見出し画像

「言いたい事も言えないこんな世の中」、だからこそ。

空気を読む、読まない。

無言のコニュニケーション。こんな場面は、”こうすべき”、”こう言うべき”と考える。誰が決めたのかも知らない、見えない暗黙のルールがこの世に存在する。

多数派の意見に流されて、自身の意見があるのかすら、気にも留めない。気に留めることをやめた、という方もおられるかもしれない。雰囲気を壊すようなことがあれば、面倒だし、争いは避けたい。それが現代人の本音。

いや、違う。

いつからか、秩序を乱すまいと、細胞レベルにまで刷り込まれてしまった。家庭でそう教わったのかもしれないし、学校で学んだのかもしれない。

相手を尊重するばっかりで、自分は置き去りにしていないか。今一度考えたい。



数年前、お付き合いしていたフランス人の彼氏が言った。

「君の意見はないのか。」と。


お互いの母語を話す私たちは(彼は日本語、私はフランス語を話す。)、言いたいことはおおよそ言葉にしていた。多少の言語の壁はもちろんあったが、意見を述べるうえで、問題にはならなかった。


彼はよく話す。”よく”どころではない。むちゃくちゃ話す。

決して、彼が特別なのではない。フランス人は、おしゃべりが大好きなのだ。好きあらばぺちゃくちゃ。エレベーターで偶然居合わせた人にストライキへの不満をこぼしたり、気のおけない仲間たちと風通しの良いカフェテラスで、コーヒーをお供に、ひたすら話す。話さずにはいられない、そんな民族。

彼らは、独自の”意見”を持ち合わせている。普段から政治への関心は高いし、美術へのアンテナを張っている方も多い。興味関心が強いのか、会話のネタ作りのためなのか、どちらが本命なのか、と思うほど。


それなら、負けてないわよ!私だっておしゃべり好きだから、と思っていた。

だが、住んでみて気が付く。

会話のルールが違う、のだ。



「相手の話を最後まで聞きなさい。」と、周りの大人から言われて育った。みんながそうしていたし、特に疑問を抱くこともなく、人が話していれば、相槌なんかを時折うんうんと打って、相手のペースで会話ができるよう、支えてあげるのがこちらの役目だと思っていた。


フランスでは違う。みんなが好きなように、好き勝手に、永遠と話す。相手が話し終わるのを待っていたら日が暮れてしまう。息継ぎのタイミングで、ええい!と他の方の会話が始まる。何の躊躇いもない、勢い任せ。

関西人のツッコミとはまた違う。だって、他の人のターンになるんだから。横取りの連続。聞いてほしい、話したいのパラダイス。滑稽なのは明らか。だけど、みんな必死に自分の意見を述べるからか、不思議なほどに会話が生き生きしている。

ニュースなどのオフィシャルな場面でも、ヒートアップしている人達をよく見かける。フランス人にとって、なんてことない日常なのだろう。



私はやはり日本人なのだな、と思った。

相手が気持ちよく話しているところに、ええい!とは気安く飛び込めない。話が面白いとかどうとか、もはやそんなの関係ない。義務のような無言の圧迫がある。「今私が俺が話してるから!」と。

一方的に話していれば、それは話ではあるが、会話ではない。

私は、会話がしたい。

そう気が付いた。



「君の意見はないのか。」

悔しかった。私にも意見はあるもの。

言われなければ、知らなかった世界。

ええい!と飛び込む勇気をもらった。意見を言っていい。自分を尊重していい。空気を読まなくていい。

何もかもに、気を遣いすぎていたのかもしれない。

もっと楽に生きたらいい。好きにしたらいい。そう背中を押される言葉だった。




この世の中には、目に見えない無数のルールが存在する。

そんなの肩が凝るし、ヘドが出る。


だからこそ、言う。

空気なんて読んでたまるか、と。





*おまけ*

『GTOリバイバル』放送されてるんですね!✨


”時代が変わっても、俺は変わらない”
カッコ良すぎる、痺れる。反町隆史さん松嶋菜々子さん、素敵すぎる~✨


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?