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言いたいを言って、わかったこと。
最近、ネガティブなことをいうときでも、もうネガティブなことをいうようにしている。
押さえ込むということがいやだからではなく、ネガティブはことでも、言わなくてはならないという流れの場合が、どうしてもあるからである。
基本的には争いたくないし、けんかにならない方が良い。だけれども、けんかを通過点にしなくてはならないときがある。
そのけんかを避けて通らない方が良いと思ったことがあった。
けんかをした。相手の言葉尻だけを拾っては、こういったよね!という意図について、そういう意図ではないの繰り返し。
けんかの中に、本音があったり、感情が高ぶっていても、それは本質的に伝えたいことがある流れで感情を利用して、本音を伝えた。
そういう時に、いいたいことを通じて、いいたいことを言うことで、「もう二度とこのようなことをしないでほしい」そういう意図があったり、「やめてほしい」という意図があったり、何を通じても、次の新しい展開が待っていた。
おかげで、言いたいことをお互いにたくさん言いまくった後には、丸くおさまった。
でもこれは、めでたいということではないです。
お互いにこの関係を続けたいと思う中で、丸くおさまったというだけで、納得したとか、申し訳ないという気持ちが大きかったということではない(と私は思う)
つまり、人の関わりは、一つの関わりが途絶えるということは、自分の社会の中の一部が欠けることと同じことだから、社会というか、コミュニティーというか、そういう相互作用の温かさの中で、人は生きているから、その生きている中でのいざこざは、丸くおさめるのが一番だということを、人間は本質的に分かっていると思う。
だから、丸くおさまっていく。それができるのが、長期的な時間をもって、関わっていく間柄の人の場合はそうなっていく(ただし、そうならないケースもあると思う。感情だけをぶつけて、本質から逸れて、話にならない場合です。これはまた別のケースで話したいと思う)
そこで、話が逸れてしまうけれども、言いたいことを言う相手として、言いたいことを言っても、この関係は続けたい、と思うところで、伝えるべきことが見えていて、伝えることの中で、伝える内容がネガティブなことがあっても、きっと、大変なことを通して、関係性が変容し、ネガティブを投げかけた後から、次第に丸くなっていくと思う。
余談ですが、関係性もない中で、ネガティブな言葉を投げかけるケースは別と思っています。これは違う。この件については、いつか書きたいと思います。
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