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産土の神様に
AYA世代息子のALL闘病日記⑤
入院当日。
私は夜勤終了後、高速で1時間ちょっとの息子の家に向かいました。
13時の入院までにやっておきたいことがある。
21年以上前のことですが、
実は息子の妊娠初期、私は勤務中に大量出血して緊急入院しました。
職場で妊婦検診を受けていたので、すぐに診察をしてくれたのですが、ふだん妊婦の出血を見慣れているスタッフでさえ、
これだけ出血したらさすがに妊娠継続はムリやろう…残念やけど…
という雰囲気で。
どうやら破水してしまったようで翌朝には羊水もなくなり心拍も停止、おそらく流産するであろうと予測して食事も止められ流産手術の準備をされていました。
ところが、息子はその翌朝も生きていた!
当時、自分の眼でも確かに心拍を確認した時、診察についてくれていたスタッフと泣きながら抱き合って喜んだのを覚えています。
そしてもしかしたらこのまま妊娠継続できるかも?という薄皮一枚のところで繋がって産まれた命だったんです。
元々、義母が女性神官として神事をしていることもあって、当時流産しかけの私を安産祈願してくれたところ、産土の神様に挨拶をしに行くよう言われました。
妊娠中はその後も早産しかけて手術したりと大変でしたが、当時住んでいた土地の産土の神様『紅葉八幡宮様』と義母が祭司をしている『霊山尺間嶽様』にお世話になり、
常に霊山尺間嶽のご神事で使われた麻紐を腹帯と一緒に巻き、紅葉八幡宮のお守りを身につけていました。
そして、息子は無事に産まれたんです。
そんな経緯もあり、
今回も義母が早速病気平癒祈願をしてくれたところ、
いつもの尺間大神様とは御神託の声が違うので、どうやら紅葉八幡宮様のお声では?と
息子を連れて紅葉八幡宮に病気平癒祈願にいくことを勧められました。
私はそれもそうね〜、と感じるくらいだったのが、
なんと、
普段神事にはあまり積極的ではない夫の方が珍しく
「そうやん!紅葉八幡宮に行かんといけん!」
って前のめりで同意して、
入院前に紅葉八幡宮へ参拝することになりました。
福岡市早良区にある紅葉八幡宮様。
21年前、お宮参りにも来たし七五三も連れてきたよね。キレイになっててすごく懐かしいねーって夫と話しながら、
あまり時間もなかったので直ぐに病気平癒祈願が出来るかお尋ねしたところすぐに受けてくださいました。
そして、神官さんの奏上と太鼓の音を聴いた瞬間から、自分でもよくわからないくらいあっという間にグッと何かが込み上げて来て、
涙が滝のように出てきて…
泣いちゃダメ。
今、泣いちゃダメ!
って思う横から、もう1人の自分が
お願い、助けてください。
なんとか、どうか、助けてください
絶対治る。絶対治す。
お願いだから護ってください。
って神様の足元にすがって泣いてる自分がみえて
マスクの中は涙と鼻水でぐしょぐしょになりながら
マスクしてるから見られても大丈夫かって頭の中で呟きながら、
もう息子に泣いてるのバレてもしょうがないと思っていたら、息子の向こう側からも鼻をすする音が聞こえる。
息子の反対隣で夫も咽び泣いていました。
夫の涙なんて今まで30年近くの付き合いだけど1〜2回しか見たことないのに。
夫も一生懸命我慢してたんだな…と思うと余計に涙が溢れてきて。
もう涙をこらえることもできず、ただただ泣きました。
そんな私たちを見て息子は「えーっ!そんなに(泣く)?」って半笑い。
息子が思うよりも、私たち夫婦はずっとこの神様に願いを託し助けてもらってきた。
ここは私たちの大事な拠り所で、
神様は「授けた時の初心に返れ」と言っていたのかもしれません。
この20年間でそんなこと忘れてしまってたけど、
義母がそのことを中継ぎして教えてくれた。
何か大切なことを想い出したような気がしました。
(この写真を撮ったあと、マスクは目汁鼻汁まみれになったww)
御祈願が終わったあと、息子は絵馬に願い事を書きました。
『病気を治して仕事復帰。強い消防士になる。』
沢山の想いや願いが込められた紅葉色鮮やかな絵馬たち。
霊験あらたかな紅葉八幡宮の十二柱の神々がきっと私たちを見護ってくださるでしょう。
そして、いよいよ長き闘病生活へ入る病院へ向かいました。
次に続く。
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