長編小説『ヴィンセント物語』序章(2)「別邸」
初回 長編小説『ヴィンセント物語』序章(1)「ヴィンセント家」
もうすっかり辺りは闇に包まれて、冬季の冷たい風がふきすさんでいた。
城の中をぐるりと見回ったが、確かにカトリーヌの姿は見えなかった。
カッハーは腕組みをし、廊下の天井を見つめながらカトリーヌが行きそうな場所を考え、1つの目星をつけた。
「……………多分、あそこだろうなぁ」
そう言って彼は玄関へ向かい、城内を出た。
ヴィンセント家の敷地は、50万平米からなる蕩然たる大屋敷である。
敷地の周りは城壁で囲まれており、南部にある入り口から北部へと馬車道が続いている。そしてその北端にヴィンセント城が聳え立ち、南部には大きな庭園、及びそれに付随した森が広がっている。
建築物としてはメインの城以外に西部に管理棟、北東部の離れに別邸があり、そして城の裏手、城壁と接するように監視塔が聳えており、現在使われている建物は以上である。
これが大まかなヴィンセント家の敷地マップであるが、実際はもう一つ、今では誰も使っていない建物が存在している。
カッハーの父親、先代の王の時代、夏の期間に避暑地として別邸に利用されていた館。
南東の奥、森の中に佇んでおり、今では年に一度、セバスチャンの指揮のもと掃除はされているが、使用するものは誰もいない。
カッハーは、その館に向け馬を走らせた。
その場所を教えたのは、カッハーだった。5年前、カトリーヌがまだ10歳の頃だ。
その頃のカトリーヌはすでに天才だった。カッハーがそうであった様に。
学問では、6個も上の学年の内容まで完璧に理解しており、音楽、ダンス、スポーツ、何をやらせても同学年で彼女に太刀打ちできるものはフランス国には存在しなかった。
カッハーは彼女が退屈することがない様に、一切の束縛をせず、関心があるものには全て挑戦させた。
しかし、根本的な問題は解決せず、彼はカトリーヌをこの場所に連れてくることを決めた。
根本的な問題とはなんなのか?
それは、、
『この時代は、カトリーヌが生きるには退屈すぎる』
ということであうる。
10歳になる頃には、彼女の目が完全に死んでることに気づいたカッハーは、これはもう限界だと感じた。
カッハーが向かったその建物は、一見すると何の変哲もない唯の別荘である。最大でも6〜7人が泊まれるくらいの小さな館で、地上3階建ての木造でできており、築造年数100年は超えていると思われる。
彼は馬から降り、入り口の方へゆっくりと足を進めた。ドアノブに手をやり、ゆっくり引くと扉は軋んだ音をならし、開いた。
「…やはり、ここか」
入ってすぐ見える中央階段の手前を左に向かい、リビングスペースを通りすぎ、その奥にある物置に入ると、カッハーは床材として使われている木のパネルを一枚めくり、そこにある金属製のフックに指をかけると、それを上に引っ張り上げた。
「カチャ」
何かが開いた音がする。
再びリビングスペースへ戻ると、一部床が浮いている箇所がある。
彼がその床を上に持ち上げると、そこに現れたのは階段だった。
そう、この建物には地階が存在するのだ。
地上3階建て、そして地上を上回る地階4層、それがこの館の本当の姿だ。
このことを知るのは、カッハー、エリーナ、そしてカトリーヌしかいない。無論それは、あまり知られるべきでないと判断される、秘密がそこに隠されているからだである。
カッハーは地下へ降りていこうとしたが、直ぐに一つ気づいたことあった。
“何か、音がなっている…?”
音の鳴る方へ足を進めていくうちに、その音色の正体がわかった。
“ギターだ”
建物の一番底、地下4階まで辿り着くと、そこにはカトリーヌがギターを手に弾き語っていた。
カトリーヌは、足音に気づき、その正体を確かめると演奏をやめた。
「父上…」
カッハーは優しく微笑み、静かに手をあげ、拍手を送った。
“パチ、パチパチパチ”
「なんだ、やめちゃうのか。せっかく世界で最高のコンサートをタダで聴けると思ったのになぁ〜。父親特権で」
カトリーヌはそれを聴くとクスッと無邪気な笑い顔を見せ、そしてそのまま、座ったままの上から目線で父親を見下げながら悪戯に微笑んだ。
「父上がお望みならば…」
地下4階は、上の三層と比べて小さな部屋だった。
そこにあるのは机が一つに椅子が2つ、簡易的なベッド、文字を読むのに最適な明るさを発するランプが二つ。それだけの空間だ。
石のタイルでできている壁と床に、ギターの音色とカトリーヌの鈴を転がす様な美声が響き渡っている。
性格とは裏腹に、とても澄んだ、清々しい耳障りである。
その世界一小さなコンサートは、当時フランス国で流行っていたジャック・モーデュイのミサから始まり、ジョヴァンニ・ガブリエリ、クラウディオ・モンテヴェルディを流した後、最後にはカトリーヌの即興演奏で幕を閉じた。
演奏が終わると、カッハーは目をゆっくりと閉じ、満足げに大きく息を吸い込み、そして吐き出した。
「素晴らしい。最高だよカトリーヌ」
「それはそれは、フランス一の王様にお褒め頂けるとは、この身に余る光栄であります、殿下」
そう言って二人は見つめ合うと、互いに笑い合った。
この二人には、親子以上の何か特別なモノがあった。
二人は、お互いに二人にしかわからないであろう”何か”を感じていた。
そしてそれによって、親子であり、親友であり、恋人でもあるかの様な空気感が、二人の時間には流れているのであった。
「…父上、ごめんなさい。夕食をすっぽかしたりして」
「いいや、許さないぞ。……私の娘を傷つけるものは何人たりとも許さない。たとえお前本人であってもな」
カトリーヌは真剣に父親の顔を見つめると静かに頷いた。
彼女は、父親の前では決してふざけない。
なぜならば、両親であるカッハーとエリーナのことを彼女は尊敬していたからである。
彼らがいなければ彼女はとっくにこの退屈な世界の中で朽ち果てていただろう。
そう鬱になって廃人になったか、悪ければ自死を選んだ可能性だってある。
それほどまでに彼女は生粋の挑戦家だった。
退屈を憎んだ。
そしてカッハーも、そんな娘を助けたかったのだった。
『ぐう〜〜』
なったのは、カトリーヌのお腹だった。
「あらっ」と自分のお腹を見つめると、それを見てカッハーは大笑いをするのだった。
「がめついな、お前の胃袋は。こんな時でもちゃんと物を欲してくるではないか」
引き続き大笑いをするカッハーに、カトリーナは、怒った様な笑顔で口を膨らますのであった。
「心配するな、ちゃんと俺とお前の分の食事を…ほら、サラにいって来る時用意してもらった」
そう言うと右腰にある袋から、パンと生ハム、チーズ、二つのコップを取り出し机に広げ、左腰についている水筒から紅茶を注いだ。
「まあ素敵!!どんな豪華なパーティー料理より素敵だわ、、って、サラに怒られるかしら」
「それはそれは、世界一の美女にお褒め頂くとは光栄の極みであります、カトリーヌ様、、これは、エリーナに怒られるなぁ」
カッハーはそういうと、右の眉と左の口角を上げながらおどけた。
時刻は19時30分を過ぎていた。親子二人の普通で、そして特別な時間が流れる。
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