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vol.3 支えてくれるもの

展示会当日の朝、出来上がったお客様の指輪を持ち込む予定のスタッフが集合時間になっても現れない。
いつもなら私よりも先に入っているようなスタッフだ。何かあったのではと心配になってきたその時、携帯電話が鳴った。

その声は震えていて、急いで話そうとするので言葉がよく聞き取れない。その様子から、何かがあったと言うことだけは感じ取れた。

「電車の中にバックを忘れてしまいまして…直ぐに気づいて戻ろうとしたんですけど、扉が閉まってしまって…駅に問い合わせして探してもらったんですけどないんです…まだ、終点まで着いてないので終着駅に着いたくらいにまた連絡してみようと思ってるんですけど…」

焦るスタッフに、

「ちょっと落ち着いて。何がないの?バック?バックが無くなったってこと?」

言いながら、無くなったものに勘づいた私は、頭を打つけたような衝撃と同時に心臓が跳ね上がった。
恐る恐る口を開き、

「もしかして、その中にお客様のリングが入っていたの?」

聞きたくない答えだが、確認しない訳にもいかない。
スタッフには申し訳ないが、私物を電車に置き忘れたのだと答えてくれないかと切に願った。

「は…はい…す…すみません…」

願い虚しく、スタッフはうなだれるように返事を寄越した。
サイズ直しの出来上がりに問題が発生し、枠の作り直しを快よく受け入れてくれたお客様。一ヶ月以上も待ってもらって、やっと納品が出来ると連絡を入れたばかりだ。
この内容をなんと説明すれば許してもらえるのだろう…
しかも、ハンドメイドのリングだ。
同じ物は作れない。
枠は作れても、同じ石はないのだから…

私は愕然とし、今度は目の前が真っ暗になった。

「何で商品から手を離したの⁉︎商品持ち運びの時は、絶対手を離さない決まりだよね⁉︎」

私は、スタッフを咎めるような荒々しい口調でそう言った。

「すみません…」

もちろん、それ以外の答えはない。
今、スタッフに詰め寄っても商品が出てくる訳でもない。
私は深呼吸をして自分を落ち着かせ、終着駅まで行っていいので、とにかく探してみるよう指示を出して電話を切った。

その日、不幸中の幸いで副社長は会場にいた。私は急いで駆け寄り、スタッフからの連絡の内容を報告し、お客様のお宅へお詫びに行く提案をした。
この期に及んで納品出来ないこと、しかも、紛失したなどと電話で話せる内容ではないからだ。

「それはまずいね…あいつ、何で商品から手を離したんだ?」

いつも笑顔しか見せない副社長の眉間に皺が寄った。そして、

「これはうちだけでは解決出来ない問題だから、ちょっとマネージャーのところに行ってくる」

そう言うと、百貨店のマネージャーの元へと走って行った。
数分して戻って来た副社長。

「お客様に連絡して、ご自宅に伺ってもいいか聞いてくれる?僕とチームリーダーの◯◯さんが行くから…」

そう、私に指示を出した。
私は頷き、直ぐさま電話口へと向かった。

百貨店はグループ分けがされていて、私達メーカーもグループに所属する形となる。私達の担当をしていたのは第二グループのマネージャーとチームリーダーの二人。
その日は、マネージャーが不在だったようでチームリーダーがお客様のところへ一緒に行ってくれるようになったらしい。
お客様のお買い上げ商品を紛失したとなると、会社間の信用にも関わる大きな問題だ。お客様、百貨店、双方から非難されるのは当然の危機的状況だった。
一度失った信用を取り戻すことほど、大変なことはない。お客様の態度によっては、奈落の底に落ちて這い上がれない可能性も十分にある。

先ずはこのバトンを繋がなくては…

私は、納品が遅れると連絡をしたその時よりも更に緊張した。受話器を持つ手が小刻みに震える。片手で持っていた手を両手で支えることで何とか保つことが出来た。
そしてダイヤルを押した。

「◯◯様、昨日お指輪が出来上がったとご連絡差し上げたばかりで、何度も申し訳ありません。お指輪の件でどうしてもお会いしてお話しさせていただきたいことがあるのですが、本日、お家にお伺いさせていただけませんでしょうか?」

一切の説明を飛ばして、家に行きたいことだけを直球で投げた。

「えっ?家に?何で⁇」

お客様の返事はごもっともだ。
私の顔は火照り、脳の血管を圧迫していた。

「すみません。ご都合も聞かず大変失礼かと思いましたが、どうしてもお会いしてお話しさせていただきたいんです。弊社の◯◯と百貨店のチームリーダーの◯◯がお伺い致します。ご都合の宜しい時間帯を教えていただけませんか?」

こんな時、営業、販売で培った会話術は全く機能しない。
いや、私には出来なかった。

「えらく大層なことになってるみたいだけど、何があったの?出来上がりがまた、良くなかったとか?」

お客様の〝また〟と言う言葉に胸がチクりと痛んだが、それ以上の衝撃を受けるお客様を思うと息が出来なくなりそうなくらい胸が苦しかった。

「本当に申し訳ございません。きちんとお話しさせていただきたいのでお伺いさせていただけませんか?」

私はお客様へ返事を返さず、直球を投げ続けた。すると、

「今日は家に居るからいつでも結構ですよ。副社長さんが来るんならお家片付けておかないと…お食事はして来られるのかしら?」

お客様は内容を聞くのを諦めたのか、急にウキウキとした様子でそんなことを言い出した。

「ありがとうございます!玄関先で結構でございますので何卒よろしくお願い致します」

私が言うと、

「あら、そんな玄関先じゃ申し訳ないわ。副社長さんがせっかく来てくださるのに…とにかく待ってますから、気をつけて来るように言ってください」

最後は、副社長が家に遊びに来るかの如く電話を切られたが、家に行くことを承諾してもらえた私は、ひとまずホッとした。
これから先の事は副社長に任せるしかない。どんな結果になろうとも、副社長が持ち帰る結果であれば異存はない。
それを気にするよりも、私には売り場に集中し売上に穴を空けないと言う役割りが残っている。来る予定だったはずのスタッフも一名足りないのだから…

夕方…
人が頑張っていると思うとこちらも気合いが入るのか、その日は数字をしっかり上げて副社長が帰るのを待つことが出来た。
そして、お昼過ぎに出掛けて行った二人がやっと戻って来た。
お礼と労いの言葉を掛けようと駆け寄った私の顔を見た途端、

「◯◯さんは凄い!凄すぎる!!こっちは何言われてもしょうがないと思って行ってるのに、内容話したら、◯◯さんに任せるから良いよって。いつかくれればそれでいいから、急いでないからゆっくりやってだって。いや、石がないんだって言ってるのに、◯◯さんが選んでくれたら良いからって。どうやったらあんなにお客様に信頼されるんだろう?結局3時間、お客様の昔話聴いてただけだもん。お客様、◯◯さんが家に来てくれたの喜んでるくらいで、これ飲む?あれ食べるって、逆にもてなしにあっちゃってさぁ」

と、チームリーダーがとめどなく話し始めた。副社長は横で苦笑いをしている。
それを聞いて、お客様が許してくれたことに有り難い気持ちでいっぱいになった。
私は、副社長に目を向けた。
副社長は私を見て、にっこりと笑った。

「お忙しいところ、お付き合い頂きありがとうございました。今後、このようなことがないようしっかりやっていきますので…本当に申し訳ありませんでした」

話しが落ち着き、私がチームリーダーにそう言うと、

「お客様が許してくれたんだから、うちとしてはしっかり作って納品してもらえれば問題ないから。ただ、こんなことは二度とあり得ないよ。商品管理、疑われますよね」

と、少し険しい顔をして言った。
結局、バックは見つからなかった。
が、私達はこうして危機的状況を脱出することが出来たのだった。

それもこれもあの時、副社長〝だけ〟が、お客様の存在を無視しなかったからだろう…
お客様と副社長の関係性は、物の売買の関係を上回っていた。それが、この奇跡の結果に繋がったのだ。

お客様は、副社長に全てを任せる理由をこう言ったらしい。

「この人は、私に猫目石を見せてくれた人だから。猫目石のおかげで私はまた、頑張ろうと思えたから…」

と…


それからと言うもの、チームリーダーは事あるごとにに副社長の名前を出し、崇拝するように褒め称えた。
売上が上がる度、

「さすが◯◯さん!」
「◯◯さんに任せておけば安心!!」
「今度はいつ入られるんですか?」

副社長が居ない時は私に、本人が居る時は本人に、逐一確認するように聞いていく。最初は気にならなかったチームリーダーの副社長を褒め称える言葉が、日が経つに連れだんだんと私の心に引っかかるのを感じた。
そんなある朝、チームリーダーが私にダイブして飛び乗り、身動きが出来なくなる夢を見た。その夢がやけにリアルで、苦しさにもがきながら飛び起きたのを今でも鮮明に覚えている。
その日から、私の中の眠っていたはずの〝褒められたい虫〟がザワザワと騒ぎ始めた。

どんなに頑張ったって、誰も私は褒めてくれない…

そんな気持ちを抱えて売り場に立つと、とても元気がないように見えるのだろうか…

そんな時、売り場のスピーカーから〝頑張れ!〟とでも言わんばかりに明るく可愛い調子の洋楽が流れてきた。私はその曲が大好きになった。それを聴くとなんだか気持ちが前向きになれたのだ。
ある時、ブース前を通りかかった担当マネージャーに、

「マネージャー、たまにかかる女性が歌っている洋楽、誰の曲なんですか?」

と聞き、それを聴くと元気になれると言う話しをした。それは、Maarjaと言う女性の歌手が歌っているアルバムだとマネージャーは教えてくれた。その中でも特に好きな曲は、First  in Lineと言う曲だった。
後に曲のタイトルを知って、どこまでも自分がスポットライトを浴びたいのかと少し恥ずかしくも思えたが…

時は過ぎ、顧客も増えて来た頃から副社長はあまり売り場に入らなくなった。
もともと規模の大きい百貨店の、追っても追っても切りがない売上は、私の肩にどっかりと重くのしかかっていた。
少しでも売上を落とそうものなら、〝副社長は入らないの?〟とあからさまに言ってくるチームリーダー。
当時の私はとても険しい顔つきをしていたのではないだろうか…けれども、極限を迎えようとすると決まってまたあの曲が流れてくる。不思議なもんだ。
結局、その曲に癒され奮起する私。

そんな中、店外での一社催事が決まった。年末、会社の全ての社員も参加すると言う大掛かりなプロジェクトだった。
もちろん、百貨店の予算もこれまでとは比べようのない大きな数字。
企画は副社長、準備は私、集客も私、細かい仕事は全て私だ。
もちろん、どれが欠けても成功はしない。
けれども、数値予測が立つのは集客に他ならない。ここを失敗すれば、全くの博打になってしまう。
そんなプレッシャーを知ってか否か、

「上もかなり期待しているんですよ。社長も副社長も入るんでしょう?何とかなるよね?」

と、チームリーダー。
とどめを刺したいのだろうか?そんな風にさえ思えてきた。それに反抗するように、まだ手掛けてもいない与えられた仕事を負担に思い、逃げ出したい気持ちさえ生まれてきた私。
そんな時、

「これ、今度の展示会でかけるように作ってみたんです。良かったら先に聴いてみますか?」

マネージャーがCDディスクを手渡してくれた。

夜、家でCDを聴いてみることにした。
初めに流れてきた曲は、何だかマジックショーでも始まりそうなノリノリの曲だった。それから、マンマ・ミーヤや爽快な曲が流れ、気持ちが落ち着いてきた8曲目くらいに私の大好きなMaarjaが流れてきた。しかも、マネージャーが選んでいた曲は、偶然にもFirst in Line だった。
普通に聴いていると分からないが、接客のペースで考えると時間隔的に〝頑張れ!〟と言われたいくらいの配分だ。
そう言えばCDを受け取る時にマネージャーが、〝私を思い浮かべて作った〟って言ってた…

まさか…

私はこれまでの不思議な現象に気づき、衝撃を受けた。
売上が上がらなくて焦っている時、数字が大き過ぎて気負っている時…
マネージャーが私達のブースの前を通る時に、口をへの字にしながら私の顔を見て通り過ぎて行く。それが何を意味するのか初めは気づかなかったが、その時、私の口がそうなっていたことに後から気がついた。
そのあと、会場内のスピーカーから大好きなMaarjaが流れてくる。
絶妙なタイミングで…
違う。絶妙なタイミングで流れてきていた訳ではなかった。
流していた人がいたのだ…

副社長を褒め称えるチームリーダーに嫌な気持ちを抱え、何に対する嫉妬なのかもわからないままふつふつと過ごしてきた日々。
何を言う訳でもなく、ただ見守ってくれていた人がいた…
それが私に一番効果的だと思ってのことだろうか?
確かに、私には一番効果的だった。
何故なら、私の中から〝嫉妬〟と言うふた文字が、一瞬にして消え去っていったのだから…その二文字が消えた途端、心の中の黒いものが全て浄化された。
私はただ、自分がそこにいることを認めて欲しかっただけだったのだ。
お客様もきっと同じ気持ちだったに違いない。だからこそ、副社長のことが特別な存在になったのだろう。
自分が両方の気持ちを味わって初めて分かった。商売云々の前に、人が人と向き合うことの尊さを…
それを気付かせてくれたマネージャーに、私は心から感謝した。

そして、この大掛かりなプロジェクトは、大成功のうちに幕を閉じた。
その展示会が終わった数ヶ月後、マネージャーは本社勤務となり、チームリーダーが昇進してマネージャーとなった。
私は、唯一の心の拠り所であったマネージャーが居なくなることに不安を感じた。

マネージャーが居なくなってすぐの事だった。普段あまり雑談をしない新マネージャーが私達のブースに近寄って来て、私にこう言った。

「マネージャーがね、三千人に一人の逸材だって言ってたよ」

えっ?

私は何のことか分からず、新マネージャーの顔を見た。

「だから僕は言ったんだ。五千人でもいいんじゃないですか?って」

二人が私のことをそう言ったんだと教えてくれた新マネージャー。私は、さすがに言い過ぎだと言って笑った。
そう言いながらも胸はジーンと熱くなり、温かいものに身体中が包まれていくのを感じていた。
それと同時に、百貨店マン達のさりげない心遣い、その使い方に驚いて感動さえ覚えた。

どこかで何かに、誰かに支えられていること…

それを痛感する出来事だった…


そうだった。
商品を紛失したスタッフがその後、自分とバックを繋ぐチェーンを購入したことは書いておこう。


〜次回へ続く〜











百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!