幸せになる練習。
お昼どき。
ほつぽつとかすかに雨があたる。
空ばかり気にしていたら、隣にひょこっと人影が現れた。
「お疲れさまです」
うえを見て歩いていたらうっかり見逃してしまいそうな、小柄でふわふわとした女性。
最近勤めだした会社の先輩だ。
席が離れているのでそんなに話したことはない。
けれどいつも朗らかで可愛らしいその女性は、思わず目で追ってしまうような魅力がある。
せっかくだからたくさん話したいけれど、少しずつ。
「どこか行かれてたんですか?」
お出かけムードを漂わせていた先週の金曜日。
そういえば、3連休に月曜日もお休みだったのでそう訊いてみた。
「そう。旅行に行ってきました。家族で」
「へえ!仲良いんですね」
それから口をモゴモゴとさせ、声が少し小さくなる。あんまり聞かれたくなかったかもしれない。様子を伺う。
「ちょっと恥ずかしいなって思うんです」
「え??どこに恥ずかしい要素が?」
全く予想外の返答が来てあわててさらに訊いてみる。
「いい大人が4人。ちょっとおかしいかなって」
先輩はご両親と5つほど歳の離れた弟さんの4人家族。みんなひとつ屋根の下で暮らしている。
子どもの頃は家族で旅行をする一家も多いのだろう。だが、成人して子どもが働き出して、昔のように旅行を続けるというのは、なかなか難しい。
それでもなお、ご両親も弟さんもお姉さんも「またみんなで行きたいね」となるのは、ほんとう奇跡みたいなことだと思う。ひとりでもNOと言えば、その慣わしに終わりが来てしまうもの。
それは、誇るべきことなのでは…??
と頭の中に疑問が浮かぶ。
「それに、この年齢でどうかなって」
目線がさらに下がる。
あ、誰かに言われたのかな、と思った。
女性は今年で30歳になるらしい。
その歳で、子どもの頃と変わらず、家族みんな仲良しで。そんなことってある?と、心無いことを誰かがぽろりとこぼしたのかもしれない。
家族と仲が良くて、旅行にも行けて。
こんなに素晴らしいことなのに、恥ずかしいと思う。隠したいと思う。
プラスの要素であふれているのに、悩む理由になるなんて…
もし、誰かに何かを言われたのだとしたら、その人は先輩を”うらやましい存在“と感じたのかもしれない。
”手に入らないこと”と思ったかもしれない。
その嫉妬を、相手を否定することで消化させるのは、あまりにも強引だ。相手が「誇らしい」「嬉しい」という気持ちを持っているなら、なるべく肯定をしたい。
肯定できなくても、ふーん、とせめて言いたい。
妬んだら否定したら、その幸せが手に入る、わけではない。
「いいな」という気持ちが湧いてくることもあるかもしれない。
それを理解する。受け止める。
そうできないときは、ふーん、と言うでも良い。
ただ、目の前の人の幸せを自分の不幸で塗り替えたくはない、と思う。
幸せな人がいる。不幸だと思う人もいる。
どちらもいる。それで良いじゃないか。
「どうか、家族で旅行に行き続けてください」
そう伝えて、
小さな笑顔を見ながら
先輩の心が穏やかでありますように、とそっと祈った。
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