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【小曽根真&井上ひさし】文化おもしろゼミナール『音楽ってすばらしい』2002年3月2日 山形県郷土館・文翔館議場ホール

文化おもしろゼミナール『音楽ってすばらしい』
2002年3月2日 15:30~17:30 山形県郷土館・文翔館 議場ホール(山形県山形市)
                                  プログラム
1 Bienvenidos al Mundo (by Makoto Ozone)
  Makoto Ozone(pf)
2 Asante (by Benisuke Sakai)
  Benisuke Sakai(b) Makoto Ozone(pf)
3 Mornin’(by Bobby Timmons)
  Benisuke Sakai(b) Makoto Ozone(pf)
4 Fade (by Asuka Kaneko)
 Benisuke Sakai(b) Asuka Kaneko(vn) Makoto Ozone(pf)
5 Suite for Sextet (by Makoto Ozone)
 Benisuke Sakai(b) Asuka Kaneko(vn) Satomi Tomatsu(vn) Yukiko Yoshida(va)
 Takaya Kimura(vc) Makoto Ozone(pf)
6 Cadenza from Suite for Sextet (by Makoto Ozone) as Encore
 Benisuke Sakai(b) Asuka Kaneko(vn) Satomi Tomatsu(vn) Yukiko Yoshida(va)
 Takaya Kimura(vc) Makoto Ozone(pf)

出演
ベース    坂井 紅介
バイオリン 金子 飛鳥
   〃  戸松 智美
ビオラ    吉田有紀子
チェロ    木村 隆哉
ピアノ    小曽根 真
司会    井上ひさし

                     
                     
2002年3月2日午後3時30分、山形県山形市にある重要文化財「山形県旧県庁舎及び県会議事堂(愛称:文翔館)」議場ホールで、「文化おもしろゼミナール『音楽ってすばらしい』」が開かれた。ここは、大正5年に建てられた歴史的建造物を近年改修したもので、木造の実に味のある洋風建築。往年の県会議事堂が今や多目的ホールとして用いられており、今回は長方形のホールの奥まった部分左手にグランドピアノ、右手に弦楽器が配されている。フラットなフロアなので、最前列にでも行かなければ演奏家の指使い・弓使いを目の当たりにすることはできないが、(上野の奏楽堂と同じような)室内楽にふさわしい音響効果が期待できた。本日はNHKの番組収録があるので、前方左右にテレビカメラが置かれている。会場は開演十分前には満席となった。


会長・mid-west・まゆこ(らいな)の東京組が中程の席に座ると間もなく、後ろからすーっと金さんが登場。しきりに我々を手招きする。「マルセイユ仕込みの秘密のお話しでもしれくれるのかな」と導かれるまま後をついてゆくと、そこには三鈴さんのとびっきりの笑顔が待っていた。最前列、司会の井上ひさしさんのお隣に、今年の7月の小松座の新作(ちなみに会場は新宿紀伊国屋サザンシアターである)に出演が決まっている三鈴さんが座る。いつものことながら、この配置は、小曽根夫妻ベストパフォーマンスへの黄金律。実際、井上さんと小曽根さんの絶妙のトークに一番大きな声をたてて笑っていたのは三鈴さんだった……。


定刻に右手階段から小曽根さんが登場。いつもの黒いジャケットとパンツの精悍なスタイルである。演奏が始まった。


1 Bienvenidos al Mundo (ソロ)
司会の井上ひさしさん。「この文化おもしろゼミナールは、私の見たいこと、聞きたいことを実現していいという約束でおひきうけした仕事です。そして今日は、私が今一番聞きたいピアニストで作曲家、小曽根真さんをご紹介します。」井上さんが、手許の資料を見ながら小曽根さんの生い立ちに関する質問する。
・ かつて大阪に天才少年あらわるという新聞記事を見たことがある。
・ 小曽根さんは五歳でテレビに出て演奏した。以来、幾星霜。
それに対して小曽根さん
・ 父親がジャズピアニストでハモンドオルガンの草分けだった。
・ 父親から渡されたテープを聴いてそれを覚えて演奏していた。僕は「門前の小僧」だ。
ここで井上さんから重大な発表があった。
「来年の秋、山形県で国民文化祭が開かれます(2003年10月4日~13日)。国民文化祭では、毎年新しい作品が発表されるんですが、残念ながらその場限りの演奏になってしまう作品が多かったんです。来年の山形では、その作品が山形県の、日本の、世界の遺産となるような曲を作っていただきたかったので、小曽根さんに作曲を依頼しました。作曲ばかりか指揮(!!)も、もちろん演奏もしていただきます。最上川舟歌をフィーチャーしたピアノコンチェルトです。公演まで時間はまだ十分ありますから・・・。」
それに対する小曽根さんのコメント。
「先日、井上先生が僕のところにいらっしゃって、『今日は小曽根さんがイエスというまで僕は帰りませんから』とおどかされて、お引き受けしました。(笑)指揮はまだしたことがないので今から緊張しています。これから一年間、季節ごとに最上川の川下りでもさせてもらって、その風景や自然に触れながら作曲したいと思います。僕がはじめてニューヨークに行ったとき、これがジャズの風景だなと思いました。ヨーロッパにツアーをしたときには、この風景がベートーベンやモーツアルトの曲を産み出したのだと理解できました。だから、僕は今度の曲で、最上川の、山形の、風景が浮かび上がってくるような曲を作りたいと思っています。しかし、大変な仕事を引き受けてしまいました。」
井上さん
「テーマは水です。水の問題は今世紀の最も大きな問題になるはずで・・・。小曽根さん、水飲みますよね?」
小曽根さん
「はい、ときどき・・・」
おふたりの絶妙なトークに、会場爆笑。とりわけ三鈴さんの明るい笑い声が聞こえてくる。ともあれ、ボーダーレスな時代にふさわしくクラシック・ジャズ・ラテンなどさまざまな音楽の要素をとりいれた、新作を我々は来年聞くことができる。それも、小曽根さん自身の指揮で!小曽根真と同時代を生きていることを神に感謝する他はない。

ここで、ベースの坂井紅介さんが登場した。


2 アサンテ
「アサンテ」というのはスワヒリ語で「ありがとう」という意味。とても美しい旋律を持つバラード。小曽根さんと坂井さんの掛け合いもすばらしく、みごとにセッションの窓が開かれた。


3 モーニン
いわゆるジャズスタンダード集からの一曲。公演の直前まで曲が決まらなかったようで、リハーサルと違う曲を演奏することとなったようだ。ピアノとベースのブルージーなカンバセーションである。しきりにアイコンタクトをとりながら「あと一回というのもその場で決めるんです」。小曽根さんのスタンダードも、これまた絶品である。

バイオリンの金子飛鳥さんが登場。「後ほど演奏するセクステットはこの人無しには成立しなかった」とは小曽根さんの言。極めて高い信頼感に支えられてのアンサンブルが始まる。曲を追うごとに、すばらしいミュージシャンたちが加わるという演劇的な構成。


4 フェイド
弦楽器の深みや高みが、ピアノによって引き出されるという美しい曲。バイオリンの高音とベースの低音とが複雑に入り交じって心地よい世界に導いてくれる。小曽根さんのピアノは、クラシックのフレイバーに満ちて饒舌。話したくてたまらないピアノ。

再度井上さんが登場。トークの第二部である。井上さん曰く「うっとりしていて出が遅れました」。小曽根さんの子ども時代の話に戻る。
小曽根さん
・ 子どものころ、意識しないうちにピアノを弾いていた。
・ 最初は「お座敷小唄」専門。ペンタトニックで黒鍵だけで弾ける。かっこいい!
・ 6歳でお父さんがレギュラーだった「11PM」に出たが、教育委員会からクレーム。
・ 7歳でテレビのレギュラーを持つ。(「ファミリースタジオ」)
・ ピアノは大嫌いだった。モーツアルトも苦痛。理由は「スイングしてないから」。
・ 12歳でオスカー・ピーターソンに出会う。「ピアノでジャズが弾けるやないか!」
・ ピアノの先生を捜す。神戸のジャン・メロー神父との出会い。
・ メロー神父は、練習の最後に「ジャズの曲を弾いて!」とリクエストしてくれた。
・ 大阪の「北野タダオオーケストラ」に加入。北野さんの勉強をやめない姿勢に感銘。
・ 理論よりもカッコイイ弾き方にあこがれていた。
・ 高校卒業後ボストンのバークリー音楽大学に進学。
・ 卒業後カーネギーホールでリサイタル。
・ そのことが信じられずマネージャーに「どこのカーネギーホールや?」と聞く。
井上さん
・ カーネギーホールのライブ放送を、シカゴの大学に留学中の女子学生がたまたま聞いた。
・ 彼女はホームシックにかかって精神的につらい状況にあった。
・ 小曽根さんの演奏を聞いて、私も頑張ろうと勇気が湧いてきたそうだ。
・ 音楽のものすごい力を感じる。
ここで聴衆に三鈴さんが紹介される。満場から拍手!
再び小曽根さん
・ バークリーで作・編曲科に在籍していたが、オスカー・ピーターソンのように弾ければ幸福だった。
・ 卒業後、ゲーリー・バートンのバンドに加入。スタンダードを弾かなくなる。
・ 必用を感じてクラシックを学び始める。
・ チックコリア「とにかく自分の曲を作れ。それがスタイルをつくる近道だ。」
・ ジャズのスイングの楽しさに、「物語」を加えてみたい。イントロから物語を意識。
・ 32小節のジャズのフォーマットでは足りなくなる。
・ 改めてクラシックの作曲法を学ぶ。

井上さん
・ 小曽根さんはいかにも神童という感じがする。
・ でも会って話してみると「いたずら小僧」という印象。MCもうまいし・・・。
・ 「スイングするモーツアルト」と名付けたい。
小曽根さん
・ 「最上川舟歌」はブルースとオーバーラップする。
・ ブルースは、畑仕事の歌。
井上さん
・ 「最上川舟歌」は枢軸国側としてのプライドを維持する目的で、第二次世界大戦中に出来た。
・ 日本のモーツアルト(ドイツ)・ヴェルディ(イタリア)づくり。
・ 民謡のアンソロジーである。
・ 戦後大流行して、英語の歌詞もある。
・ 来年の世界初演が楽しみ。
・ でも新作を書き上げるのはとても大変な作業。
・ 私は「悪魔が来る」とすっと書ける。
小曽根さん
・ 作品が長ければ長いほど、何者かに書かせてもらっているという気がする。
井上さん
・ 演劇のセリフづくりは、どこからか二人の登場人物が話しているのが聞こえてきて、それを一生懸命書き留める作業である。
・ 作り手としてよく似たところがあるお互いの仕事だから、今度は僕がピアノを弾く。(爆笑)
小曽根さん
・ この間行ったロシアにも若いジャズをやりたいミュージシャンがいる。
・ シベリアから三日かけて聞きに来る若者がいて感動した。
・ ひとつひとつの音が吸収されて、受け取った瞬間反応がくる。
・ あの音楽の原点を大切にしたい。

5 「セクステットのための組曲」
ここで新たに三人のミュージシャンが加わる。
戸松智美さん(バイオリン)新日フィルの第二バイオリンの主席奏者。
木村隆哉さん(チェロ)  読売日響の奏者。
吉田有紀子さん(ビオラ) 木村さんが「ビオラならこの人」と推薦した奏者。
どうです。すごいメンバーでしょう?この曲のために集まった人々。
こうして本日の最終曲「セクステットのための組曲」の演奏がはじまった。伊藤君子さんが、北海道で初演を聞かれて、すばらしい曲だから是非聞くように(老婆心ながら・・・と書いてくださったけれど)薦めてくださった曲である。全三曲で構成されたこの組曲は、五人の弦楽器と一人の鍵盤楽器という構成で演奏され、ときにピアノコンチェルト、ときに弦楽五重奏、ときにタンゴのフルバンド、ときにジャズのセッションであるという、多様な表情を見せる。曲の醸し出す緊張感が、演奏家たちの情熱に油を注ぐようにして、お互いをお互いが導き、音楽の高みに上昇してゆくすごみを見せる。小曽根さんがこの曲で用いたのは、クラシック・ジャズ・ブルース・ボサノヴァ・タンゴなど、まさにボーダーレスな世界音楽のコラージュという語法であるが、不思議なことに無国籍な感じは全くしない。むしろ、ひとつひとつのフレーズが、自らの来歴を主張し、あるいは別の来歴を持つフレーズを挑発し、しかし最終的はみごとな融合を見せながら、独特の世界を醸成してゆくのである。聴き手に予定調和的な結末を予感させないだけに、緊張感がラストノートまで持続し、ジャズ独特のグルーブ感も加わって圧倒的な感動を与えてくれた。聴き手は、不協和音の散乱によってガーシュインのニューヨークの風景を眼前に思い浮かべ、弦楽器のフレージングによってピアソラのブエノスアイレスを想起する。しかし、ピアソラがそうであったように、タンゴにはパリのフレイバーが香り、バースタインがそうであったように、プエルトリカンミュージックの彼方にウィーンの街並みが重なる。小曽根さんの試みには、二十世紀後半を生きてきたコンポーザーに避け難い歴史性を引き受けつつ、音楽をより洗練された真実のワールド・ラングウェッジにしてゆこうという思想と意志がこめられているように思えた。来年発表される新作では、このトランスアメリカな、トランスコンティネンタルな問題意識に加えて、いよいよ東アジアや日本が強く意識されることになる。傑作”Asian Dream”で、東アジアを強く意識はじめたこのコンポーザーが、どのような新曲を書き、演奏し、指揮をするのか。僕たちファンは心待ちにしていようと思う。
会場全体からの割れるような拍手。かけ声。山形の聴衆はどこまでも熱かった。


6 アンコール 「セクステットのための組曲」よりカデンッア
恥ずかしいことに、僕は直前の曲と全く違う曲だと思っていた。終演後、金さんに尋ねて初めて曲名がわかったのだが、アンコールのバージョンは、ピアノも弦楽器もより奔放でパワフルな演奏だった。たまたま一緒になった帰りの新幹線のなかで、小曽根さん自身にもその感想を伝えたのだが、小曽根さんは「そうでしょ。全然違う曲に聞こえるよね」とかえって満足げ。僕の耳がおかしいのではないことがわかって心から安堵。今回のセクステットは多くのメンバーがクラシックの出身だが、この曲をすさまじいまでの自由度でみごとに演奏していたことになる。それが出来るメンバーなのだ。今回、ジャズのライブと異なり、小曽根さんのピアノの上にも長い譜面が置かれていた。演奏の中でインプロヴィゼーションがかなり含まれているように思えたから、そのことを素朴に小曽根さんに尋ねてみた。「全部譜面通りですよ」。これが小曽根さんの応え。印象の違いは、すべて演奏の仕方の違いに由来するものだそうだ。僕はそれを聞いてますます感動した。なにしろ、セクステットなのである。初めて組むメンバーなのである。今回小曽根さんのもとに集まってきたミュージシャンたちは、僕たちファンとともに、いやもちろんそれ以上に、小曽根真と共振しているのだと思う。山形から東京に向かう新幹線の先頭車両で、このすばらしいミュージシャン達は、「今度はこうしよう、ああしよう、ここを直そう」と情熱的に話し続けていたと、小曽根さんから聞いた。この光景は、あまりにも象徴的である。僕は、偶然その同じ列車に乗り合わせたことを心から幸せに思い続けるだろう。高速で移動する列車で闇の中を疾走する。アーティストの熱い意志を乗せて・・・。リスナーの希望を乗せて・・・。是非、このメンバーで全国ツアーが行われ、多くの人がこのすばらしい音楽に触れる機会があることを望みたい。あるいは、もう小曽根さんはその決意をしているかもしれないのだが、絶対にすばらしいツアーになると思う。今回のコンサートは、小曽根さんの“Brenvenidos al Mundo”で始まったのだが、まさに”Welcome to the New World”と言えるものであった。今日「新しい世界」が開かれたのである。その現場を目撃し、こうしてレポートを書けたことを、幸せに思っている。

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