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戦後の記録について‐名古屋ホテル④

前回の記事はこちら

9.絵葉書-戦後?

年代不明の絵葉書

名古屋ホテルの館内、4か所を写した絵葉書です。
入手当初は昭和10年のパンフレットや絵葉書と同じ頃のものかと思ったのですが、どことなく違和感を覚えました。会議室のような大宴会場、開口部や配置が違うロビー、モダンなベッドや照明。空襲の少し前に改修された可能性も考えたのですが、絵葉書を集めている友人に見せてもこれは戦前ではないのでは?と疑念を抱いたようでした。

この頃ちょうど名古屋へ行く用事があり、愛知・名古屋 戦争に関する資料館に寄ってみる事にしました。

愛知・名古屋 戦争に関する資料館
(愛知県庁大津橋分室)

ここは愛知県内で見つかった戦時中の生活用品や手紙、空襲で失われたものやその遺構、忘れてはいけない戦争の記憶を学ぶ事が出来る施設です。展示物の中にホテル関係のものはありませんでしたが、スタッフの方に伺うと事務所から写真集を1冊持ってきてくださいました。

『写真集愛知百年』中日新聞社

目で見る都市の100年シリーズと同様、現地の新聞社が出している写真集は情報の宝庫。事情を説明し、何かあれば掲載しても良いか確認を取ってページを捲っていくと、まさに探していたものが見つかりました。

名古屋ホテルの頁

▼名古屋ホテル
…戦後の昭和30年代まで営業を続けた。

『写真集愛知百年』中日新聞社

写真自体はよく見かける戦前のものでしたが、戦後まで営業していたと明記されたキャプションを見るのはこれが初めて。

もうひとつ、こちらは昭和30年代の名古屋の住宅地図を元にしたマップ。リンク2枚目の地図中(左上)で、かつてと同じ場所に名古屋ホテルの文字を確認できました。

★昭和時代の名古屋の地図
http://nagoya-analytics.com/topics/436

10.パンフレット-昭和30年代

パンフレット 戦後?

同じ頃、新たに入手したパンフレットです。発行された年代は明記されていませんが、ロビーと寝室の写真は戦後のものではないかと疑っていた絵葉書とも一致しています。

中表紙に記載されている観光地一覧、地図と各所へのアクセス等も見てみましょう。

パンフレット掲載の主要観光地

これだけだと主要観光地が今とあまり変わらないと言う事しか分からないので、可能な範囲でそれぞれの開業時期も調べてみました。

・テレビ塔
…昭和29(1954)年に開業。
・名古屋城跡…空襲で大半が焼失、昭和27(1952)年に残った城郭が特別史跡指定。昭和34(1959)年に天守が再建。
・温泉パレス…昭和28(1953)年、納屋橋東側に「名古屋アイスパレス」オープン。
昭和33(1958)年に1階が温泉、2階がダンスホールの「名古屋温泉パレス(ナゴヤパレス)」として改装。

上記の情報をふまえると、このパンフレットは昭和33年以降のものと推測できます。ちなみに、裏表紙に載っている地下鉄伏見駅も昭和32(1957)年の開業です。

ここまで集めてきた資料から、
名古屋ホテルは空襲で大きな被害を受けたが、戦後同じ場所で営業をしていた可能性があると言う事が分かってきました。

改めて絵葉書やパンフレットを見比べると、ロビーの写真はフロント位置やサッシ、調度品の違いを除けば戦前と同じ空間に見えます。
この部分は奇跡的に焼け残っていたか、そっくり再建されたかのどちらかになるでしょう。同じ名称の別のホテルと言う訳ではなさそうです。

戦前のロビー
戦後のロビー



出来る事なら正式な記録も確認したい、と言う一心で図書館の蔵書検索をしていると『日本ホテル略史』『日本ホテル略史 続』は更に細かな年度毎の続編があり、運輸省ではなく日本ホテル協会からあと7巻分(全部で9巻)発行されている事が分かりました。
通常閲覧不可か巻数が不揃いな図書館が多い中、京都府立図書館には8巻まで揃っているとの事。


早速借りて来た『日本ホテル略史 自昭和24年7月至昭和26年12月』を読み進めると次のような記載がありました。

・昭和二十四年
十二月二十一日 …第二次整備計画中ホテルの部は左の通り
神戸   オリエンタルホテル
賢島      志摩観光ホテル
(中略)
名古屋  名古屋ホテル

『日本ホテル略史 自昭和24年7月至昭和26年12月』日本ホテル協会

戦後、すぐに占領軍に接収されたホテルだけではなく、全半焼したホテルもまた応急的に改修を施されて様々な目的で再利用されていました。
引用文の計画は外国人観光客向けの宿泊施設を整備するためのもので、日本銀行が一部ホテルに融資をしてくれると言う内容です。
そして、翌年の記録が次の通り。

・昭和二十五年
四月一日 (中略)名古屋ホテル(明治二十七年創業)が復興再開した。

『日本ホテル略史 自昭和24年7月至昭和26年12月』日本ホテル協会

最も知りたかった点、名古屋ホテルの復興が確かにそこに記されていました。

昭和30年代以降、いつ廃業したのか現時点では記録を確認出来ていません。
日本ホテル略史、昭和27年〜28年の記録には日本ホテル協会中部支部の会員として記載されていましたが、その後名古屋観光ホテルに次いでホテルニューナゴヤが台頭するようになってからは、名古屋ホテルの名前が出てくる事はほぼ無くなります。
『名古屋商工名鑑』を見ると昭和40年発行版には堅三蔵町の住所での記載がありますが、昭和42年版では錦町になっており、当初の建物はここで解体されたのかもしれません。

ただ、少なくとも名古屋ホテル自体は昭和40年代まで存在し、パンフレットのホテルは明治期から続いてきた名古屋ホテルと同一のもので、戦後にもその歴史が紡がれていた事が確かなものとなりました。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 

おわりに

ホテルのあった堅三蔵通り

2021年秋頃の堅三蔵通りです。
名古屋ホテルのあった場所には今、KDDIのビルが建っています。ちょうど写真を撮った時には向かいにあったビジネスホテルが解体中でした。

地名は昔から変わらず

まだ洋式ホテルが珍しかった明治期に外国人宿泊客のために作られ、一時は大阪ホテルと共に歩み、戦後再び復興された名古屋ホテル。紙の資料から約70年の歴史を紐解いたお話はここで終わりです。

まだ名古屋関係の絵葉書や紙ものを目にする度に新たに分かる事があるのでは、と思わずにはいられません。勤めていた方や宿泊した事のある方がいらっしゃるかもしれません。
どこかにまだ名古屋ホテルの思い出が残っている事を願って、筆を置かせて頂きます。

(本文:りせん、編集:田んぼ)


※参考文献によって開業年の記載が異なるが、当記事は社史『ホテルの想ひ出』および『名古屋市会史 別巻 総合名古屋市年表(明治編)』の"明治28 年(1895)5月 開業"を基準とする。

【参考文献】

運輸省『日本ホテル略史』1946年
運輸省『日本ホテル略史 続』1949年
鉄道省『観光地と洋式ホテル』1934年
下郷市造 『ホテルの想ひ出』 大阪ホテル事務所 1942年
名古屋市会事務局『名古屋市会史 別巻 総合名古屋市年表(明治編)』1961年
名古屋商工会議所『名古屋商工名鑑 昭和40年度版』1965年
名古屋商工会議所『名古屋商工名鑑 昭和42年度版』1967年
日本ホテル協会『日本ホテル略史 自昭和24年7月至昭和26年12月』1967年
日本ホテル協会『日本ホテル略史 自昭和27年1月至昭和28年12月』1968年
日本ホテル協会『日本ホテル略史 自昭和29年1月至昭和30年12月』1969年
日本ホテル協会『日本ホテル略史 自昭和31年1月至昭和32年12月』1971年
日本ホテル協会『日本ホテル略史 自昭和33年1月至昭和37年12月』1980年
日本ホテル協会『日本ホテル略史 自昭和38年1月至昭和41年12月』1981年
名古屋観光ホテル『名古屋観光ホテル五十年史』1986年
中日新聞社『写真集愛知百年』1986年
瀬口哲夫『歴史的建造物とまちづくり 第6回-歴史の面影残す広小路、建物再生しながら都市の賑わいを/名古屋市』2002年

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