【スピンオフ】息子の再出発と共に
【AYA世代息子のALL闘病日記.79】
退院した足で、息子が産まれる前からお世話になっていた紅葉八幡宮様に満願成就祈願(御礼参り)をさせていただきました。
ここは、息子の妊娠中に住んでいた土地の産土の神様。
息子は、妊娠12週で大量出血をしたあと切迫流産(絨毛膜下血腫)で持つか持たないか…という危機を乗り越えて、なんとか無事に産まれてきてくれましたので、
妊娠中から立ち寄って参拝したり、お宮詣りや七五三のお詣りもこちらで御祈願していただいてきました。
以前も書きましたが、
うちは、主人の実家の家業が大分県の山の上にある霊山尺間嶽の御神体を分祀してご神事を執り行う日本神道の宣教所をしています。
なので、今回、息子の病気がわかった時も義母はご神託を受け、この土地に生命をおろしていただいた産土の神様に参拝するようにと教えてくれました。
(詳しいことは 「AYA世代息子のALL闘病日記⑤」をみてね)
その勧めもあって、こちらで病気平癒祈願をお願いしたのですが、、、
実は、7ヶ月前ここに参拝する意味は息子の病気平癒祈願だけではなかったのです。
その意味は、私のこれからの生き方にも影響すること。
私の小さい頃の夢は「お坊さんになること」でした。
が、高校生になると受験戦争に揉まれてすっかりそんなことは忘れてしまい、
センター試験に失敗して希望の大学に進学出来ない挫折を経験し、結果、看護師・助産師になる道を選びました。
助産師としてお産の介助にあたるようになり、生命のはじまりとおわりを意識するようになりました。
人がこの世に生まれてくるのはなぜか?
人が「いのちを繋ぐ」とは?
いのちを繋ぐ女性の、生涯を通したサポートが出来る人間になりたい。
そう感じるようになった私は
いつのまにか、自然な流れでスピリチュアルの世界へ。
助産業の傍ら、
スピリチュアルライフコーチとして神様や仏様など眼に見えない存在と繋がりながら人生を生きやすくするサポートをさせていただくようになりました。
毎年義実家の家業であるご神事のお手伝いを続けながら、
助産師としてお産に携わり、またスピリチュアルライフコーチとしてヒーリングやカウンセリング業をやってきました。
スピリチュアルなことをやり始めた私に、義母は毎年のように、神官になって神職を継いで欲しいと訴え続けてきましたが、
神職というやり方でなくてもスピリチュアルな他の方法で神や仏と繋がれることがわかった私は、
「私にはムリです〜(^_^;)」っていう上辺の返答をしながら、
『今更、神官になるために水業したり、たくさんの祝詞や作法を覚えて大変な修行をするとか、そんなん要らんやろーー!
もう苦行は必要はないし、私がやりたいのはこういうことじゃない。』と頑なに避けてきました。
こんな考えの私だから、
今までは、毎月ご神事の手伝いをしたり神頼みをするにしても、やらされてる感満載で、どこか他人事な自分がいました。
ひどいヨメですよね〜(^_^;)
ところが、、、。
この度、息子の発病をきっかけに自分たちのチカラではどうしようもないことが身の上に起こり、
神に祈ること、神に助けてほしいと縋ることを
一から、真っ新な「素」の自分に戻って、なりふり構わずにやったことで、何かが弾けた。
神に祈ること、誰かに縋る気持ちが自分のココロの奥底にもあるということを改めて深く体験して、
やっぱりこれって大事なことなんだなーと。
太古の昔から人間は神に祈りを籠めながらいろんな物事をすすめてきたように、
祈りと人間には切っても切り離せない結びつきがあるんだと。
神と人間の繋ぎ役である「神職」ってスゲ〜奥深い仕事なんだなと。
すごく当たり前のことなんだろうけど、神と人間のつながり、その大切さに改めて気づいたというか。
紅葉八幡宮の神官さんが仰ってましたが、
御祈願に来られることは多々あっても、こうして御礼参りにいらっしゃることは少ないと。
確かに。
願掛けしても願いが叶ったからと言って、願掛けした寺社仏閣全てに御礼参りに行くかと言われたら…
行かないよね〜(ToT)
私も行ってなかった。
だけど、今回のこの息子の一件は息子にも乗り越える課題があったんだろうけど、
息子と同じく、私も親としてだけでなく、人として、
いつかは、いのちが終わる日がくる。
いのちが終わるまでに、私は何をやるためにここに居るのか?
何かに気付かなきゃいけないタイミングに来ていたんだと思うのです。
だとしたら、私の人生の残りの時間をどう使う?と考えた時に、
私が今、置かれている環境と、
今の私に出来そうなこと、
元々の私がやりたかったことは何???
と考えていくと…
自ずとその答えを目指す道筋が目の前に開けていた。
紅葉八幡宮様にご祈願していただいたことで、そこに気付かせてもらった感じです。
そんなワケで、私は
私、約20年間ずっと拒み続けてきた主人の実家の家業「神職」を継ぐために神官になる修行に入らせていただくことが決まりました。
というか、覚悟を決めました。
元々お坊さんになりたかった私なので、
目に見えない存在への繋がり方が、思い描いていた方法とちょいと違うだけで、
根本的には同じなんだろうけど、そう腹を括るのに20年かかりました(^◇^;)
長すぎたよね〜。
私のことをリアルに知ってる人はまだゴネてたん?って思ってる人も居ると思う。
そう。
ほんとに腹括るのに時間かかったわ。
今の時代でも真冬でも早朝から水浴びて身を清めて、一日中神に祈ることを何日も何日もただひたすら続けている人達がいる。
生半可な気持ちでは続かないよね。
どんな仕事もそうだと思うけど、やっぱり自分が納得しなきゃ出来ないことだと思うから
ここまで時間がかかりましたとさ。
義母からのお願いで神職に入ることを決めたのではなく、
かつて、子育てでお世話になった産土の神様が「その道でいいんだよ」って背中を押してくれたような気もする。
なんか不思議な感覚です。
息子の新しい人生の第2章の始まりと同時に
神職見習いとしての私の人生の第2章(第3章かな^^;)が始まります。
このnoteはあくまでも「AYA世代息子のALL闘病日記」として続けていきたいので、
私の神職見習い日記については、また別のブログで投稿させていただくことにしまーす。
最後までお読みいただきありがとうございます。
感謝をこめて♾
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