は、お客様の言葉の意味が一瞬分からなかった。
隣に立っている販売スタッフもピンと来ていないようで微動だにしない。

「なんか色々言ってすみませんでした。これ、母が諦めつかないみたいなのでいただいて行きます。お包みしていただけますか?」

今度はお嬢様が私達二人に向かってはっきりと意思表示をしてくれた。

「娘も納得してくれたみたいだから、いずれは娘に使ってもらうわね」

そう言うと、お母様が手に握りしめていたカードを販売スタッフに微笑みながら手渡した。
私とスタッフは驚いた表情のまま顔を見合わせお客様に向き直ると、

「ありがとうございます」

そう言い、もう一度深々と頭を下げたのだった。


最後のお客様をお見送りしたところで展示会は終了した。
こうして私達は無事、売上予算を達成することが出来たのだ。それもこれも全て、共に乗り越えたいと思う人達の意識が行動に現れたからだと思った。

東日本大震災は、大きな悲しみと絶望を私達にもたらした。
被災地の方々の受けた過酷な現実は、私なんかが想像もつかない程、大きく計り知れないものがある。だからこそ、人が人を想う気持ちが遠く離れた人であったとしても心を痛め、誰もが無傷ではなかったのだ。
現実問題として会社の存続危機にも立たされた私達だったが、支えてくださったお客様方のおかげで難を逃れることが出来た。
この時期に仕事をさせてくれた百貨店も忘れてはならない。
私はこの時、全ての人に心から感謝していた…



それから時が過ぎ7月に入った

震災から5ヶ月後、被災地である福島県の百貨店での展示会が開催されることとなった。
その頃、メディアが作り出したのか、
〝がんばろう東北〟
と言うフレーズの横断幕やステッカーなどが作られ、各地に貼られているのを度々目にするようになった。広告や店先にもその文字が飾られている。〝自分達も応援しているよ〟と、被災地の方を勇気づけるつもりで作られたらしいが、私はいつも違和感を感じながらそのフレーズを眺めていた。
被災地にある楽天イーグルスが腕にワッペンとして付けていたのは理解出来たが…

何故なら、〝頑張ろう〟と言う言葉は自分が自分に言う言葉であって、他者が他者にもたらす言葉ではないと私は思っているからだった。
それが、〝頑張れ〟であっても同じことだ。
理由は、頑張る基準は自分自身にしか分からないことだと思うからだ。
唯一、他者からかけてもらえて嬉しいとすれば、〝頑張ったね〟と言う使い方だけだろうか…
置かれている環境や苦しみは当事者にしか知り得ない中で、自分の物差しでそれ以上に頑張れと言葉をかけることは私には出来ない。
ましてや、大変な思いを強いられ、大きな悲しみや絶望感から這い上がろうと足掻いている被災された方に対して〝頑張ろう〟とは口が裂けても言えない。そう思っていた…
私の中で〝頑張る〟と言う言葉は、かなり重い意味を持っているからなんだと思う。
勿論、これは私の個人的な価値観である。


この百貨店の担当をしていた私は、広告作成に取り掛かっていた時、広告宣伝部の内勤スタッフにそのフレーズは入れないで欲しいと頼んだ。
替わりに展示会中に宝飾ケースの上に立て掛ける卓上ポップの作成を依頼した。
その文言は、『LOVE福島』
人がどう思うかは分からないが、これが私達から福島のお客様方に伝えたい一番適した言葉だと思ったからだった。

この展示会は、百貨店の1階の中央にあるメインステージで行う大掛かりなイベントで春、夏、冬と年3回開催させてもらっていた。
百貨店のメインステージと言うこともあり、会場の装飾にも力が入っており、冬のクリスマス時期には3メートルもする巨大なモミの木を飾ったりしていた。
毎回、宝飾ケースの脇には季節に合わせた数々の花も飾られる。
その花を何にするか選択するのも担当である私の役目であったが、ある在社時に社長から呼ばれ、この開催では行灯作りの朝顔を使うよう指示があった。
社長は指示をしただけで理由を言わない…
私は自席に戻りパソコンで朝顔の花言葉を調べてみた。
ネットの記載を見ると、〝はかない恋〟と書いてある。

なんじゃそりゃ…

特に意味はなかったのかと、少し落胆しながらカーソルを動かした。
すると、次の花言葉には〝固い絆〟と書いてあった。

暗い道を行灯を持って歩いて行く人の姿と、固い絆と言う文字が頭の中で重なり合った…

なるほど…

理由を言わなかった社長の気持ちを察した途端、〝ニヤリ〟と顔が綻んでしまった。
社長がこっちを見ているような気になった私は慌てて右手の親指と中指で頬を摘み、自分の両頬をマッサージするふりをした。


展示会当日

来店してくれた顧客様方が、

「あら〜朝顔、綺麗ねーー」

と、会場内を埋め尽くす大量の行灯朝顔を見て口々にそう言った。
私は、

「うちの社長が皆さんの足元を行灯がしっかり照らしてくれるように…って願いを込めて飾るって言うもんですから…しかも、朝顔の花言葉は〝固い絆〟なんですよー。それ知った時、私、思わず社長の顔見ちゃいましたよ」

と、少し肩の力を抜いた感じで顧客様方にその〝想い〟を伝えた。

『他者の良いところは人に言いまくれ』

これは、魔法の杖を私にくれた盲目の祖母の教えの一つだ。
私は来店された顧客様全てに同じ話を繰り返した。
朝顔は毎日、毎日花を咲かせた。
こっちの花、あっちの花…
尽きることなく咲く花に、私まで元気をもらっていた。
不思議なことに、朝咲いて昼には萎むはずの朝顔の花は夕方になっても咲き続けた。
まるで花々が、

〝咲いたよ!萎んでもこっちが咲いたよ!
咲き続けるよ!大丈夫だよ‼︎〟


と、応援してくれているかのように思えた。

もう一つ、不思議な現象があった。
ほとんどの顧客様は会期中、多くて2度までの来店が通常だ。ところが、一度来店されたお客様が、翌日も一日空けて再びと2度、3度と来店されるのだ。
その度に、

「今日も綺麗に咲いているわね〜♪」

そんな会話から始まり、お茶を飲みながらひと時を過ごしていく。
会場内の和やかな雰囲気は、通りすがりの百貨店来店客にも楽しそうに見えるのか新規のお客様方が会場内に続々と入って来た。
そして、最終日にも沢山の顧客様が再来店された。

「震災で落ち込んでいたけど久しぶりに笑ったような気がする。貴方達が来てくれて本当に嬉しかったわ。ありがとう!」

そのような言葉をたくさんの顧客様にいただいた。嬉しくて胸が熱くなった…
私達とお客様との絆を仲介してくれた朝顔。
お礼でもないが、顧客様方に飾っていた朝顔を持って帰ってもらうことにした。
肝心な仕事はと言うと、こちらの方が有難い言葉をたくさんいただいたのにも関わらず、この開催も予算を大幅にクリアすることが出来た。
正に、〝絆〟がもたらしてくれた結果だと思った。

それから何年か経った後も、この百貨店に行くと朝顔の話題が出たり、持って帰った朝顔が今もまだ咲くと言う話しをお客様方から聞くことが度々あった。
この展示会での出来事は、お客様方の心の中にも印象深い出来事として残してもらえているのかもしれない…


私達は展示会の成功と共に、もう一つの目的を達成した。
会社は4月のあの展示会から、売上金の一部を被災地に義援金として寄付することを決めた。
私が沖縄でのイベント最終日に、社長と百貨店担当者に懇願した提案だ。
自分の仕事を成功させることで被災した方々の役に少しでも立てると言う思いは、世間の雰囲気に今にも呑まれてしまいそうだった自身に打ち勝つ糧となりエネルギーへと変化していた。
そこへ入って来た会社の存続危機と言う緊急事態。
けれどもその話しを知る前に、展示会の準備は既に、物理的にも心理的にも整っていたのだった。
だからこそあのホテルの一室で、

「予算は必ず行かせます」

と言う言葉を、私は社長と副社長の前で断言することが出来たのだ。
悲しみや恐怖、不安に打ち拉がれていた私に、やれることを気づかせてくれた沖縄のお客様のおかげだった。

展示会が終わった後、これから開催される展示会でも同じことをやろうと社長が言い出した。
結局、4月の展示会から一年間、会社は売上の一部を被災地に送り続けた。
人の想いが重なり合うことで起こる揺るぎない結束力は、苦しみをバイタリティに変えるのだと言うことを思い知った。
会社に関わる一人、一人の大切さや、会社を守れるかどうかは、そこで勤める人達にかかっていることを見に染みて感じた。

私はこの経験後、これまで通りの仕事に加え、どうすれば自分が関わっていない店舗でも売上が立てられるのかを考えながら、ソフト面を強化させる為のシステム作りに取り掛かった。
各々のスタッフが自身の力を発揮するまでのプロセスが足りていないことに気づいたからだ。
寝ずに作業をする日々が続いたが、夢中でその先を見ていた為か全く苦にならなかった。
それともう一つ理由があった。
もう二度と社長のあんな顔は見たくなかったのだ…

その年の9月
私は部長から営業本部長へと昇格した。
社長はこんな時だからこそ、この役割を任せたいと言ってくれた。
部長の役割も果たせていなかった私が本部長になって何が出来るのか全く想像がつかなったが、この時、社長には社長の見え方があるのだと言うことだけは悟った。
その期待に応えたくもあった私だったが、見渡す場所が変わりつつあるものの、猪突猛進な性分が直るわけでもない…
あれやこれやと空回りする出来事がまだまだ続くのだがその話はまたの機会にするとして、次回からは再び、クロスのペンダントのお客様の話に戻るとしよう…


〜続く〜






百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!