鍵をかけない村ー二十歳の旅(その二)            付け焼き刃ー二十歳の旅(その三)

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木々の息吹、空の雲、みんなさまざまに思いながら生きている。木々に流れる樹液は風に揺れ、大気を伝わりハートに入る。

命の粒々が冬の白枝に満ち
透明な息吹が心に届く
寒いね
うんそうだね
でも緑の樹液が僕を抱くから
白い小枝が微笑む

二十歳の旅、今日は二篇です。

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鍵をかけない村―二十歳の旅(その二)

能登は以前から気になっていた。形が僕にはどこか特別で、鉤形の先が日本海に堂々と突き出している。自然、行く事にした。車で走れるという浜は、普通の砂浜より緻密に砂が詰まっている。夕日綺麗、千里浜。北上して、和倉温泉から見れば西海岸の能登金剛、その中間辺りにある富来だったと思う。土地の人に聞いたらすっごく安心な村があって、誰も家に鍵をかけない。泥棒がいないから。行ってみることにした。海岸の道路をグルーっと回り込んだところにその村があった。海側は切った木を何重にも重ねた防風林。例によってお寺へ入る。泊めてください。無銭旅行なのだ。金なしだ。気安く入れてくれる。高校生なのに大学生みたいな大人びたご長男と色々しゃべった。なぜそんな旅をしているのか、僕の持論を真面目に話した気がする。翌日は海岸沿いを歩く。絶壁に手摺りがつけてあって、すごいところだ。恐ろしくなった。でも大景観である。濃い海の色。冬風がガツンと吹いてきて、思わず手摺りにしがみつきながら、だいぶ下の方まで降りてみた。道を戻り、本道にたどり着き、今夜は久々にまともに泊まる。ユースホステル。曽々木海岸。夕日に海が紫がかって見えた。

付け焼き刃―二十歳の旅(その三)

昔軍人さんは軍刀を渡されたが、大量の日本刀を量産できるわけがなく、切るところだけ刃を付けた。僕ら思うんだけれど、大学生はその刃の部分だって。世の中の役に立って。釣りに連れて行ってくれたまだ若いご主人がそう言う。僕は背を正してはいと答えた。僕なんかでもと思いながら。前日、親知らず子知らず(親不知子不知)の浜を歩いた。今は上に道ができているが、昔は隣村へ行くには絶壁の下の海岸沿いに歩くしかなく、いつも波の荒い細道を親は子を忘れ子は親を忘れて走る。そこからこの地名になったという。僕は海岸へ降りてみた。子供の頭くらいある黒っぽい丸石がゴロゴロしていて、荒波がザザーと寄せてきた。不気味で早々に退散した。そこから北上して糸魚川あたりから一気に東京へ向かう。夕刻、山道を歩いていたら一台のトラック。どうかなと思いながら手をあげたら、キキーと止まった。どこ行く? 東京の方。ちょっと威厳のある兄貴風のお兄さんだ。三十分ほど走ったら工事人の宿舎が並んでいる一角。わし一人やさかい、連れてきた、頼むわ。若夫婦の宿舎に僕を案内してくれたのだ。サンやんはあんまり人乗せない。そう言いながら、若い二人は僕を座敷に通してくれる。ちっちゃな女の子がいた。僕はなぜかその子と遊ぶ。その子は小さすぎて訳がわからなかったのだろうが、ひとしきりふたり夢中だった。おばさんのお魚食べてしまったね。いいの、春子と遊んでくれたから。この人、都はるみが流行ってて、はるみの春子でええやろって。私悔しくて悔しくて。勢いでそう言ってしまった旦那だが、本当はちゃんと考えて春子にしたのだと思う。奥さんになじられて、行き所のない顔。ちゃんと別室に布団を敷いてくれた。翌日は休みで、彼が釣りに連れて行ってくれたのだ。軍刀の話はそのとき聞いた。

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