見出し画像

慶讃法要に憶う

  明年の春、本山において「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年、立教開宗八百年慶讃法要」が勤められます。それに先立って、十月八日に三重教区におけるお待ち受け大会を、「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」というテーマのもとに開催されました。私自身、開催に関わってきたものとして、このテーマは、私に何を問いかけているのか考えてみたいと思います。

  改めて、自分の人生を振り返った時、世間に埋没していることにも気づかずに、「自分のことは自分でよく分かっている」、または、「所詮、人生はこんなもんだ」と半ば、諦めることで自分を納得させようとしているところがあります。しかし、私が、どれだけ世間に合わせる中で満足しようとしても、心の底では「一体、私は何故今ここに生まれて生きているのか」、「自分の人生をどのように生きたら、本当に後悔のない人生であるといえるのか」という、声にもならない程のかすかな内なる叫び声、しかも消し去ることのできない思いが出てきます。その私の思いに対し、親鸞聖人は、その内なる声にじっと耳を傾け、一生涯かけてその意味を共に尋ね続けていこうと呼びかけてくださっているように思います。

  人生において様々な出来事は死ぬまで絶えることはありませんが、だからこそ、そのことを大切な縁として、常に教えに問い続け歩み続けることが大事であると思います。その歩みこそ、私における立教開宗の意味を確かめる歩みであると思います。
 日頃、問いにもならないほど自明化している「私自身」を問い尋ねる歩みを、この法要を縁として始めたいと思います。

※本内容は2022年12月テレフォン法話で配信された内容です。
花山孝介(はなやま・こうすけ)/東員町・遍崇住職

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?