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立秋に徒然なるまま

立秋だという。夏バテにならないように、規則正しい生活を心がけているのに、立秋なんだって。そういわれると、ほんの少しだけ秋を感じなくもないけれど、でもまだ暑い。


物事を区切って、目標を立てて進むのが好きというか、癖みたいなところがある。
やりたいことリストを書いていると、いつの間にかそれが目標になり、目標を立てれば、頑張れる。進めると思っている節がある。しかし、それがTo Do リストみたいになり、やらなきゃいけないと言う思いに変わってしまう。
そして自分で立てたのに、できないことがいっぱいある。それは、欲張りだとか目標が高すぎるとかそういうことなのかもしれない。自分ができる事とTo Do リストのバランスはずっと取れない。



結構長い間、何なら30代ずっと漠然と進みたい、変わりたいと思っている。それがどこに進みたいのか、どう変わりたいのか何がしたいのかそれはずっと迷子です。
心地よくありたい、快適でいたいと言った、漠然とした感覚はある。
仕事を一生懸命頑張ってみたり、趣味を頑張るというか積極的に入れてみたり、自己啓発本を読んだりもした。その時だけ感じられる高揚感に乗れるような乗り切れないようなことを繰り返している。

やっと最近になって、1周回ったなぁと思っている。同じことをしているとやっと気づいたようです。変わりたいではないんだなと。

「変わりたい」のためにあれこれを試した。気持ちを書き出したり、本を読んだり、人と話したり、あれこれメンテナンスに通ってみたり、婚活、脱毛、今となっては、あれは何だったんだろう…料理教室やゴールドジムにも通った。


ここ数ヶ月の最大の?懸案事項はずっと続けている趣味がすごく平たく言うとつまらなくなっている。でも長く続きすぎていて辞めると言う選択肢はないということ。やめてはいけない気もする。先生とのつながりが1番大きいか、それを辞めるということは自分が仕事以外に続けているものがなくなるってことで、そうすると軸がないというか、私これやってますといえなくなってしまう気がどこかでしている。
結構頑張って取り組んでいた時は、やっぱりそれなりの技術だったように自分でも思う。でも今考えてみると、それは今この言葉が出るように「結構頑張っていた」のかもしれない。
続けていること、そのものが嫌いになったわけではなくて、技術的に落ちたと言うことが自分で受け入れられない認められないんだと思う。
仕事と体力気力のバランスで、長く続けてきたこととの関わり合いが変わってきたときにシフトできてないもの。
まぁ無理矢理やっている感じがする。

同じ仕事を2桁の年数続けてきた。仕事はずっと続ければ、自分の技術も上がって、楽になると思っていたけれど同じことを続けていれば良いのは、仕事では無いわけで、長いからといって、特に楽になる事はないんだなということがやっと、わかってきた。
あれもこれもやりたい自分の性分は変わらないまま、体力気力が小さくなりつつある。だから、いろんな物事との付き合い方を変えないと、きついし楽しめないんだということに気づきました。
人は急に変われないし、何なら多分安定の方が好きな自分です。安定を選びがちなのに、変化したいと思うところが不思議だなぁと思う。


で、立秋の話に戻る。立秋ということは今年もだいぶ後半です。そんなふうにものを考えるようになっている自分にびっくりする。
来年はどんな手帳を買おうか、来年こそはやりたい季節のあれこれを書き、とめておこうとしている。

変わりたいなぁと、その漠然とした思いを形にするには一つ一つやってみないと変わらなくて、全部ぴっちり計画を立ててから手をつけたからといってうまくいくわけないじゃない。仕事だってそうだよね。それなのに検索して、計画ばかり立てようとしている。そうじゃなくて、とりあえずいっこいっこ動いてみると景色が変わるんじゃなかろうかと。もちろん全体を眺めることも好きなのでやっちゃうけど、ちょっとくらい食べ過ぎたり買いすぎたり休みすぎたりしても結構大丈夫なのかもしれないなぁって最近思うので、とりあえず動いてみるって大事かなと思う。

趣という漢字も掲げながら進んでみたい。

音声入力って便利なんですね。初めてやってみた。

夏の一泊温泉旅行にて。

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