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「古くてもよしの味」-広小路の名古屋ホテル②
前回に続き、かつて名古屋にあったホテルとその資料に関するお話です。
その①はこちら。
3.マッチラベル‐名古屋ホテルの食堂陣
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大阪ホテルと密接な関係になった頃、名古屋ホテルは市内に幾つかの食堂を開いています。
大正9(1920)年3月、尾三銀行の地下室に「尾三食堂」を開店。これは名古屋市内における地下食堂の先駆けとなるものでした。
ランチから一品料理まで工夫を凝らした洋食店で、広小路のサラリーマン達を虜にしたようです。
昭和2(1928)年、尾三食堂が入っていた尾三銀行が閉鎖し、愛知農工銀行の付属となった際にその名称は「ホテル食堂」に改められます。
上に載せたマッチラベルは、開店から改称される昭和2年までに作られたものと思われます。
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こちらのマッチ箱には株式会社名古屋ホテルのロゴが入ったものと、食堂名が記載されているもの、2種類のラベルが使用されています。
記載された食堂のうち1つは先述の「ホテル食堂」。そしてもう1つは昭和5年(1930)10月、鶴舞公園内にある名古屋市公会堂の地下室に開業した「公会堂食堂」です。
この食堂があった地下室には平成24(2012)年頃まで洋食店が入っていましたが、名古屋市公会堂の改修を経て現在は「COFFEE ルンバ」と言う喫茶店になっています。
今年10月、名古屋市公会堂の見学ツアーに参加した際にこのルンバにも立ち寄ってみました。(ルンバは一般の公園利用者も入る事が出来ます)
公会堂の建物はGHQの接収や改装によって様変わりしている箇所が多くありますが、壁面の装飾や床のタイルは竣工当時からのもの。つまり公会堂食堂が入っていた頃の意匠が残されています。
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見学ツアーの解説にもありましたが、名古屋市公会堂では貴賓室等で行われる市の官公主催行事や結婚式の披露宴にも名古屋ホテルが料理を提供していたそうです。
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もう1つ、この名古屋城のシルエットが描かれたマッチラベルはラベルの貼込帳から見つけたもの。橙色と青の配色は、先程紹介したマッチ箱の両面と共通するものがありました。
4.ホテルラベル
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こちらはマッチラベルより一回り大きく、鮮やかな赤が目を引くホテルラベル。最背面に白いラインで描かれた名古屋城は尾三食堂のマッチラベルに使われていたデザインとほぼ同じものかと思われます。
この他、大阪ホテル同様にホテルのロゴを中心に置いた丸型のラベルも発行されていたようです。
◎食堂の思い出
・繪皿の間
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名古屋は瀬戸に程近く、「天下の陶器所」としても知られていました。
大正期に入ると陶器のブローカーたちが名古屋ホテルを利用するようになり、毎年5月6月頃になると買い入れの為に群れを成して宿泊し、10月頃まで長期滞在していたそうです。
則武陶器(現在のノリタケ)や名古屋製陶(現在のナルミ)の製品はその商人らの手によって、欧米のクリスマス用に数多く輸出されていました。
ホテル館内にはそうした華やかな食器の一部を飾った「繪皿の間」が置かれ、昭和に入ってからはその部屋を食堂の1つとして使うようになります。上の写真は食堂時代のものです。柄までは確認出来ませんが、リズミカルに飾られた絵皿は宿泊客の目を楽しませていた事かと思われます。この部屋のシャンデリア基部も繊細で美しいものですね。
5.高砂の栞‐結婚式のご案内
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こちらも非常に興味深い資料のひとつ、ホテル内で執り行う結婚式のパンフレットです。
巻頭に付属している写真資料の中に1000名が立食出来る大食堂が載っています。
『ホテルの想ひ出』によると、日本館を改装して舞台のある大広間と大食堂が作られたのが大正12(1923)年の7月の事。また、神前式に関する文中で挙げられている神宮奉斎会は昭和21(1946)年に解散している団体です。
戦中から戦後数年は華やかな結婚式は控えられていた事もあるので、この栞は大正12年以降〜戦前までに発行されたものと推測出来ます。
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それまでは自宅にて三三九度の盃を交わす式や神社での神前式が主流でしたが、大正末期から昭和初期にかけては、帝国ホテルを中心にホテルウェディングが広まっていた時代でした。
名古屋ホテルもまた、式や披露宴に対して格式張らない新しい時代の考え方を持っていたようです。
そこで私共では甚だ勝手ではありますが、現代に最も適応したるご披露としては、去らぬだに挙式に於いて既にご疲労の皆様方に更に長時間の正座を余儀なくさせらるるよりも(畳の上にて)、椅子の席の方が余程御便利であると云ふ事をお勧め申すのであります。
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美容や着付けの担当は「澤井理容館主催澤井朝子女史が御用を承る」と明記され、こちらも巻頭に写真が掲載されていました。
撮影を行なっていた「松浦写真館」はホテル館内に照明設備を特設しており、名古屋ホテル専属の写真師として請負っていたようです。この写真館は「松浦幸陽写真館」と言う名前で最近まで熱田神宮の近くで営業していました。
その他、料飲費用やお土産の品、新婚旅行(当ホテルの宿泊するプラン)の御案内や配席図など様々なパターンの式に対応出来るように備えていたようです。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
昭和11(1936)年、名古屋商工会議所が中心となって構想を練られた名古屋観光ホテルが新たに開業します。これは市内の宿泊施設、とりわけ名古屋ホテルにとって大きな脅威となっていきます。
名古屋観光ホテルは開業時点で地下1階地上5階建、客室数70室を有しており、最新の設備や宴会場も備えていました。
それでも名古屋ホテルは洋風と和風どちらの趣も兼ね備えた古き良きホテルとして、大阪ホテルと共に都市を代表する無二の存在として在り続けました。
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食堂経営に結婚式の利用も増え、ホテルとしては全盛期とも言える時代を迎えた後、名古屋ホテルはどんな道を辿って行くのでしょうか。
次回は残りの資料と共に、ホテルの内装の変化や戦後に残った謎について纏めていきます。
その③へ続く。
(本文:りせん 編集:田んぼ)
【参考文献】
運輸省『日本ホテル略史』1946年
鉄道省『観光地と洋式ホテル』1934
下郷市造 『ホテルの想ひ出』 大阪ホテル事務所 1942年
木村吾郎 『日本のホテル産業100年史』 明石書店 2006年
木村吾郎 『日本のホテル産業史論』 2015年
名古屋観光ホテル『名古屋観光ホテル五十年史』1986年
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