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ゼミ旅行での恥ずかしい思い出

私は鉄道を中心とした旅行が好きなんですが、最近は例のアレのせいで自粛を余儀なくされております…┏(x_x;)┓

その分、支出が抑えられているといえば、せめてもの慰めになるかもしれませんが(;´∀`)


さて、時折昔の旅を回顧するシリーズ(いつ始まったのやら?)として今回お送りするのは、私の一人旅ではなく、集団行動での旅の思い出です。


私は大学の卒論では、日本の政治ゼミに所属していました。

遂に自分のやりたかった学問に打ち込める!

ゼミの講義は欠かさず出席し、そこで得た人の輪も、これまた中学高校の仲間と同じく大切なものに思っています。

そのゼミには3年生から参加出来るのですが、学年的にはまだ2年生末期でゼミ予備軍だった頃、ゼミの新歓旅行をやるから是非参加して下さい、という案内がありました。

内容は2泊3日で、初日は新幹線で東京に着いたらすぐ竹芝桟橋へ行き、ナイトクルーズで夕食。
2日目は国会見学後、茅ケ崎の松下政経塾へ移動し、一泊二日体験講義の夜の部を受けてそのまま宿泊。
最終日は松下政経塾の一泊二日体験講義の午前の部を受けた後、夕方東京駅へ集合するまでは自由。

こんな感じで、なんだか、オラ、わくわくすっぞ!(by悟空)的プログラムでした。

同期で一緒にこのゼミへ入ろうと話していた友人以外は、ほぼこの旅が初対面。

でも長い時間一緒に行動しますので、まずは初対面の同期と、そしてそのうち先輩方と打ち解けていき、竹芝からナイトクルーズに乗る頃には、騒々しい広島からのお上り軍団が完成していました(笑)


今と違って携帯電話もなけりゃデジカメもないので、ほとんど頭の中の記憶だけで書いていますが、翌日の国会見学では、当時野党で今は与党の下駄の雪と化しているK明党の、その当時有名だった議員さんと院内ですれ違い、威圧感に圧倒されたのを覚えています。

その後、松下政経塾へと移動したのですが、何に驚いたかというと、テレビがないんです!

三食食べる食堂にもなく、与えられた個室にもなくて、ビックリしましたよ(◎_◎;)

そこでの体験講義は、その頃に松下政経塾にて学んでいた学生さんからのアドバイス的な話を聞くのがメインだったんですが、誰から話を聞いたかちゃんとメモしておけばよかったな~。

もしかしたら今や大物の議員になっているかもしれませんしね(笑)


体験講義を終え、僅かな時間ですが自由時間を与えられた私達♪

私は、幼少の頃に住んでいた、横浜市旭区笹野台という町に行くことにしていました。

約8年ぶりに行く町は、どう変わっているかな?

と、茅ケ崎から東京へ向かう皆さんとは横浜駅で一旦別れ、私は相鉄線で三ツ境駅を目指しました。

丁度私が広島へ引っ越す時に始まった、三ツ境駅大改良工事が終了していまして、とても昔の面影はありませんでした。

母親と毎日のように買い物に来ていた商店街もすっかり寂れ、8年でこんなに店って潰れるものなのか?と愕然としましたよ。

寂しい気持ちを抱えて、昔住んでたアパートのある所へ行ってみると、なんとアパートは取り壊されていました。

いや~、思い出に浸れる物件が、悉く無くなっています( ノД`)シクシク…

もっとも商店街が寂れたのは、上に書いた三ツ境駅大改良工事によって、4階建ての駅ビルが完成し、ちょっとしたショッピングセンターになっていたからなんです。
そこへ移転した店もあるようで、一概に商店街があっという間に廃れたわけではないとのことでしたが、やっぱり隔世の感を禁じ得ませんでしたね。


東京駅への集合時間を逆算すると、そろそろ三ツ境駅を出発せねば、という時間になったので、三ツ境駅のロッカーに入れていた2つのカバンを取り出し、横浜行きの電車に乗りました。
ちょっと混んでいたので、1つは抱えて、1つは網棚に置きました。

横浜駅ではJRに乗り換え、東京駅を目指しました。

東京駅に到着、別れていたゼミの皆さんと合流し、帰りの新幹線に乗るため、ホームへと上がりました。

私の手元にはカバンは1つ。

ひ、1つ?(・∇・;)

オーマイガーッ、相鉄線の網棚に忘れてしもうた!L(* ▽ *;)」

当然、取りに戻る時間はありません。

(仕方ない、広島に戻ったら、相鉄に電話して、送ってもらおう)

ちょっと落ち込みつつも、まあ何とかなるだろうと思って、ゼミの皆さんと広島へ帰りました。

そして翌日、相鉄線の遺失物係を104で調べてもらって、電話しました!

「あの、昨日の海老名発横浜行の急行列車で、横浜駅に○時●●分に到着して、すぐ海老名行になって折り返した編成の、横浜側から2両目の網棚に、黒いカバンを忘れたんですが…」

と、精一杯の情報を細かく伝えたところ、

「ああ、届いてますよ」

やったー💖(^∀^*)

「良かったです、ありがとうございます。ではすいません、私実は広島に住んでいるので、広島まで送ってもらえませんか?」

「ダメです。送れません」

なんだってー(゚∀゚;)? なんで送ってくれないの!?

「ご本人様が直接、相鉄線の二俣川駅遺失物センターに来られるか、代理人の方に委任状を渡し、代理人の方が印鑑と写真入り公的証明書を持って、二俣川駅遺失物センターに来られるか、の方法しかありません」

…さあ困りましたp(;_; )q

もはや横浜には、そんな委任状云々を頼める知り合いはいません。
数少ない友人はまだいましたが、そんな面倒臭いことを頼めるほど親しくありません(苦笑)

じゃあそのまま放棄しちゃえば?Ψ( ̄∇ ̄*)Ψ

いや、そんな訳にはいかない荷物が入っているのです!

中身はゴチャゴチャだったんですが、東京に行ったら必ず寄るプロレスショップで買った、週刊ゴングの古本3冊、広島の友達用に土産で買ったお菓子、そして極め付けはビニール袋に詰めてありますが、私の使用済み下着類(*ノωノ)

二俣川駅には1か月保管され、その後は警察署へ移管するとも言われました。
新品ならともかく、私の使用済みパンツを1か月も二俣川駅に置いて、駅員さんに悪臭を嗅がせることは本意ではありません(*μ_μ)

私は意を決して、使用済みパンツが2枚入っている、ゴチャゴチャカバンを取り返しに行くことにしました!

流石にお金がないので、郵便貯金を崩して新幹線代に充てました💦

決行日は広島に戻った翌々日。
まだゼミ旅行の疲れが残っている中、広島から横浜の二俣川駅に忘れ物を取り返しに行く日帰りツアーを敢行しましたε=ε=ε=ε=┏(;・_・)┛

東京に着いて、そのままつい数日前に見た光景の中、横浜駅へ向かい、横浜で相鉄線に乗り換え、二俣川駅へ。

(ここが遺失物センターか・・・)

まだ2日しか経ってないので、私の使用済みパンツから悪臭は漂ってないと思いましたが、恥ずかしかったのはカバンの中身を確認しますと言われ、全部出されたことです(/ω\)

古い週刊ゴング3冊に、マーブルポッキー5箱、そしてビニール袋に包まれた私の使用済み下着。

「このビニールの中はなんですか?」

んもう、脱いだ下着だなんて一目瞭然じゃないですかっ(ノ_≦)
危ない薬にでも見えますか?

と、一応確認を終え、調書を書かされ、遺失物センターでの辱め行為から解放されるまで、30分ほど掛かりました(;´・ω・)

この時私がJKだったら、当時全盛期だったブルセラショップに使用済みパンツを売りに行って新幹線代に充てたんですが、残念ながら私はJKではなくDD(男子大学生)。

そのままカバンを持って、再び東京駅へ行き、新幹線の切符を買って広島へ戻りました。

こんな勿体無い日帰り新幹線の旅は、この時が最初で最後です(苦笑)

不幸中の幸いは、ゼミの皆さんには内密だったことです(^_^;)


えー皆様、列車を降りられる際には、お忘れ物などなさいませんよう、くれぐれもお気を付け下さい🎤



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