エレファントマン 4月8日 しいたけ日記
昨日、映画「エレファントマン」観た。デビッド・リンチ監督。頭が大きくて、体中に瘤ができる人。実際にある症候群だそう。映画の感想はいろいろあるが、面白いなと思ったのは、エレファントマン自身が自分の姿を鏡で見て、叫び声をあげたことだ。普段、自分の姿を自分で見ることは少ない。鏡やガラスウインドウなどに映ったのを見るときぐらいだ。だから、自分で思う自分の像というものが頭の中にできていて、たまに鏡を見て「えっ」と驚く。こんな顔かたちをしていたっけと。
4歳くらいのとき、自分の顔を鏡で見て「なんて変な顔しているのだろう」と思ったことを覚えている。まるで、蛙みたいだと思った。目が離れているし、鼻は扁平で二つの黒い穴は前を向いている。それから、幼稚園の壁に貼られた絵が気になりだした。友だちの誰かが書いた熊の絵が蛙の顔に見えるのだ。耳のところが目で、目のところが鼻。それは自分にそっくりだった。壁に貼られた自分の顔が自分を見ていた。変な顔。
エレファントマンは自分の母親が「美人」だったと語り、「天使のような顔をしていました」と言う。それが、唯一の自分の誇りであるかのように。
自分が醜いと思って生きていられる人はいないと思う。自分はこれでよい、この見た目でよいとある程度納得して生きている。母親が美人だというのはエレファントマンのアイデンティティの一部であり、自分のなかの聖性みたいなものとしてあったのではないかと思う。
SNSで出会って、まだ実際には会ったことがない恋人にこんな質問をしてみよう。「もし、私がエレファントマンみたいな見た目だったらどうする?あなたが思ってるようなビジンの女でなくって、醜いブスだったらどうする?」恋人は言うだろう。「逃げるね。裸足で逃げる。それでもうメールもLINEもしない。一生逃げる」そうだろうと思う。それでいいと思う。見た目は自分の問題ではない。それを見る人の問題だ。見る人が醜くて付き合えないというなら、それまでのことだと思う。私の醜さは私の一部だ。だから、それを理解しない人はどうぞ逃げてください。
映画「エレファントマン」はいろんなことをあれこれ考えさせてくれるおもしろい映画だった。
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