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まるごと苺、ぜいたくな一本

 幼い頃、風邪をひいた特別な日にしか食べられない甘味があった。桜桃のかんづめに、原液濃い目の瓶のカルピス。そして「まるごとバナナ」だった。

上手く持たないと破れてしまうようなふわふわなオムレット生地にたっぷり注入されたホイップクリーム。そしてその名を恥じない、まさしく「まるごと」バナナ一本。

 高熱でもうろうとする意識の中、母親が「まるごとバナナ買ってきたよ。食べられる?」とやさしく僕に呼びかけると、仮病だったんじゃないかと思うほどに僕は飛び起きて、おでこの冷えピタが落ちかけるのをお構いなしに、小さな両手で折れないように大事に抱えて食べたことを覚えている。

 よく冷えたクリームとバナナは、腫れ上がった喉にも幾分か穏やかに受け入れることができて、やさしい甘さも相まってあっという間にぱくぱくと平らげる。食べ終わる頃には何だかもうすっかり治った気になってしまう。そんな、滋養のかたまりのような食べ物だった。

 今思うと風邪の時にアレは消化に悪いよな。僕はコンビニのスイーツコーナーで腕を組み、まるごとバナナをじっと見つめてそんな親不孝なことを考えていた。

今時分はコンビニでも苺特集をやっており、定番のバナナの隣には「まるごと苺」が並んでいた。苺。大好物だ。

 手に持つとずっしりと重く、瞬時に脳内に巡るのはカロリー、糖質、脂肪分。いやだねえ、年取るってのは。パッケージ裏を確かめたい欲求を抑え、僕はえいとレジへとそれを運んだ。三百五十八円。おお、ぜいたくだ。

 それにしてもやわらかい。レジ袋貰えばよかったと少し後悔しつつ慎重に帰宅して開封してみると、あの日の思い出が一気に花開く。そうそうこの形にこの重さ。大人なら片手で食べられると思ったけど、やっぱりそれは大きくて頼りなくて。

 崩れぬようにあの日と同じく両手でそっと抱えてひとくち。ジュワっとしたクリームとそこに差し込む苺のすっぱさ。これぜいたくだ。普段から食べちゃバチが当たる。

少しずつ大切に食べようと思っても、その口は止められず。むさぼるようにするする胃へと落としまくり、あっという間に食べてしまった。子供の頃と変わらない食べっぷりに少し恥ずかしくなる。

 からっぽになった包装紙を名残惜しそうに見つめては、特別じゃない日に食べちゃってごめんなさいと心で母に謝った。

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