短編小説『幸せ屋』(3)
時刻は11時30分。
多くの高等学校が冬休みを目前に控えていたその日、ある三人の学生の姿は学校にはなかった。
彼らがいたのは、学校から2キロメートル程の街の繁華街にある、ゲームセンター“Avenue”である。
山梨県甲府市立第二高等学校の生徒会副会長を務める三年二組豊島真弓。
ハンドボール部に所属している三年六組田所景。
そして野村昭恵の息子、三年三組の野村大河。
Avenueの来店層は20代~50代と高く、ゲーセンというよりはどちらかというとパチンコ店の様な雰囲気で、店内にはタバコの煙が充満していた。
いたって真面目な学生である真弓と景が、なぜそんなゲームセンターに来ていたかと言えば、幼馴染である大河の事を説得するためである。
大河はその日も朝から学校をサボっていた。
ゲームセンターの大きな騒がしい音の中に、一つの乾いた音が鳴る。
叩かれた左頬に目をやり、大河は言った。
「…流石に昔一緒に野球やってただけあるな。女でもちゃんといてぇ。
満足したか?」
髭が伸び、瞼は落ちて目はトロンとし、左手にはタバコを持っている。
高校生らしからぬ堕落した大河の姿と、高潔にたたずむ真弓の姿が、言葉にならぬ絵面の違和感を醸し出していた。
景は落ち着かない様子で二人を交互に見て、何かを言いかけては何も言えずにいた。
「大河が挫折するのはこれで三回目だよね。
中学一年の時、高校一年の時、そして今回。
はっきり言って今の姿、今までで一番かっこ悪いよ」
意を決してそう告げた真弓を見ると、大河は苦笑し敵意を持った表情を作り答える。
「お前だって野球を捨てたじゃねえかよ。
俺が喜んで野球から離れたと思うか?絶望的な怪我をしたんだぞ?
お前に、生徒会副会長様に何が分かるんだよ」
子供の時から兄弟同然に一緒に育ってきた大河から発せられたその言葉を聞いて、真弓と景、二人の心に同時にナイフに刺された様な痛みが走った。
「おい大河、今の言葉は…」
そう言いかけた景の事を、真弓は手で制した。
「大丈夫」
凛として構える彼女を見て、景は不安そうな顔をしながら、真弓の言う通り言葉を押し殺した。
田所景という人物は、いつだって豊島真弓の味方をしてきた人間だ。
勿論それは真弓が決断してきた事や、それに伴う行動が常に間違ったモノでは無かったからでもあったが、それに加えて、景は真弓の事が異性として好きであった。
中学二年の時に告白しフラれるのであったが、その事については二人の胸の内だけにしまっており、大河は知らない。
真弓は大河に向けて言葉を続ける。
「野球をやるやらないは大河の勝手よ。私が介入するところではないわ。
でも、大河は野球だけじゃなく、今やるべきことから全て逃げているじゃない。
大学も決まってないで、学校もサボって、親から恵んでもらったお金をこんな所で溶かして。
おばさんが本当に可哀想…
自分でこれが正しいと胸を張って言えるの?」
無言でうつむく大河に対して、景はたまらず言葉を投げかける。
「そうだぞ大河。…親父さんがこの姿を見て、喜ぶと思ってんのか」
そう言った瞬間、
景はハッとし、咄嗟に失敗したと思った。
景から言葉を聞くと、大河の瞳孔が開き、髪の毛がみるみる逆立っていくかの様な気配を二人は感じ取る。
顔を伏せながらゆっくりと立ち上がると、大河は景の胸ぐらを服がちぎれんばかりに強く握り、今度は顔をゆっくり上げ、鬼の様な形相で景を睨みつけると言った。
「次親父のこといったら、景だからって許さねえぞ」
景の事を乱暴につき離すと、大河はその場から立ち去って行った。
真弓は去ってゆく大河の姿を目で追い、景は汗を流して呆然と地面を見つめていた。
真弓と景は、ゲームセンターの騒がしい音の中でその場に立ち尽くした。
そして大河が店を出てからおよそ一分後、二人はゆっくりと店内から出てきた。
景は肩を落としている。
「やっぱり、おじさんの話を出したのは俺がいけなかった…最悪だな俺」
真弓は慰めるように言う。
「そんなことないよ。
大河は、おじさんの死と向き合い、受け入れなきゃいけないの。
身内が死んでない私がいうのはおこがましいかもしれないけれど、私はそう思うわ。
…だからさっきの景ちゃんの言ったことは、正しいと思うよ」
景はその言葉を聞きゆっくりと噛み締め、真弓に言った。
「さんきゅ」
大河の説得に失敗した二人は、重い足取りを学校の方へと進める。
学校では授業の只中である時間に制服姿で歩いている二人は街中では浮いており、人々は通りすがりに彼らの事を横目で見ている。
そんな時だった。
後ろから聞きなれない声が二人を呼び止める。
「あのーすみません」
声を聞くと真弓と景は同時に振り向いた。
そこにはノッポな男が一人、目の下に酷いクマを携えて立っていた。
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