終点


久しぶりに職場で号泣した

半年か一年ぶりに職場の先輩の前でボロボロと泣いていた、めちゃくちゃに攻められたわけでもめちゃくちゃにミスしたわけでもなくて、事実確認を求められアドバイスを貰っただけだった。私は何でこんなにボロボロ泣いているのか自分でも分からなかったけど、ただ悔しいという感情があったことだけはなんとか認識できた


私の至らなかったところや反省点はもちろん理解できたけど、理解できたからといって感情までついてこれるとは限らないんだなあとその時思った。事実確認の時の私の説明は支離滅裂で伝えたいことの半分も伝えられなかったし、そんな自分に腹が立った、職場でも家族でも友達でも、私は思ってることの半分も伝えられない。頭の中で自分と会話する時には話せることが声に出して伝えられないもどかしさをずっと抱えている


相手に事実をしっかり伝えられない自分自身にと、的確なアドバイスをしてくれる先輩に、理解はできるけど、私が欲しい言葉をくれなかったからという赤ちゃんみたいな理由を自覚して、結局は自分自身に対して悔しくて泣いたんだと思う


上手くいかないと私は決まって本屋さんに寄って何時間も徘徊して、本を買う時もあれば買わない時もある。今日は二冊購入して、いつも降りる駅を通り過ぎて終点まで電車にゆられていた。何もしたくなかった、家にも帰りたくなかった、途中で電車にゆられるのもめんどくさくなった、でも車窓の外の緑や建物や田んぼやタクシーのおじさんをみていた時間は何も無駄ではないと思えた


カネコアヤノちゃんがラジオで、過去自分は家族と上手く話せなかったと語っていて私もだと共感して安心してしまった。話したいことは山ほどあるのに、生きてくうちに生まれた羞恥心や無駄に達者な想像力のお陰で、喉から声になって体外に出ることなく、消化されないままうやむやになる。理解してるのに出来ないことばかりで嫌になっちゃうわ、ほんとに










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