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このさき このみち これから




2023.12

なぜと救い


あなたもわたしも、なぜ今生きているのでしょうか。

わたしは一度心臓がとまり、医者の心臓マッサージとカテコラミンの投与、輸血のおかげで今日もいきることができています。空が美しいと思えます。
生き残ったからには、後遺症はつきもの。
わたしの身に起きていることが全て、がんのせいです、と思い込んだ方がなにもかもどうしようもないと、思えるけれど。それはわからない。全てが全てじゃないのかもしれない。
自我を持つ頃には、もうがんの跡と一緒に生きていたので、わたしはわたし‥
「お腹の人の字、お前はだあれ?」
手術跡はきえない。
唯一の救いは、人の字に似ていて、書体的な美しさがあるところ。

死にかけたこどもの親

わたしの家族は一風変わっています。
病気になった子をもつ親は自然とそうなるのかもしれないのかはわかりません。
わたしは生まれて六ヶ月後に肝芽腫という固形種の小児がんと診断されました。
その頃わたしは赤ちゃんで、話せません。
なので、親が全てを決めなければいけませんでした。
病棟は、他にも患者がたくさん。なぜ、わたしが助かったのか。
訳は、赤ちゃんの再生力はすごい力だということ、肝芽腫だったこと、転移がなかったこと。

物心ついた時から、父はずっと神様もとい神棚にありがとうを声に出し続け、お辞儀も90度。
わたしがなぜいきているのかわからず、ひねくれていた時に、一度騒音だからやめてほしいと言いました。神様なんていないと。
父は、涙を堪えながら、絞り出すように、
「神様に助けてもらったんだ。だから一生かけてお礼をするんだ」と。
病気のことを聞いても、誤魔化して教えてくれなかった両親はようやく、わたしに自分の病気のことを話してくれました。それで、確かに不安だったろうなと思いました。生と死が隣り合わせの病院だから。少し、両親のことがわかった気がします。でも、わたしは神様になんて願わなくていいと思います。言えませんが。
「藁にもすがる思いで、父は神様に願った。」
頭は正常です。おそらく。

補足、ここでいう神様は、一種の自分の中にいる自分という感じです。

死とは


わたしが両親に病気のことを教えてもらったのが、今年(これを書いていたのが、2023年)の2月25日です。ある程度、時間が経ち、整理できたと思います。

赤ちゃんのころに病気になったわたしは、病気についていっさい覚えていません。
しかし、ひとつだけ映画のシーンのように鮮明に覚えています。
それは、死化粧と黒縁の写真縦に入った笑顔の少女の写真です。
なぜ、動かないの?と思いました。
母は、同じ腫瘍科の病棟のだれかの母に、「赤ちゃんでよかったわね。治るわよ」といったことを言われたらしいです。亡くなった彼女は、赤ちゃんではなかった。
死は、出来事として、記憶として、残ります。わたしはいきていた頃の彼女のことを覚えていませんが、彼女の笑っている写真を覚えています。もうこの世にいない彼女がいきていたことを知っています。わたしの中で、いきています。でも科学的には証明できないんですよね。

「忘れないためにお墓がある。自分でいるために神様がいる」

2024.7

病院という場所


病院には、子どもたちがいて。こどもらは、なにかしら抱えているひとたち。
でも、みえません。
わたしの手術の跡がみえないように。
誰かとすれ違うたび、なぜわたしはあなたではなかったのかを考えます。
あなたの病気は残ったままで、わたしは元気
なぜ、わたしはあなたでないのか。

その瞬間は、わたしがあいてのことを考えるきっかけになっていた。
   

銭湯


親がきっかけで銭湯に連れて行かれることが多かった。
わたしは、自分で気にしていても、
まっさらだったらどんなにいいだろうと思ったことがあるけれど、
手術跡をだれかに指摘されたことはない。
昔友達とお泊まりした時も、学校の行事でお風呂に入って時も、
何回かあるはずなのに、だれにも言われたことはなかった。なかったから、生まれて初めて同年代の女の子にじっとみつめられたときには、
どうしたんだろうと思った。何か問題があるのか、どうしようと思った。
やさしいひとが周りに多かった。そのことに、わたしは気づいてこなかった。
どういう反応をしたらいいのかわからない。

火傷(追記)


わたしの好きな小説のうちに「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」があります。
その中で、ホッジンズがまだ戦場に近いヴァイオレットにいいます。
君は自分のしてきたことで火傷をしていると。でも、それにまだ気づかない。
戦場に近いヴァイオレットはもちろん比喩が通じません。
ホッジンズは続けます。気づかない方が、知らない方が、よかったかもしれない。
でも、いづれ、火傷していることに気づく。

わたしはこの「火傷」という表現がものすごく、的確な表現だなと感じています。
本当に、火傷なのです。

わたしは気づいてこなかったことが多くありました。
ときには、それは火傷となるものもありました。
今も、燃えています。
それでも、してきたことは消えません。
気づいたら気づいた分だけ、痛い。
以前はその痛みもわかりませんでした。

「失ったものの大きさを知る」

いきるということ


わたしは乳歯が4本抜けると、正真正銘の歯抜けになる。
昔、ばあさんと下の名前につけて愛称として呼ばれたことがあった。
呼ばれて嫌じゃなかったのは、自分がおばあさんってことを知っていたから。
小学生にして笑

ただ、いきていくだけでも
そのさらにお金がかかる。
がんが憎いときもある、どうしてくれたんだと思うときもある。
でも、わたしはがんになってよかったとも思う。
いまのわたしがいいと思う。

なぜ、生きているのかという問いと同じように、
がんは結びついているんじゃないかと思う。

なんだかんだ生きている。
ありがたさを忘れるほど、生きている。
忘れれることは、元気な証拠だけど。
忘れることは、かなしいと思う。

わたしはただ、いきていたい。
いのちを主語にしたい。
ただいきていくことが、この社会ではむずかしい。
ただいきているだけでは、だめだという。
生きるということに、もっと真剣に考えたい。
それには、やはり自然、地域だと思う。

わたしはただ、いきていくことを模索したい。
と思ったりしている。

さとのば大学ラーニングジャーニーで訪れた岡山県西粟倉村

今でも、西粟倉では大切な時間を過ごしたと感じる。ずっとこころに残っていいる。
もう一年以上前だけれど、西粟倉への想いはすぐに思い出せる。
出会った人も同じく。
そのとき、わたしが書いたレポートを、
なぜ生きているのかはなぜ死ぬのかと、同じなのかもしれないかと読んで思い、
生きることに執着しまくってるなと読んで感じた。
かなしいことは、感覚がわからなくなっていること。
レポートの言葉が、ことばとしてはわかるけれど、わからない。
生きた年数ではなく、存在の循環。
ちょうど西粟倉に行く一ヶ月前に、病気だったころのことをはなしてもらって、
もやもやしていたからか。

時間


昔なやむように、深刻に考えていたことは、今、さほどなやんでいなくて。
その日々がうつくしかったなと感じる。
それについて、いのちから感じられることは、きっとその時にしか感じられなかったこと。
要さんには感謝したい。レポートを書くことを言ってくれて。西粟倉での体験も。
仲間にも。今、みんな何してるかわからないけど、わたしは元気だよ。
いきることについて、考えてるよ。

基底と理想


私の基底は「偶然と必然のいのち」生きていること
理想は「なにかに驚き、笑い続けること」えがおがいいよ
わたしが思う、今の自分のことばで
たくさん生きることが理想だと思う。
西粟倉で書いたメモはどこかへいっちゃったけど、
たしかそんなことを基底と理想にしていたと思う。

これからをつくっていけますように。

2024.9
病気にかたをつける

いままで、つらつらと書いていきたことは、だいぶ昔のわたしが書いていて、
わたしはどこかで、ずっと、ひきずっていました。考え続けていました。

結局、どれだけ考えても、いつか人はこの世からいなくなるし、
なぜうまれたのかも、なぜ小児がんになったのかも、生きているのかもわからずじまい。
今まで歩いてきた後ろも、してきたことも消えない。
けれども、けっして考えることは、人生において無駄じゃない。
今の自分を向き合う最大の、問いだから。

原稿用紙

向き合い続けて、わたしが今を、前を向いて歩けるように
けじめ、まとめの一つとして、「生命をみつめるフォト&エッセイ」に原稿紙四枚の文章を書いて送りました。これは、わたしが今のわたしが思うこと・よかったよねと思えること・前向きになれるように、向き合いながら本当はそう思っていたんだねって思いながら書きました。

やはり、今も昔も変わらないことが、
「わたしのなかで生き続け、住み続ける」ということ。なんですね。
それに気づけたことがよかったなと思います。

1000人と「本音」

けじめ、まとめがもうひとつあって、
それは18祭というNHKの番組にもなっている、1000人で歌唱する場に応募したということです。
今年のテーマが、「本音」。そして、アーティストさんがMrs. GREEN APPLE。
ミセスの音楽には、わたしが生について考える、いわゆる一度入ったら抜け出せない、深淵にいたときに、歌に何度もことばをわけてもらい、月から金の夜に開講しているラジオ番組のSCHOOL OF LOCK!月曜日にミセスの声を毎週聞いていました。

動画審査があって、自分の「本音」を動画にしました。
言葉にするのと、口から出すことは、違っていて。
わたしは、ずーーーと、こころのうち、文字とわたしとわたし。みたいな、口にだすことがなかったんですよね。自分は、何か自分のこころのふかいところを話すには、涙が必要なようで、あまり人前でこころを開くことができません。
動画って、いいのが、ひとりごとでもいいこと。
カメラとわたしとわたし。わたしからでるこころが音になる。

ここで思うわけですよ。
こころの中では独りごちてるけれど、本当にいいたいことってなに、と。
言葉に書いてから、読もうと思ったこともありました。
でも、それは、わたしの本音じゃないなと。
カメラの前で、録画しているのに、何も言えない無言の動画を何回の撮っては消しました。
自分は、これからは言葉をそとにも向けていこうな、と思いました。
その後、なんとか、言葉を絞り出し、メッセージ動画は完成しました。

次に、パフォーマンス動画をつくりました。
今まで、引きずっていたものを、歌にして、伴奏もつけました。
この時つくった曲は、わたしの讃歌です。
18祭は、大切な曲をつくるきっかけをくれました。

その後、一次審査が通過し、また、自分と向き合うことになったのですが、
わたしは、わたしは今、どういきていきたいのか、何を叫びたいのかが、
わかります。
わたしはきっと、わたしを肯定したかったんだと思う。
わたしが、生きていていることを、なぜじゃなくて、そうだねに変えたかったんだと思う。
だからなに?にも。

なぜ?と自分を疑うことは、もう自分の習慣になっていますが、
過去をなぜ?と思うことは、なくなりました。

あなた、そしてわたしへ

N/S高時代

わたしは、わたしとわたしの溝がひらいていって、次第に周りともひらいていった。
今、思えば、N/S高に入ったことは、わたしの人生が大きく変わった地点だった。
本当に、わたしのこころは何を叫んでいいか分からず、叫び声をあげていた。
N/S高は、懐が広い。
ネットコースから、キャンパスへ通う通学コースへ変更したが、キャンパスも優しかった。
こんなわたしも、わたしでいいと思えた。
だれもがちょっと様子がおかしくて、いろんな人がいて、
なぜか、心地よくて。楽しくて、面白くて。
わたしがわたしを取り戻した、そんな一年半だった。
いまでは、あの心地よさは、職員のかたがたがいなければ、なかったと思う。
いいひとばかりだった。

育休に入ったメンターさん、わたしはあなたにありがとうをいえていないけれど、
こころから感謝している。
わたしが今、大学に入って、社会にもどって感じる、溝から
すぐに白黒つけずに、自分ができることを探して、自分の位置をみつけること、
居場所はひとつじゃないことを理解できているのは、あなたの言葉のおかげです。
わたしは、今の大学に、溝があるけど、そこから学ぶことが多い。
自分の人生を歩んでいると強く感じます。
わたしと出会ってくれて、向き合ってくれて、ありがとうございました。

oioi手話講座

これもわたしの中では、大切だった。
N/S高の人は声が小さくて、わたしの遠い耳は、聞きとりにくかった。
何を発音しているかわからなくて、聞くことが次第にストレスになっていた。
そして深淵にいたため、自分の晩期合併症にも、神経をぴんぴんさせていた。
そこから3ヶ月くらい経って、ちょっと前向きになった。そこで、手話をやろうと思った。
そうしたら、聞こえにくいわたしの居場所があると思ったからだ。
偶然にもホームページでみつけたエンターテインメント手話団体oioiは
笑いのオアシスだった。

毎週笑った。
元気がないときも、笑った。
時には、自分を笑ってもらえた。

わたしは、ボケるのが好きで、ひとりでボケては、ひとりつっこみをしている。
そんなわたしに、つっこんでくれる人がいる。
わたしのボケに笑ってくれる人がいる。
それで、なんだか、わたしはわたしの一部を受け入れれた。

相手に通じて、相手の話していることが理解できて、相手に返せる。
わたしは、相手を意識しすぎていたことに気がついた。
「伝えたい気持ち」
それをわたしは置き去りにしていた。

 間違えてもダイジョーブ
 忘れてもダイジョーブ
 また覚えれば
 ダイジョーブ

脳内で声が再生されるほど記憶に残る
oioiでのあいことば
もちろん手話で

また、必ず、会いに行きます。
手話の勉強は、ちょびちょびですが、たまにひとりごと手話をしています。
笑いで覚えた手話は、強烈なインパクトで忘れなさそうです。
わたしに出会ってくれて、ありがとうございました。
oioiさんから感じたこと、ダイジョーブといってもらえる場所があること、それを覚えていたら、わたしはダイジョーブな気がします。


最後に


今まで歩んできた道に、火傷に、思い出に、意味のないものはひとつとしてありませんでした。
苦くてもわたしの中でほろ苦くなる日がくるまで待っていて、
出会ってくれてどこかで生きている人はわたしの中に住んでいて、
もうこの世にいない人は、わたしの中でいきていて。

どんなに悲しくても、あなたもわたしも生きています。
これからも、これからさきも。

このみちのさきには、
なにかなにかあろうよ。
みんなでみんなで行こうよ、
このみちをゆこうよ。

金子みすゞ「このみち」第四連


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