東本願寺_三重教区 公式note

京都・東本願寺を本山とする真宗大谷派三重県エリア「三重教区」の公式noteです。法話や…

東本願寺_三重教区 公式note

京都・東本願寺を本山とする真宗大谷派三重県エリア「三重教区」の公式noteです。法話やコラム、行事案内を随時発信しています。三重教区・桑名別院公式サイト⇒ https://mie-betsuin.com/

最近の記事

われらの都合

 2021年9月28日に京都にある本山・真宗本廟(東本願寺)の御影堂の親鸞聖人の前で住職の任命を受けてまいりました。10月には、いなべ市藤原町古田の善行寺の本堂にてご門徒さんや近隣の住職方と共に「住職就任法要」を勤め、住職となるということを確かめ、報告させていただきました。  その際に、ご門徒さん方から「お祝い」をいただきました。これは何人かで集めてくださったものだったのですが、その集まった金額が問題になりました。数字の頭が「四」になる金額になったそうです。そのことで中心に

    • 人間として

      「はやく人間になりたい」という有名なアニメのセリフ。ふと、考えると自分自身のことを人間だとどこで確かめることができるのでしょうか。人間ということを丁寧に考えていきます。

      • 母からの手紙

        私が今、聞法(もんぽう)させていただけるようになったきっかけをお話いたします。 若い頃はお内仏に手を合わせる、ましてや聞法をすることなど全くありませんでした。仕事に頑張っていれば、安定した家庭を築けば、との思いでした。私が30代の頃、母親にお内仏に手を合わせるように、お内仏にお参りしてから出勤するようにと時々言われましたが「フン」と聞き流していました。そこで母親は私に手紙でお内仏にお参りするようにと、改めて言ってくれたのです。それでもまたしても気に止めなかったのです。手紙を

        • 新しい年を迎える

          新年の挨拶

          紅葉に見る

          紅葉が散っていく場所から、人間という相を考えていきます。本当の自分の姿とはどんな自分なのでしょうか。

          亡き人の願い

          ある生鮮食品店の店主の突然の死。……その方は何を願っていたのだろうか。何を残してくれたのだろうか。

          慶讃法要に憶う

          明年の春、本山において「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年、立教開宗八百年慶讃法要」が勤められます。それに先立って、十月八日に三重教区におけるお待ち受け大会を、「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」というテーマのもとに開催されました。私自身、開催に関わってきたものとして、このテーマは、私に何を問いかけているのか考えてみたいと思います。 改めて、自分の人生を振り返った時、世間に埋没していることにも気づかずに、「自分のことは自分でよく分かっている」、または、

          さかさまな世界

           先日お参りにお邪魔したお家でお茶を出していただいたら、湯呑をのせる茶託(ちゃたく)と高坏(たかつき)がさかさまになっていた。思わず「あ、これさかさま!UFOみたいになってます」と言うとみんな笑いながら「反対にしても使えるから間違うよね」という声も。なるほど!確かにそうだ。調べると、高坏に関しては平安時代逆さにして灯台(灯り)として使用していたことが「枕草子」にも描かれている(『照明学会誌第八三巻』)。高坏の脚の高さは、神仏への敬いの表れだそうだが、それをさかさまにして日用品

          喜びの循環

          2023年11月のテレフォン法話のアーカイブ配信です。ある運動会での光景。そこでは誰が一番喜んでいたのでしょうか。喜びとは一体どういうことなのでしょうか。

          後世の祈り~問いに学ぶ~

           親鸞聖人が京都で亡くなられましたとき、そばには娘である覚信尼さまが付き添っておられたと言われています。どのような事情があってか、妻の恵信尼さまは新潟辺に居住されていたのです。娘さんからお手紙は残っていませんが、恵信尼さまから覚信尼さまへのお手紙が残されています。  そのお手紙には「昨年の12月1日のお手紙、確かに拝見しました。親鸞さまがご往生されたことは、今更申し上げることでもありません」という言葉から始まっています。これは、「今更申上げることでもない」とありますから、恐

          後世の祈り~問いに学ぶ~

          時代に生きる私の志願

           私たちは今、何不自由のない恵まれた生活に知らないうちに慣らされているような感じを持ちます。今から20年前の著書にこんな記事がありました。  20年経過した今日もその姿には変わりなく、願いはますます膨らんでいるように思います。勤勉さは今日の科学産業を大きく変えてまいりました。スマホ社会・ロボット社会が到来し、コロナ禍ではオンライン労働・教育がだんだん日常化しています。  また超高齢化社会が到来し人生100年時代が目前となりました。より以上の快適さを求め、そしてさらなる経済効

          おかえり「報恩講(ほうおんこう)」

           昨年よりのコロナ感染症のため、今まで通りの寺の行事が中止になったり、内容を縮小したり、いろいろな変更を余儀なくされて、初めて今までの日常が当たり前の日常では無かったんだと知らされるこの頃です。以前のように沢山の門徒さんに集まって頂くことが、喜びとなるどころか不安要素になってしまっている現状が寂しい限りです。  6年前、37年間務めた仕事を退職したその年の「報恩講」の案内を掲示板に貼り、その横にコピー用紙で「おかえり」と書いた紙も貼りました。 この「おかえり」は門徒さんに向け

          おかえり「報恩講(ほうおんこう)」

          正信偈(しょうしんげ)に触れる

          浄土真宗で最も親しまれているお勤め「正信偈」。その、おこころに触れるということについて語られています。

          正信偈(しょうしんげ)に触れる

          正信偈(しょうしんげ)に触れる

          得道の人

          2023年9月配信のテレフォン法話の音声です。人間は何を残すことができるのでしょうか。 「何か習おうとしている人は美しい。なぜだろう。」

          蝉とロックバンド

          2023年8月のテレフォン法話音声です。暑い夏のを感じさせるセミの声。夏の夕暮れ時風景。さて、この夏あなたはどんなことを感じましたか。「蝉とロックバンド」を若いお坊さんが仏教で語ります。

          より良い最期

          2023年8月のテレフォン法話音声です。今、当たり前となった終活。本当に残していかなければいけないものは一体何なのでしょうか。