銀行口座をもったことのなかった夫の話

私の夫・アディ(以下、アディ)は、私と結婚した2012年、自分の銀行口座をもっていなかった。
アディだけではなく、村の中で銀行口座をもっている人は少数だった。

そもそも銀行が近くになかったし、銀行口座などなくても困らなかった。

結婚した翌年、近くの交差点に一軒、某銀行の支店ができた。
私は速攻で口座を開設しにいった。
外国人である私はインドネシア人のアディがいないと口座開設できず、アディにも銀行へ来てもらった。ついでにアディにも口座開設をすすめ、彼も人生初の銀行口座をもつことになった。

口座を作ったものの、その後も全ての現金のやりとりが手渡しだったため、アディがそれを利用することはほとんどなかった。

近年、様々な支払いがネットを経由して行われるようになった。公共料金も携帯電話の支払いもネット経由でできるし、ネットショッピングも可能だ。

その波はこの田舎町にもやってきた。アディはまだネット経由のやりとりは気乗りしないようだが、今年になってやっとATMでお金を引き出せるようになった。


先日、アディの友人からお客様を紹介していただき、アディは自分の所有するボートでシュノーケリングの案内をした。

代金はアディの友人から夫の銀行口座へ支払われた。送金済みを示すスクリーンショットも送られてきた。が、ATMからお金を引き出せない。

アディはいくつかのATMを回ったがどこへいっても引き出せなかったと、怒りながら帰ってきた。

「みどり、お金ある? キャプテンに今日の人件費払わなきゃ」

うん、わかったとお金を渡した。ちなみに、これは私のお金ではなく、アディが稼いできて私が管理しているものだ。

アディはものすごくイライラしていた。そりゃあ、お金を引き出せないとイヤだよね。

ATMカードを見せてもらうと、磁気の部分が黒いインクのようなものでかなり汚れていた。これが原因かも。

「大丈夫。お金はちゃんと送金されているし、カードも通帳も手元にあるから銀行支店へいけば引き出せるよ」

安心してもらおうとしたのに、なぜかアディのイライラは大きくなった。

「なんで怒ってるの? 銀行へいけば大丈夫だよって言ってるのに」

夫はブスッとした顔つきで私に言った。

「みどりも一緒に行ってくれる?」

は? なんでこれだけのことが自分でできないのよ、娘の幼稚園(の時間と銀行の時間はかぶっているのに)どうすんの。

心の中で一瞬そう思ったけど、次の夫の言葉で私は夫の気持ちを理解した。

夫は私にこう尋ねたのだ。
「銀行にいって、(行員に)なんて言えばいい?」

ハッとした。

そうか、わからないんだ。

自分が銀行へ行って何をしないといけないのか、カウンターでどう説明すればいいのか、わからない。

そんなふうにカウンターで戸惑う様子は誰にも見られたくないのに、見られる。

こんな小さな田舎村だから「あいつ、こんなことも知らなかったぜ」とバカにされたらどうしよう。そんなふうなことを思ったことだろう。

そうだよね…。

アディは貧しい家庭に育ち、小学生のときから観光客相手に麦わら帽やネックレスなどを売って、自分でノートや鉛筆のお金を稼いだ。

中学校へ入学してすぐに船から海に落ちる事故にあった。治療費を出したら学校へいくお金がなくなった。なので、たった一週間で中学校は退学した。

だから、貧しさと学歴の低さに劣等感を抱いている。

アディはお金が引き出せなくて怒っているのではない。

悔しいんだ。
自分が情けなくて、不甲斐なくて、寂しんだ。

私はこれまでに、アディに対して「なんでそんなこともできない/わからないの?」という顔をしてきた。叱責することはなかったはずだが、少なくとも心の中でそう思うことは何度もあった。

これがどれだけアディを傷つけてきたことだろう。

今年、アディが鬱っぽくなったとき、私は私のせいかもと思った。直接的な引き金は別のところにあるのだけど、私がもっと懐大きく見守ることができていたら、ここまでアディが自分を追い込むこともなかったのでは…と後悔した。

でも、後悔しても過去は変わらない。
できることは今この瞬間から一つ一つ態度をあらためていくことだけだ。

こんなことをアディが鬱っぽくなってからずっと考え、できることを一つずつ整えていった。

それだけに、彼の苦しみ、悔しさ、孤独を理解したときーただ理解しただけではあるのだけどー、少しだけ自分の成長を感じた。

本当に一歩ずつだけど、アディを理解しながら一緒に歩いていけるようになったかな。

これからは、悔しさを晴らすステージだよ。

サポートはとってもありがたいです(ㅅ⁎ᵕᴗᵕ⁎) 2023年年末に家族で一時帰国をしようと考えています。2018年のロンボク地震以来、実に5年ぶり。日本の家族と再会するための旅の費用に充てさせていただきます。